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 本書の目的のために不可欠で、しかも一番困難な段は巻頭の「北見志保子とオタスの杜」だと思う。考察が近代の日本と樺太の根源的な部分へ接近しようとしているからだ。

 北見志保子は1940(昭和15)年、婦人之家社主催の銃後文化講演のために樺太に渡り、オタスを訪れた。本書の記述を引くと、オタスとは「アイヌを除く樺太先住民の指定居住区」で、もともと狩猟等を生業として移動式天幕を住居としていた彼らを「定住させ農業や漁業に従事させるというものであった」。

 「樺太庁の保護」「安らかな生活」と言えば聞こえは良いが、その内実は開発により生活の場を失った彼らを一か所に集め、日本人へ同化させることを目的としたものであった。(21頁)


 しかも、彼らには日本国籍が与えられなかったという。領土拡張と国民/非国民の差別が樺太史の急所であることを本書の著者は当然よく知っている。この段が巻頭にあるのもそれゆえかと思われる。

 オタスに取材した作品を現代の研究者が論じることは、簡単ではないだろう。当時の人々と現代のわれわれとでは、しばしば自由やデモクラシー、人権、戦争等に対する理解の仕方が異なっているからだ。本書に引かれている北見の歌文を見ると、「差別的現状への無理解が見受けられる」の一言で済んでしまいそうなところが少なからずある。否定的な結論が初めから見えていては、わざわざ考察する意義を見出しにくい。

 本書の著者も早速この問題に突き当たっている。北見の随筆集『国境まで』(1941年)がオタスの「教育所」の教員川村ナヲについて、

 この婦人によつて(先住民の児童たちは—和爾猫註)日本の皇室の尊さを教へられて君が代を歌ひ、日本国の有難さを知つて日本軍人になることを生涯の希望とする思想のもとに成長してゆく。世の中にはこんな尊い仕事をする人もある。(『樺太を訪れた歌人たち』から孫引き。以下同)


と記したのに対し、著者は「ここには人種差別や偏見、皇国史観などが色濃く表れている」、「志保子が国家主義的な政策の片棒を担いでしまったことは間違いない」(26頁)と指摘するしかない。

 樺太を訪れた歌人たちを研究テーマにしておいてオタス関連の作品を取り上げないのは不自然だが、安易に取り上げれば結論は予想の範囲内の否定的結論にとどまる。ここをどう突破すればよいのか。

 差し当たり、二つのやり方を考えることができるだろう。一つは、「人種差別や偏見、皇国史観」を指摘した上で、その他の部分を肯定的に評価すること。もう一つは、「人種差別や偏見、皇国史観」とその表れ方を一層細かく分析し、予想の範囲の外に結論を出すこと。

 本書の著者は、このこともよく理解している。まず「志保子が国家主義的な政策の片棒を担いでしまったこと」の指摘に続けて、次のように述べる。

 しかし、それをもって昭和十五年当時の志保子の思いまで否定する必要はないだろう。彼女は一生懸命に日本語を学ぶ先住民の子の行末を心配し、そこで暮らす日本人女性(川村ナヲ)の姿に、この時、同性の一人として感動し、胸を熱くしたのである。その気持ちに偽りはない。(26頁)


 善意ほどたちが悪いと見る人もいるかもしれない。それはそれとして、この引用文のように北見の善意を肯定するのは、一つ目のやり方だろう。

 著者はまた、

オロッコの児いだけば母親も笑がほせりこころ通はすこの天(あめ)がしたに


といった歌や『国境まで』の一節、

 私は思はず手を出すと母親は素直に見も知らぬ私に渡した。赤ん坊も私の胸にしがみ付いて眺めてゐる。私は「とても可愛いでせう」と表に立つてゐる人たちに見せた。


を引いて、

 赤子を「素直に」渡したというのは志保子の見方であって、先住民からすればそこには見えない強制力が働いていたに違いない。(28頁)


と記す。一見人類愛が発露しているように見える歌文に、むしろ差別的現状への無理解を見るわけである。これなどは、二つ目のやり方だろう。著者はさらに、先住民の子を抱く昭和天皇の皇太子時代の写真に言及し、「恩情を示すパフォーマンス」としての共通性を指摘して、

 いずれも本心と言えば本心であるし、知らず知らずに仕向けられた動作であったと捉えることもできるかもしれない。(28頁)


とも述べている。北見の行為のうちに、北見の個人的な心情とは別に、差別的な権力関係の強化に加担する一つの型をみとめるのである。より深い考察の試みで、興味深い。「北見志保子とオタスの杜」の段は困難な課題に果敢に取り組んで、今後の研究につながる基礎を作ったと私は思う。

