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 今年もあまりご報告できる成果がありませんでしたが、ただ一つよかったのは昨年より当ブログの更新回数が若干増えたこと、大休止がなかったことです。昨年の大晦日に「来年したい」ことに挙げた斎藤史・宮柊二・永井陽子・笹原常与……結局どれも手付かずで、ここ数年同様の状態が続いているので、さすがにまずい気がしています。このままだと何もしないまま年だけ取りそうで。

 ま……気を取り直して、新しい年を迎えることにいたします。

 皆様もよいお年を!


(2016.12.31 記)


 なぜ樺太か、と問われて著者が返答に困るということは、本書の目的が著者自身にも明確には見えていないということかと思う。

 ところで、本書以前に同じテーマで同じ著者が書いた文章があった。2010年出版の『短歌は記憶する』(六花書林)のなかにある論考「樺太の見た夢」である。そして、そこでは考察の目的が明確に掲げられていた。

 幕末から明治・大正・昭和にかけて、さまざまな歴史の流れに翻弄された樺太。そこで生まれた短歌作品を通じて、日本の近代化、そしてそこに差す戦争の影を見ていきたいと思う。(126頁)


 樺太に日本の近代の一面がある、近代歌人の樺太詠を読むことでその一面を知ることができる、という見通しをこのときの著者は持っていた。そのようにして知ることができるということ、またそのようにして知ることができた日本の近代の一面は、新たな知識となる可能性がある。つまり、上の引用文は考察の目的(その考察でどんな知識の獲得を目指しているか)を明記したものと言ってよい。

 本書もこの目的をそのまま引き継いでいる、と私は本書を読んで思った。ところが、本書中にはそれに言及したところがない。雑誌連載中に何度となく「なぜ樺太か」と問われるうちに、著者自身の認識も揺れ動いて曖昧になってしまったのかもしれない。

 しかし、著者が意識するとしないとに関わらず、本書全体の目的はやはり、近代歌人の樺太詠を通して日本の近代の一面を明らかにすることにあると思われる。佐藤弓生の

 ……北方を訪れた北見志保子・土岐善麿・斎藤茂吉等および樺太に住んだ歌人の足跡をたどることがすなわち戦前戦中史へのひとつのアプローチになることはわかりました。(「一首鑑賞 日々のクオリア」2016年11月22日付


という感想は正しい。そして、「日本の近代化、そしてそこに差す戦争の影を見」るという規定をもう少し限定すれば、近代化と戦争に特徴付けられ、その圧倒的な影響下にあった日本の社会と文化・文明と人間とを見る、といったことになるだろう。


(2016.12.30 記)

 なぜ樺太か、と著者に問う人がいるという。その人はたぶん歌人だろう。「なぜ短歌か」という問いの方がむしろ一般的な反応かもしれない、ということをその人は考えない。

 ……私は返事に困ってしまう。なぜ、樺太なのか。明解な答えが見つからない。私自身は、樺太と何か特別な関わりがあるわけではない。「実は祖父が樺太生まれで……」といった理由があれば話は簡単なのだが、そういったことは何もない。(3ページ)


 著者はこう書くが、著者個人の第一の動機は明らかだと思われる。地理的にも歴史的にも、また心理的にも隔たった「樺太」への憧れ以外に何があるだろうか。

 もちろん、樺太を理想郷のように見ているということではない。台湾よりも朝鮮半島よりも満州よりももっと近くて遠い場所として樺太を見出し、それにただ心が引かれたということだろう。

 本書を読んで、私も自分のうちにあるロマンティシズムを大いに刺激された。たとえば、本書中に敷香という地名が何度となく出てくるが、

 読み方は「しすか」または「しくか」……(18ページ)


だという。ウィキペディアで「敷香町」を引くと、

 敷香の読み方については、しすか、しきかなど様々な説がある。近年までNHKラジオ第2放送の気象通報ではしすかと呼ばれていた。内務省の告示ではしくかとされている。


 現地の人の読み方はシスカで間違いないのだろうが、それにしても町の名の読み方に諸説あるとは、まるでバンド・デシネの『闇の国々』の世界さながらで謎めいている。関心を持たずにはいられない。

