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年稚き君らに残業を強うる我の論理は既にブルジョア経済学のもの

 (澤辺元一100首選)


 同じく、『遊水池』所収の由。マルクスの思想を知りながら会社経営に従事する葛藤——に取材した歌だ。結句の字余りがその葛藤の苦しさと共鳴する。必然性のある破調と言ってよいと思う。

 字余りの句とそうでない句の按配にも注意したい。「年稚き」の五音に続けて「君らに残業を」の九音、「論理は既に」の七音の後に「ブルジョア経済学のもの」の十三音。定型通りの句と破調の句を組み合わせるのは、これもやはり土屋文明の影響に違いない。そのようにして、破調が破調であることを保証するのである。

君達を搾取し我が身をも酷使しゆく小企業の現実というは厳しく

 (澤辺元一追悼座談会の引用歌)


 もう一首、題材の似た歌。字余りの効果も同様。そして、こちらもまた「君達を」の五音の後に「搾取し我が身をも」の句割れの九音、「小企業の現実と」の十一音に続けて「いうは厳しく」の七音といった具合である。

 なお、前の歌もそうだが、経営者の側にいて(澤辺は寝具等を製造する会社の役員だったという)社員に対して「君」と呼びかけているところに、作者の心の優しさが表れているようだ。もちろん、一首の内容は相手に直接伝えるべきものではない。心の中でひそかにこうつぶやいた、ということだろう。

 伝統和歌の「君」は、まず相聞の相手だった。では、近代以降の短歌の「君」は誰を指してきたのか。多様な「君」が、あるいはいたのかもしれない、と澤辺の歌を見て思う。


(2018.10.19 記)


なるべくは京都附近にて死にたしとつつましかりき兵われの願い

(「澤辺元一100首選」)


 1959年刊行の合同歌集『遊水池』所収とのこと。この一首の内容について、黒住嘉輝は「フィクション」とし、

 兵隊に行ってないもの、彼は実際はね。学徒動員は行ってるけど。


と発言している(「澤辺元一追悼座談会」)。「学徒動員」は勤労動員の意。しかし、川本千栄編「澤辺元一年譜」の1945年の条に、

 召集令状を受け、大隅半島に派遣されたがすぐ敗戦。十月、復員。


とある。同年譜によれば、澤辺は1926年1月生まれで、45年当時は神戸商業大学予科に在籍。同年1月に満十九歳になって、間もなく召集されたと考えられる。学徒出陣である。したがって、掲出歌は実体験に基づいていると見なしてよいのだろう。

 「附近」が散文風の単語だ。また、「死にたし」を助詞「と」で受けて、ただちに「つつましかりき」とつなぐ言い回しが幾分変わっていて、注意される。仮に倒置を元に戻して、表記を補えば、

「なるべくは京都附近にて死にたし」と。兵われの願い、つつましかりき。


となるか。軍では日記を付けることが奨励されていた。「なるべくは京都附近にて死にたし」は入隊直後、大隅半島に到着する以前の日記に残された一文で、それを戦後に読み返した感想が「つつましかりき」だったと私は推測する。

 もしも京都近辺で死ぬとしたら、それは本土決戦の終盤で、もはや敗戦間近だ。しかし、十九歳の彼の言葉に、そこまで深い意味はなかったかもしれない。生き残ることを当然のように断念し、ただ生まれ育った土地への愛着だけをわずかに示す。そのつつましさには迫真性があり、戦後の刻印は感じられない。心にとどめるに値する一首だと思う。


(2018.10.14 記)

 「澤辺元一100首選」ほか、この特集中に引かれた歌を私はこれまで全て知らなかった。何より印象的なのは、よい歌のあることだ。

若かりし父の放蕩もやや理解して日々綿塵の中に働く

(「澤辺元一100首選」)


 真中朋久「晩夏の挽歌」の指摘の通り、「綿を加工して布団などを作る会社は(略)家業を継ぐということであった」ことが一首の内容から推測される。工場の経営に苦労を重ねる中で、若き日に「放蕩」した父の心持ちも少し理解できるようになった、というのだ。

 そうだ。「理解できる」や「分かる」とする方がより自然な発想だろう。そこをあえて能動的に(?)「理解する」と言う。みずからの心の働きを、外部の少し離れたところから観察しているようでもある。このクールさが、作者の生活感情に対する読者の共感を可能にするのだと思う。

 なお、『塔』2013年1月号掲載のインタビューによれば、澤辺は『塔』参加以前に『アララギ』の文明選歌欄に出詠していた由。第二句の散文調がその選歌欄の直伝の作法と見られる。ことさらに「やや」などを付け、大幅に字を余らせるのである。

 第三句に「理解して」を置く形も高安国世などに先例がないか、調べてもよいかもしれない。


(2018.10.10 記)


 『塔』9月号の澤辺元一追悼特集に感銘を受けた。全二百四十六頁の二割、五十頁近くをこの特集に当てている。しかも、分量が多いだけではない。回想文・作品論から百首選・年譜・写真・故人をよく知る人のインタビューまで、完全版の趣がある。これを通読すれば、一人の歌人の全体像、つまりその作品・人柄・人生などがありありと迫ってくる。私はそれらに実に魅了された。

 澤辺はこの結社の創刊時からの同人にして元選者、「名誉会員」でもあったが、主宰者や代表者であったわけではない。そして、中央歌壇で名の通った人でもなかった。『塔』の編集長を務める松村正直さんがブログ「やさしい鮫日記」に次のように書いている。

こうした追悼の特集というのは、結社誌ならではのものだと思う。
総合誌には有名な歌人の追悼しか載らないし、同人誌でもあまり見ない。

結社とは何かという話がしばしば議論になるが、こうした追悼特集を組むところに、私は結社の特徴が滲んでいるように感じる。それは、システムや合理性という観点だけからは摑めない結社の本質であろう。

(9月13日付「「塔」2018年9月号 」)


 短歌の結社誌は遠く大正の頃から同人の追悼号を出してきた。松村さんの見方は、たしかに結社本来の姿を言い当てているかもしれない。


(2018.10.9 記)

 なお、「孤雲還」の典拠については岩津も篠も言及していないが、李白「春日独酌二首」の

孤雲還空山 衆鳥各已帰
彼物皆有託 吾生独無依


(孤雲空山に還り、
 衆鳥各已に帰る。
 彼の物皆託する有るに、
 吾が生独り依る無し。)


から採ったものだろう。皆帰るところがあるのに自分にはない、というのが大意か。「孤雲還」の下には、一片の雲に去られて立ちつくす一人の人間の孤独な心がある。

 同時に、そこには帰還を肯定する優しさも弱さもあるようだ。「孤雲還」の三字だけを見るとき、家郷に戻る孤雲にみずからをなぞらえているようにも、私には感じられるのだ。

 八一の額の字について、篠は前掲文で次のように述べている。

 その字体のタッチは柔らかで、じつにみずみずしい。構えたところがなくて、はなはだ抒情的でありさえする。書家として著名になってからの雄勁な、きびしさが顕在されたものより、わたしはこのほうが好きである。『南京新唱』刊行の翌年に書かれたこの書は、生ま身の人間のさびしさを隠さない。


 篠の膨大な著述の中で私が一番に挙げたい一節だ。「孤雲還」の額がいまどこにあるのか知らないが、篠のエッセイにその小さな写真が添えられていて、字の雰囲気を窺い知ることはできる。篠の言葉の通り、みずみずしく麗しい。


(2018.10.8 記)

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