 なお、本書の別の段「生田花世と木材パルプ」に、

 男性が強力に推し進める戦争に反対するのではなく、男性以上に積極的に参加することによって、花世は女性の立場を確かなものにしようとした……。(103頁)


という重要な指摘がある。川村ナヲに対する北見の共感について、著者は女性解放運動の流れと関連付けて論じてはいないが、あるいはその方向で論じる余地があるかもしれないと私は思った。ちなみに、同じ銃後文化講演の講演者として、北見志保子と生田花世は一緒に樺太を訪れたのであった。


(2017.1.30 記)

 azzurroさんから下のような問いをいただいた。何か学生時代の期末試験のような、あるいは昔の道場破りのような……?

 質問です。塚本邦雄が『花隠論』の「蝶に針」という斎藤史論で、小玉朝子は忘れさられ、津軽照子は新短歌に去ってしまって、斎藤史が定型短歌のプリマドンナになったという記述をしていたと思うのですが、津軽照子にも『魚歌』に匹敵するような定型短歌の作があるのでしょうか。ご存じでしたら、歌集名をご教示願えないでしょうか。


 azzurroさんの方が私などよりも津軽照子の履歴と作品についてずっと詳しく知っているだろう。困った。私はほとんど何も知らないし、これまで特別な興味を持ったこともなかった。

 手元にたまたまある資料の断片を提出して、この「試験」を切り抜けることにしよう。それらの資料に価値があるのかないのか、azzurroさんの判断をいただければありがたい。


(1)『野の道』

 1924(大正13)年刊行の個人歌集。収録歌はまず文語定型とみとめられるものだ。

支那の国支那の港の公園にそこの国人遊ぶを許さず
みんなみの緑のはねの鸚哥
(いんこう)のとなりにうたふ満洲ひばり


 こちらは上海詠。「津軽照子にも『魚歌』に匹敵するような定型短歌の作が」あるかとの問いだが、素材も方法も制作時期も異なるので比較は難しい。なお、この歌集は国立国会図書館のウェブサイト上で閲覧できる。


(2)『心の花』掲載歌

 たとえば、1930(昭和5)年5月号に

佇めばひき行く波にあなうらの砂崩るるをまさしくおぼゆ
雨けぶる塩田の砂に汐をまく浜の娘の袖しとどなり


といった文語定型歌が載り、同7月号には

いそがしいクレーンの往来、釣橋もとれた、すべるばかりの軍艦高雄
咬まれた虫は動かない、蜘蛛も、私もじつと見てゐる


といった口語自由律の作が載る。この辺りが作風の移行期ということになろうか。


(2017.1.21 記)

 本書の一つの特徴は、引用歌文の内容を論じることが多く、表現を論じることがほとんどないということだ。引用歌文を覗き窓のように見なし、それを通して当時の社会と文化、作者の思想・感情などを覗き見る一方、その窓の形状や性質そのものに目を向けることが少ないのである。

 これはまず仕方のないことだろう。本書の目的が私の推測通り、近代歌人の樺太詠を通して日本の近代化と戦争の影響を見ることにあったとすれば、引用歌文の表現よりも内容に多くの照明を当てるのは自然なことだ。

 「北原白秋・吉植庄亮と海豹島」の段で白秋の紀行文『フレップ・トリップ』の表現に注目していることは、本書中では例外に属する。この段の記述が例外的なものになったのは、この段の主目的が海豹島の自然の有りようを確認することにあったためか。つまり、著者の関心はもともと社会や文化の方に多くあるので、窓の向こうに自然が広がるときにはその自然を見るだけでは物足りず、窓自体を見るようになるのかもしれない。

 それにしても、『フレップ・トリップ』のロッペン鳥の描写、

風だ。
光だ。
 飛ぶ。
  飛ぶ。
   飛ぶ。
 飛ぶ。
  飛ぶ。


と平戸廉吉「飛鳥」の

一羽の後を  一羽
     一羽
    一羽
  一羽
翻転——
  側走——
    旋回——


との「共通性」の指摘は興味深い。後輩詩人の作に学んだ痕跡がここまではっきりと白秋の作品に残っているとは、ちょっと驚いた。ここに引いた『フレップ・トリップ』の一節は、平戸廉吉の詩が詩壇にいかに大きな衝撃を与えたかを窺うに足る資料だろう。


(2017.1.8 記)