 第一章「樺太を訪れた歌人たち」は近代の著名歌人の樺太詠に関する考察である。焦点の絞り方がうまい。先住民の指定居住地、国際河川、陸上の国境線、厳冬の情景、養狐場……。どれも樺太の特徴をなすもので、しかも現在の日本ではなじみのないものばかりだ。

 第三章「サハリン紀行」は「文学散歩」どころではない、著者自身による本格的な旅行記。短歌は幾分後景にしりぞいているが、読み物としてたいへんおもしろい。著者の観察力と文章力に加え、かつての領土ながら現在の情報が少ないという特殊事情があるため、興味をそそるのである。

 ところで、本書を研究書として取り扱うのであれば、本書の目的について考えておく必要があるだろう。どんな研究でも、新たな知識の獲得を目的にしている。だから問題は、どんな知識の獲得を目指しているか、である。そして、研究に向かう個人的動機と研究の目的とは、必ずしも同じではない。憧れは前者であって、後者ではない。

 著者は次のようにも述べている。

 「なぜ、樺太か」という問いに対する明確な答えはまだ見つからない。しかし、サハリンを訪れてみて一つだけ感じたことがある。それは「鎮魂」ということだ。(略)戦前の樺太に暮らし、樺太という土地に様々な夢を描いた人々の思いは、敗戦によって断ち切られてしまった。それらを何らかの形で受け止めて、鎮めることが必要なのではないかと感じたのである。(267ページ)


 「鎮魂」が近代歌人の樺太詠を考察する動機だというのは、十分説得力がある。しかし、これもまた本書の目的とは別の話だと思う。

 では、本書の目的は何だろう。


(2016.12.25 記)

 『星の王子様』の一文をエピグラフにした菊池孝彦氏の完璧なる論考に対し、あえて不満を述べるなら、氏の華麗な論理展開にも関わらず、引用歌に圧倒されるまでには至らないということである。私は高瀬一誌の歌集を一度も読んだことがなく、菊池氏の引いた歌はどれも初見だった。そして、率直に言えば、それらの歌は皆つまらなくはないものの、とびぬけてよいとも思わなかった。この点、大松達知『柏崎驍二のおちゃめな連作。」とは正反対の感じがする。

魚一匹火だるまとなる火だるまとなす女ありたり


 食事の準備という日常の平凡な行為を非日常の虐殺に見立てたところが一首の眼目かと思う。短歌の定型と比較すれば、この一首の音数は第三句が欠落した七七七七ということになりそうだ。七七から七七に移る際に無音のマが生まれ、焼かれる魚から焼く女へ、映画のモンタージュのように視点が切り変わる。

 しかし、私はこの虐殺する女をあまり恐いと思わないのである。私の感覚では、日々の暮らしの一些事としてひっそりと魚を焼く女の方がむしろはるかに恐怖に値する。こういったことは結局、個人の感覚の違いなのだろうか。「火だるま」という言葉の調子の強さが、私には空々しく感じられる。

シャツは天に笑うかな笑うかな 笑うものなれば高く干し上げる


 白いシャツが晴天にひるがえるさまを「笑う」と見立て、その美をよろこぶ作か、と私は素直に読んだ。ところが、菊池氏はこの一首をめぐり、

 この空虚な笑いに色を失うのは読者の方であろう。


というのである。「空虚」と見なす理由について説明が一切無いのは、氏の論考における一点の瑕と思う。

 なお、「高く干し上げる」はどう解すればよいか。「干し上げる」という言い回しは「すっかり乾かす」という意味で使うことが多いが、それでは「高く」とうまくつながらない。単に物干し竿を高く上げるという意味なら「高く干す」で十分な表現であり、「高く干し上げる」はかえって不自然と思う。この歌を私が支持できない理由である。菊池氏はどう解しているのか、尋ねてみたいものだ。

 これらは高瀬の歌の問題なのだろうか。それとも菊池氏による引用歌の選び方の問題なのだろうか。まずは『高瀬一誌全歌集』を読んでみなければ。


(2016.12.18 記)

