最新の頁   »  2019年02月
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃
(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。


  与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」(『恋衣』1905年)より



 「旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」との副題を持つ有名な新体詩の第一連。『戦争の歌』収録作の中で、短歌でも長歌でもないのはこれだけだ。凡例の一項「本書には(略)歌五十一首を載せた」にそぐわないようだが、歌人の作であり、七五調でもあるということで収録したものだろう。

 この詩は初出直後に大町桂月の激烈な批判を受けた。いわく、晶子の詩は「戦争を非とするもの」で、「皇室中心主義の眼」から見れば晶子は「国家の刑罰を加ふべき罪人」だ、というのである。本書の鑑賞欄はそのことを紹介するとともに、1945年の敗戦後は一転「天皇制反対や反戦の詩」として高く評価されたことも指摘し、いずれも「偏った見方」だとして否定している。この辺りの記述は非常に示唆的で、興味を引かれた。すでに引用した本書の解説の立場、

 「軍国主義的だから悪い歌」「反戦的だから良い歌」といった捉え方では歌を読んだことにはならない。それは、戦前に「軍国主義的だから良い歌」「反戦的だから悪い歌」とする考えが存在したのと同じことの繰り返しでしかない。


は、この晶子の詩の鑑賞に明確に表れていると見てよいだろう。桂月は「反皇室・反戦だから悪い詩」と評価し、1945年以後の論者は「反皇室・反戦だから良い詩」と評価したが、どちらも詩の言葉をよく読んでいなかったというわけだ。では、本書の著者自身はこの詩をどう捉え、評価するのか。本書中では珍しく、そのことがやや積極的に開示されている。

 原作を丁寧に読めば、晶子の主眼はあくまで弟の身を案じるところにあることがわかる(略)、戦場の弟を心配する晶子の一途な気持ちは時代を超えて確かに強く伝わってくるのである。


 これも解説に示されていた方針、すなわち、

 あくまで歌は歌として、その時々の作者の心情をどれだけ表現できているか、どれだけ読み手の心を打つ内容があるかといった観点で考えるようにしたい。


を実践したものだろう。もっとも、この著者の評価にも、私は疑問を感じてしまった。なぜかと言うと、著者は1932年の上海事件の際の歌、

凍る野に戦ひをらむ子を思へば暖かき飯に涙おつるも

  久保田不二子『手織衣』(1961年)


に対しても、

 子を思う母の気持ちが溢れた歌だ。


と述べている。これに従えば、晶子の詩と久保田不二子の歌は同類で同等ということになるのではないか。しかし、両者の印象はかなり違う。久保田の歌は、大町桂月のような否定者に付き従われる栄光には決して恵まれないのだ。この違いは、やはり評価に反映させたい。

 思うに、「その時々の作者の心情をどれだけ表現できているか」という基準だけでは、「君死にたまふことなかれ」の価値は測れないのではないか。ここから先は『戦争の歌』の感想から幾分脱線した私見。家族が戦場に赴けば、誰でも心配する。しかし、それにしても「親は刃をにぎらせて/人を殺せとをしへしや」という言葉の強烈さは凡百の詩歌から突出している。掲出されたのとは別の一連のうちの、

すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思
(おぼ)されむ。


はどうか。すめらみこと御自身は戦場にはお出ましにならないけれど、大御心が深いので、皆慈しみ合って生きよと思し召しになるだろう——というのが大意であり、なるほど、これは反皇室ではない。だが、この詩の言葉の働きには大意にまとめ切れないものがある。末尾の二行によって打ち消される以前、私たち読者がまず受け取るのは、御自身が戦場にはお出ましにならないまま「互いに殺し合って獣のように死ね、それこそ名誉である……」と仰せになる図なのだ。浅はかな批評家が大意を読み誤って非難したり称賛したりしたことにも、理由がないわけではなかった。

 己の心情を表現するために発した言葉がその枠を突き抜けて、より過激な思想を形作り、より過激な幻影を出現させる。その言葉の働きこそ「君死にたまふことなかれ」の価値の過半を生むものだと思う。


(2019.2.19 記)

中垣のとなりの花の散る見てもつらきは春のあらしなりけり

  樋口一葉『一葉歌集』(1912年)


 「中垣のとなりの花」の口語訳を、本書は「垣に咲く隣家の花」としている。生け垣に咲く花のイメージだろうか。しかし、ここは「垣をはさんだ隣家の庭の花」といった辺りが穏当な解釈だと思う。また、春の山おろしに散る花は桜だろう。

中垣のとなりの桜風ふけばこなたに花の散らぬ日ぞなき


というのはたまたまウェブ上で見付けた歌で、明治天皇の御製の由だが、一葉の歌も同様の型をふまえていると見た方がよい。

 さて、この一葉の歌は1895年作。ちょうど日清戦争の折である。詞書に、

丁汝昌が自殺はかたきなれどもいと哀なり、さばかりの豪傑を失ひけんと思ふに、うとましきは戦なり


とある。丁汝昌は清国の艦隊の提督。戦史上有名な黄海海戦を経て降伏、自身は自決した。本書の鑑賞にある通り、歌は敵国の将である丁を「となりの花」に、戦争を「春のあらし」にたとえているのである。この一首を取り上げて、今井恵子は、