 「とこイットだね」の作詞はサトウハチロー。「イットだね」は「色っぽいね」というほどの意味だろうが、では「とこ」は? 毛利眞人『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス』もこれについては何も言及していない。


     §


 YouTubeで聴くことのできる二村定一の歌声をほぼ全て聴き終えた。なるほど、優れた歌い手だ。素人の自分が聞いても、そう感じる。しかも不思議な個性を常に発散させている。

 なかで「ヅボン二本」(コロンビア)は、その個性がいくらか抑え気味な分聴きやすい。
https://youtu.be/E5YWIllxo30



 「エアガール」(タイヘイ)も比較的クセのない歌い方で、好きだ。YouTubeでは次の動画の7分31秒から後に入っている。
https://youtu.be/BQQA4Qjht64




(2017.1.6 記)
 新年早々、二村定一の昭和初期の流行歌をYouTubeで聴き、その不思議な魔力にやられている。声も歌い方も、どこか奇妙なのだ。

 1928(昭和3)年から翌年にかけて次々にレコードをヒットさせ、「東京行進曲」の佐藤千夜子とともに「レコード歌手第一号と呼ばれた」とのことで、「その技術面は際立っていた」とされている(ウィキペディア「二村定一」の項)。それはそうなのだろう。しかし、何かがヘンだ。

 たとえば、二村独唱の「青空」(ビクター、1928年)。
https://youtu.be/iuOLu7sII_M



 YouTubeにこの曲をアップロードした人は二村の歌声を「朗らか」と評している。私は朗らか過ぎるその歌声が恐い。

 あるいは、「とこイットだね(イット節)」(ポリドール、1931年)。
https://youtu.be/sg4B7egZQ4Y



 この歌の終わり近くに「今夜も送って頂戴よ」との一節があって、その「頂戴よ」を二村が妙な声色でコミカルに歌う。YouTubeのコメント欄を見ると「二村定一らしくて良い」などとある。しかし、それが女の声色の真似なのか、それとも別の世の何かの真似なのか、私には分からなくてちょっと気味がわるい。これに比べればエノケンの歌声など、はるかに健全だろう。

 ウェブ上で「二村定一」の画像を検索すると、これまた世にも不思議な顔のモノクロ写真がズラッと並ぶ。決して不細工ではない。むしろ整った目鼻立ちだと思う。しかし、こんな顔は見たことがない。強烈だ。

 昭和初期の都会の風俗について多くのことを教えてくれる毛利眞人『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス:昭和モダン歌謡の光と影』(講談社選書メチエ、2016年)は、次のように記している。

 勇ましい騎士の裏側にシャイなロマンティシズムを秘匿したシラノのように、二村にもパッと咲く華やかなキャラの裏面に、べったりとした隠花植物のような不気味さがあった。見てはいけないものをそっと覗き見るような背徳の魅力が、大衆の目を引きつけて離さなかったのである。エロ・グロ・ナンセンスをひとりで併せもった存在と言って過言でない。


 毛利氏のレトリックの力のせいでもあろうが、なんというか、恐ろしい。私が何より奇異に感じるのは、この二村定一が「当代一の人気歌手」(毛利同書)だったという事実だ。


     §


 彼は酒のある風景を嫌つて、つねに美しい少女のゐる、いいレコードのある喫茶店を求めて行つた。


 1930(昭和5)年前後の石川信雄について、木俣修「若き日の石川信雄」(『日本歌人』1937年9月)はこう証言している。この「レコード」は海外の上品な流行歌、軽音楽、はたまたさらに高級なクラシックかと想像するが、石川や木俣、前川佐美雄の耳には一方で二村定一の歌声も聞こえていたはずだ。前川佐美雄『植物祭』や石川信雄『シネマ』が同じ時代の産物だということを忘れるべきでないだろう。その字面だけを見て理解した気にならない方がよいだろう。


(2017.1.5 記)
 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申し上げます。


     §


 年の始めにちょっと思い付いて、これまでに自分が読み耽ったことのある歌集を数えてみて、その少なさに驚く。

  ・会津八一『南京新唱』
  ・葛原妙子『橙黄』
  ・葛原妙子『原牛』
  ・俵万智『サラダ記念日』
  ・穂村弘『シンジケート』

 この五冊だけだ。一冊の歌集の隅から隅まで、一字一句それこそ舐め尽くすように読んだ——と自信を持って言えるのは、何度思い返してもこれ以外に無い。自分では一応短歌の愛好者のつもりでいるのだが、結局この文芸の端の端のほんのわずかを楽しむだけで終わりそうだ。


(2017.1.3 記)

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Author:和爾猫
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