 一番驚かされたのは、菊池孝彦「高瀬一誌の虚無律:抒情と虚無との弁証法を巡って」である。不勉強な私は菊池氏の名を初めて知り、歌壇にこれほどの書き手がいたのかと思った。

 氏の文章は論旨が明快だ。しかも、内容の密度が濃く、読み手の思考を刺激する。その文章の展開を駆け足でたどってみよう。

 考察の対象は高瀬一誌の自由律の歌である。氏によれば、「詩歌にとって最も重要なことは題材ではなく韻律や修辞であり」、短歌や俳句にとってそれは律なのだが、自由律の詩歌はその「最も重要な」ところを破棄することになる。

 韻律のない言葉の連続を詩歌と呼ぶことは出来るのか。これは「自由詩」を考える上で避け難い問いだが、実はこの問いは人間にとって「自由」とは何かを考えることに近似した問いで、何故なら必ずそこには袋小路が現れるからである。


 「自由詩」を考えることは、人間にとっての「自由」を考えることに似ているという。特殊な問いがより普遍的な問いにつながるなら、その特殊な問いは取り上げて考える価値がある。氏は普遍的な問いまで見通すことを常に忘れない。

 高瀬一誌はいかにして「自由律という不自由を逆手に取って表現の弛緩を免れ、短歌に新しい問いを投げ掛けることに成功したか」。氏は次のように述べる。

 高瀬は(略)定型律である五七五七七を半ば意識しながらそこに不可欠且つ必然的な切断を一首ごとに異なる形で持ち込む、という方法を発明した。こうした方法の偶発的な成功例は自由律短歌・俳句と呼ばれる作品群の中にも見出すことが出来るかも知れないが、短歌の方法論として意識的に採用し、練り上げ、文体の完成に導いたのは高瀬一誌が最初である。


 つまり、高瀬は律から逃れて自由になろうとしたのでなく、逆に一首ごとに、その一首に不可欠な律を探り、導入したということだろう。氏は高瀬の方法がその歌に「不可思議な脱力感」、「笑いと表裏一体の虚無感」をもたらしたと見る。

 問題は、高瀬の方法が結局短歌の定型律に依拠しており、それなくしては成り立たないことだ。定型律が滅びるなら、高瀬の歌の命脈もまた尽きる。氏は次のように言う。

 その意味で高瀬一誌は永遠のマイナーポエットであると言うべきかも知れない。しかし、逆に考えれば短歌でメジャーポエットが果たして可能なのかということがむしろ問われねばならないだろう。


 ここにも、特殊な問いからより普遍的な問いへと赴く氏の志向がみとめられる。

 短歌が社会に関与し得、大状況と対峙できるとする無邪気な幻想に浸る歌人たちを多数目にするこの頃、むしろ短歌そのもののマイナー性をも諧謔や機知の中に照らし出しているのが高瀬短歌なのだとしたら高瀬短歌の批評性は短歌という文芸自体に及んでいると考えるべきで……


と言い、さらに

 このような見地から方法論として検討するならば、エピゴーネンにならずに高瀬の方法を正当に引き継ぐ歌人の誕生を今後も私たちは期待することが出来る……


と結論付けるところは明快そのもので、これほど気持ちよく読める文章は短歌関係の雑誌にはそうそうないと思われる。


※ 高瀬の「高」はハシゴダカ。


(2016.12.12 記)

 うれしかったのは、花笠海月氏について知ることができたことだ。氏の寄稿した「六花書林10.5周年記念フェア」なる文章に次のようにある。

 私は現在、古書いろどりという古本屋にいる。無職仲間と立ち上げ、二〇一二年に事務所営業で開業。まだ並行してアルバイトをしているけれど、なんとか四年を超えることができ、昨年末に店舗営業を開始した。


 ちょっと前に、友人のスマホの画面上で、氏のツイッターのつぶやきを見せられた。貴重な古書の原本とそれに関係する知識とを次々に披瀝するさまに、私は驚嘆した。有閑の資産家にして古書収集家かと想像し、しかし今どき日本にそんな人がいるものかと不思議に思っていた。古書販売をなりわいとする人だと分かって、すっきりした。