 敵将の武勇を讃える気風も一つの型であったかもしれないが、それだけでもなく、開明的な思考が見える。


と述べていた(「一首鑑賞:日々のクオリア」2017年9月30日付)。詞書の結び「うとましきは戦なり」や歌の下句「つらきは春のあらしなりけり」を「開明的」と評したもののようだ。一方、本書は、

 このニュースを聞いて、敵ながら哀れと思ったのだろう。そして、戦争さえなければ死なずに済んだものをという感想を抱いたのである。


とする。報道の影響を重視するのは著者の一貫した姿勢である。巻末の解説でも「「報道」によって歌を読む(ママ)難しさ」に言及している。ただ、この著者はみずからの評価を簡単には与えない。引用文のように単に評価の材料だけを提供することが多く、本書の特色となっている。

 そのことに物足りなさを感じる読者もいるかと思う。しかし、本書は専門家でない読者まで想定したシリーズの一冊だから、あまりに詳細で専門的に過ぎる論証などはなじまない。一般読者に向けて独自の説ばかり並べるわけにもいかないだろう。著者がその制約のもとにあって各作品に評価を下すのに慎重になることは理解できる。

 もっとも、ここでは、当時の報道の傾向と一葉の歌文の内容との比較まで、もう少し踏み込んでもよかったかもしれない。一葉は新聞から戦争の情報を得ていたはずだが、丁汝昌の死を惜しむことには新聞の論調の影響があるのか、ないのか。さらに、戦争を厭う気持ちについてはどうなのか。これらが明らかになれば、著者もさすがに評価の段階に進むことになっただろうし、今井の「開明的」という評言の当否も判断できただろうと思う。

 ところで、著者は「詞書がないと日清戦争の歌だとはわからない」ことを指摘した後、次のような記述で鑑賞を締めくくっている。

 和歌においては、基本的に雅語と呼ばれる言葉しか使うことができなかった。漢語や俗語、外来語などは使うことができず、そのため、時事的な内容を直接詠むには不向きな面があった。こうした制約を外したところに近代短歌が成立するのである。


 その通りだろう。しかし、一葉にとっては「こうした制約を外したところ」に小説があった、と考えてみることもできる。しかも、小説は樋口家の主たる収入源になるかもしれなかったのである。そうだとすると、和歌を近代化する必要性はどこにあっただろう。


(2019.2.16 記)

 本書から何首か抜き出し、著者の鑑賞等に関する感想を書き付けておこう。

からあやを大和錦にくらふれはしなくたりてもみゆるいろかな

  弾琴緒『桐園詠草』(1907年)


 弾琴緒は幕末生まれの旧派歌人とのことだが、私は不勉強で知らなかった。「日清戦争の時李鴻章の来りて和を乞ひけれは」との詞書を付けた一首の由。清の織物は日本のものより劣っているというのが表の意味であり、それが国柄の優劣の比喩になっている。また、「品下りても」は「支那降りても」との掛詞になっている。要するに、日清戦争の勝利を喜び、清を見下す歌を詠んだのである。

 この一首の選出と鑑賞の仕方にこそ、本書の特色が典型的に表れていると言ってよいだろう。鑑賞文中に、この一首を讃える言葉はただの一句もない。著者の選歌の狙いは、その文中の次の箇所に示唆されている。

 織物に限らず遣隋使・遣唐使の昔より日本は多くの文物や制度を中国から取り入れており、中国は長い間に渡ってアジアで最も進んだ国であった。
 その価値観がひっくり返ったのが、まさに日清戦争だったということだろう。明治維新以降の文明開化、富国強兵、ナショナリズムの興隆の中で、日本の方が中国よりも強い、優れているという意識が国内にも急速に広まっていったのである。


 このように、掲出歌から当時の日本人の中国に対する意識の変化を読み取っている。すなわち、歴史の一局面をよく浮かび上がらせる歌としてこの一首を評価し、選んでいるのである。

 なお、掲出歌の濁点を付けない表記は出典に従ったものだ。ただ、「高校生から大人まで、幅広い年代層が親しめるように配慮した」というのが版元の売り文句なのだから、ここは著者が濁点を補って「くらぶれば」「しなくだりても」とした方がよかったのではないかと思う。


(2019.2.12 記)

 そして、第三の点について。著者は巻末の解説に次のように記している。

 戦後七十年以上が過ぎた今、現在の価値観に基づいて戦前の歌を一方的に断罪することには慎重であるべきだろう。「軍国主義的だから悪い歌」「反戦的だから良い歌」といった捉え方では歌を読んだことにはならない。それは、戦前に「軍国主義的だから良い歌」「反戦的だから悪い歌」とする考えが存在したのと同じことの繰り返しでしかない。


 軍国主義的な歌にもよいものと悪いものがあり、反戦的な歌も同様だと言うのだ。ならば、よい歌の条件は何か。著者はこんなふうに言葉を続ける。

 「戦争の歌」といえども、やはり歌である。あくまで歌は歌として、その時々の作者の心情をどれだけ表現できているか、どれだけ読み手の心を打つ内容があるかといった観点で考えるようにしたい。


 「その時々の作者の心情」をよく表現していて「読み手の心を打つ内容がある」のがよい歌であり、戦争詠もそうした基準で評価したいということだろう。では、本書中に「軍国主義的」でなおかつ「良い歌」の実例は挙がっているだろうか。明快な例歌は挙がっていないように私には思われる。たとえば、日露戦争当時の好戦的な一首、

にくにくしロシヤ夷(えみし)を片なぎに薙ぎて尽さね斬りてつくさね

  伊藤左千夫『左千夫歌集』(1928年)


を採って、著者は次のように述べる。

 歌としては心情をそのまま吐き出したもので、言葉も大袈裟で単純ではあるが、思いの強さと勢いは感じられる。


 これは一見、「その時々の作者の心情」をよく表現した一首として肯定しているようでもある。しかし、その直後には、

 戦場に行って直接取材したわけではないので、その中身はどうしても抽象的で芝居がかったものであるのは否めない。


という否定的な言葉が付け足されている。本当のところ、著者はこの一首を「良い歌」と認定しているわけではないのだ。そういう歌をなぜ採るのだろうか。巻末の解説に見える、

 私たちは歌を通じて歴史を知ることができる。


との一節にその答えはあると思われる。つまり、左千夫の一首のようなものをも採るのは、著者が歌を通じて日本の戦争史を浮かび上がらせようと試みているからなのだ。

 大国ロシアを相手にした戦争に、いかに近代日本が沸き立ち、奮い立ったかがよくわかる歌といってよいだろう。


といった評価の仕方にこそ、本書の選歌の基準は端的に示されている。

 「良い歌」だけを見ていても歴史の全体を知ることはできない。「悪い歌」もまた歴史の一部であるからだ。歌を通じて歴史を浮かび上がらせようとすれば、「良い歌」とは認定しがたいものも選出することになる。短歌史の本なら、そのような歌を引くのも当然だ。しかし、アンソロジーの場合は秀作の集成と一般に考えられているから、本書のような選歌の方針は珍しい。本書を読むときには、著者の好みの歌を気ままに選んで書いた本ではないということを理解しておく必要があるだろう。


(2019.2.11 記)

 松村さんの新著(2018年12月)で、笠間書院の「コレクション日本歌人選」の一冊。「日清・日露から太平洋戦争までの代表歌」との副タイトルが付く。このシリーズは一歌人の名をタイトルにする本が大半を占めるが、それらに比べ、歌を選出するのに手間が掛かったに違いない。

 本書の選歌の特色は、主に次の三点だと思う。第一に、大正以前の戦争詠を含めていること。第二に、いわゆる旧派の作も選んでいること。第三に、著者自身がよいとは思っていない歌をもあえて採っており、それが必ずしも有名歌でもないということ。

 まず、第一の点について。従来、昭和の戦争詠はよく取り上げられ、論じられてきた。本書にも入っている、

頑強なる抵抗をせし敵陣に泥にまみれしリーダーがありぬ

  渡辺直己『渡辺直己歌集』(1939年)


遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし

  土岐善麿『六月』(1940年)


などは有名であり、後者に至っては今なお問題作だ。一方、大正以前の戦争詠にはそのようなものが比較的少なかった。

たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり

  斎藤茂吉『赤光』(1913年)


は例外なのである。本書に掲出の五十一首のうち、昭和の作が三十二首。比較すれば大正以前の作はやはり少ないわけだが、それでも十九首は多く採った印象だ。明治大正に手厚いと言ってよいと思う。近代の戦争詠をまとめて読めることはありがたい。それらを俯瞰することによって昭和の有名歌の再評価も可能になるだろうし、戦争観の変遷などもかいま見ることができるだろう。

 次に、第二の点について。日清戦争の頃、新派和歌はまだ黎明期だった。日露戦争のときにはすでに東京新詩社も根岸短歌会も活発に活動していたものの、旧派の歌壇もなお勢力を保っていた。だから、新派だけを見ていては日清・日露戦争の歌を選べないという事情はある。ただ、新派以前の歌をも見ようとする理由はそれだけではないだろう。現代短歌は明治の新派の流れを汲んでいるため、明治以降の短歌の歴史を考える際には、旧派の歌を見ないのがずっと通例だった。ところが、近年、旧派と新派をともに視野に入れようとする短歌史家も現れている。たとえば、本書が参考文献に挙げている松澤俊二『「よむ」ことの近代:和歌・短歌の政治学』青弓社、2014年)などである。本書はそれに近い立場に立つものでもあるのだ。

この髪を染めてもゆかん老が身の残すくなき世のおもひ出に

  下谷老人、『征清歌集』


といった新派以前の歌と並べてみることは、新派の歌の特質、ひいては現代短歌の特質を探るために有効だろう。


(2019.2.10 記)

ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728