 さらに以前、氏の論考「薔という名の青年」(『短歌人』2006年7月)を黒瀬珂瀾さんに奨められて読み、古いマイナー雑誌に関する知識に驚いたこともあった。そのときは、この人こそマニアだと思った。

 というのは、その文章が決して上手ではなかったからだ。氏をおとしめるのではない。マニアのことを「狂」と呼ぶこともある。野球狂とか、鉄道狂とか。自身の思考の道筋を整理して説明することができてしまう「研究者」は、結局この「狂」の世界には入れないのだと思う。

 今回の氏の文章にも特徴がよく表れている。

 宇田川さんとは短歌人会入会が同じ年(宇田川さんのほうが少し早い)で、長いつきあいになる。


 ……私の紹介を宇田川さんは「ほんとかな?」と思って聞いていたにちがいない(と、今になって思う)。


 十八営業日で、四十数冊の売上があった(五十冊には届かなかった)。


 丸括弧内はどれも、読者には不要の情報のように思える。宇田川氏と花笠氏の入会日が数週間だか数ヶ月だかずれていたとしても、他人にはどうでもよいことだ。それより知りたいのは入会年がいつなのか、ということだろう。それが分かれば、花笠氏の年格好を想像するひとつの材料にもなる。

 しかし、そんなことに関わりなく、氏自身には「宇田川さんのほうが少し早い」ということが重大だったのであり、「五十冊には届かなかった」ことがたいそう気になることだったのだ。個人の気持ちの引っ掛かりを軽んじないのがマニアの資質であり、能力だと思う。


(2016.12.9 記)

 岡崎裕美子「「土屋文明記念館」へ行った」に

……ここを「エジプト文明」的な、「土屋・文明記念館」と勘違いして入って来る人もいるらしい。


とあり、「人っていったい誰なんだ」「筆者はどうしてそれを知っているのか」などとへそ曲がりは気になってしまうのだが、私の友人によると、この「いるらしい」の根拠はたぶん「現代女性歌人展」の会期中に誰かがTwitterで発信したつぶやきなのだという。……なるほど。


bunmekinen1.jpg


(2016.12.04 記)

 『春山』の初版本と改版本で字句に異同のある歌は、私の見たかぎりでは三首。

  a 

赤土の乾ける道にたつほこり霧(きり)のごとくに草に吹きゆく(初)

赤の土乾ける道にたつほこり霧(きり)のごとくに草に吹きゆく(改)


  b

くづをれてわれありたりと思はねどすがしく生きむ願(ねがひ)湧くかな(初)

くづほれてわれありたりと思はねどすがしく生きむ願(ねがひ)湧くかな(改)


  c

なほいまだナチスの民にまさらむと人は言ひにき幾年前(いくとせまへ)(初)

なほいまだナチスの民にまさらむと語り合ひにき幾年前(いくとせまへ)(改)


 このうちbは仮名遣いの訂正のみ。不思議なのはaで、改版本の「赤の土」の調子は初版本の「赤土の」よりむしろ不自然、不調和に感じられる。かつて師の選も経た言葉をここでわざわざ改める理由がわからない。誤植ではなかろうか。

 「憲兵司令部の検閲」を顧慮して「辞句を改めた歌が一首あった」というのは、やはりcを指していると見てよいだろう。(1)で触れたとおり、初出の『アララギ』1937年1月号で第四句が「語り合ひにき」だったのを初版本で「人は言ひにき」に改め、改版本で初出形に戻したものである。

 ナチス独裁下の民衆に比べればまだ我々の状況の方がましだろうと何年か前に語ったが、今ではもう同じか、それ以上だ——というのが一首の大意で、おそらく二・二六事件が背景にあるのだろう。表現内容はあいまいにぼかしてあるが、丁寧に読み解けば、これは確かに軍部への批判を含む歌である。初版本では語る主体を一人称から三人称にずらし、作者本人の思想ではないと言い逃れる道を作っておいたのだと考えられる。


(2016.12.02 記)

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Author:和爾猫
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