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しづかなる大和の寺を覗きみぬ聖娼婦百済観音の足

  葛原妙子(『短歌』1980年1月、後に『をがたま』所収)



 ヘロドトス『歴史』にも記されている古代文明の風習に神殿売春というものがあり、「聖娼婦」は本来それに携わる者を指す翻訳語のようだ。葛原妙子の掲出歌がその語を百済観音に対して用いるのは、なぜだろう。

 推測するに、これは井上政次『大和古寺』(1941年9月初刊)が百済観音を「聖処女」と呼んでいたのを踏まえ、逆さに引っ繰り返したものではなかろうか。葛原は早くから古美術への関心を示し、

(にひ)年の暁けの目覚めに顕(た)ちてくる斑鳩の寺の壁画の幻像
  (『潮音』1941年2月)


といった歌を残していた。戦後まで繰り返し増刷された『大和古寺』を葛原が読んでいた可能性は大いにあろう。

 井上の「聖処女」という表現がとくにマリアを意識したものでないように、葛原の「聖娼婦」も古代の風習と直接関係するものではないようだ。稲葉京子『葛原妙子』(1992年)は実際の百済観音について、

 私などが見ると、二メートル余のそのすらりとした長身痩躯の美しいすがたに比して、むしろその足は幾らか部厚く無雑作で無防備というか、あどけない感じを受ける。


と述べていて、私も実は同感である。しかし、葛原は「長身痩躯」の清楚さに比べ、ややアンバランスに量感を感じさせる足に淫靡さを感じ取ったものか。


(2016.2.22 記)

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マリヤの胸にくれなゐの乳頭を点じたるかなしみふかき絵を去りかねつ
わが蒔ける未知の花どもひしめきて多慾のわれに一夜せまりき

  (『飛行』1954年)


 四十代の葛原妙子の性に触れた歌は悩み多く、重苦しい感じがする。晩年の、

しづかなる大和の寺を覗きみぬ聖娼婦百済観音の足
  (『短歌』1980年1月、後に『をがたま』所収)


の軽やかさとは対照的だ。


     §


 今から二十年ほど前、藤沢の朝日カルチャーセンターの教室で葛原妙子をテーマにした短期講座を受講した。講師、森岡貞香先生。葛原妙子の

 「イチニントノデアイ」

について語られたことが印象的だった。『飛行』『薔薇窓』の時期——どちらであったか、講義中に明言されたはずだが、私は忘れてしまった——に「デアイ」があり、それは『原牛』の時期にはすでに終わっていたのだが、次の一首などにその影響がなおみとめられるという。

人に示すあたはざりにしわが胸のおくどに青き草枯れてをり
  (『原牛』1959年)


 では、その最中、その影響下に成った歌はあったのか。それについては言及がなかったと記憶している。講義後にでも質問すればよかったのだが、当時の私はまだ葛原の歌をやっと読み始めたばかりで、質問するのに必要なほんの少しの知識も持ち合わせず、ただ講義を聴くだけで終わってしまった。

 この「デアイ」の話を、森岡は結局、文章にはしなかったようだ。今後、新たな証言者が現れることもないだろう。私の前には、ただ歌だけがある。

いちにんを倖(さきはひ)とせむたいそれし希ひをもてば暗き叢
  (『飛行』1954年)

わがうちなる少女無垢にて腐らむよささやき抱きし一人(いちにん)あらね
  (『薔薇窓』1974年、『潮音』1956年5月初出)



(2016.2.11 記)

殺したるをみなの目より耳より粟・稗みのり垂れたる神話
   葛原妙子(『原牛』1959年)

陰に麦生り尻に豆生りし比売をりて男神に殺さえましし
   同(『短歌現代』1978年2月、後に『をがたま』所収)


 この二首を比べると、前の歌の方が完成度が高いようだ。技術は、やはり衰えるものなのか。後の歌は、「をりて」の辺りの調べに緩みがある。また、視点が明確でなく、感情移入が難しい。殺しと穀物生成の順序が逆さまのように感じられるのも不満だ。

 対して『原牛』の一首は、調べに一点の緩みもない。その上、第二、三句にかけてのリフレインと字足らずの組み合わせに新しい歌のリズムを探る実験の跡が窺えるのも刺激的だ。

 古事記の言い回しを借用しただけの「生り」に比べ、「垂れたる」は具体的で、より鮮やかな印象を喚起する。女神を殺した者の視点から「殺したる」というのも効いている。殺した相手の各部からたちまち穀物が生成する——そのさまを目にした者の驚きが伝わってくる。

 なお、古事記の当該の話には「稗」が出てこないが、日本書紀の同種の話では殺された神の目から稗が生まれたことになっている。


(2016.2.9 記)

 昨日の朝日新聞土曜版beの特集記事、みちのものがたり「二宮忠八が飛行原理を着想した樅の木峠」が二宮の歌として

飛行機にたふれし人を神として霊やすかきといのるみやかな


を引いていたが、この第四句「霊やすかき」の意味が分からない。そこで、ウェブ上で検索してみたが、この一首を載せるページを見付けることはできなかった。

 ひょっとして「霊やすかき」は誤写で、原歌は「霊やすかれ」なのではないか。もしそうなら、新題和歌風の分かりやすい一首になる。「れ」の変体仮名で「連」の字を崩したものを「き」と見誤ることは、ありそうだ。


  変体仮名「連」Wikipedia より)


(2016.2.7 記)

 葛原妙子の人となりに触れた岡部桂一郎の言葉を川野里子「インタビュー 森岡貞香氏に聞く」(『幻想の重量:葛原妙子の戦後短歌』本阿弥書店、2009年)が伝えている。これが意表を突く内容で、ちょっとおもしろい。葛原の葬儀のとき、火葬場に向かうタクシーの中での発言だったという。

「……歌壇も葛原妙子みたいな女流がいなくなって寂しいねえ。とにかく女流歌人で猥談をする人ってあの人だけだったよ。もう残念だ」


 森岡自身は、その手の話を葛原から聞いたことがなかった由。男性中心の酒宴などではそういった話に加わることもあったということなのだろう。それにしても、葛原のする猥談とはどんなものだったのか。その中身まで伝わらなかったことは、仕方がないとはいえ「残念だ」。


     §


陰に麦生り尻に豆生りし比売をりて男神に殺さえましし

  (『短歌現代』1978年2月、後に『をがたま』所収)


 前の記事で指摘したように、この一首は古事記のスサノヲの話に取材したものだ。古事記の該当箇所は、次の通り。

 かれ殺さえましし神の身に生(な)れる物は、頭に蚕(こ)生り、二つの目に稲種(いなだね)生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆(あづき)生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆(まめ)生りき。

  (『新訂古事記』角川文庫、1977年)


 五穀起源の神話から一首の素材を採るにあたり、葛原は目・耳・鼻を選ばず、陰・尻を選んだ。当時の葛原の好みが窺えて、興味深い。より直接的に性に関係する器官として、それらをことさらに選んだのだろう。

 実はこれ以前に、同種の神話をもとにした一首がすでにあった。

殺したるをみなの目より耳より粟・稗みのり垂れたる神話

  (『原牛』1959年)


 このときは目と耳を選び、陰や尻を選ばなかった。葛原の場合、性に関わる表現は晩年に近づくにつれておおらかになった、という仮説を出しておこう。

ゆふさればはろけきかたに向きをればわがちちぶさのうすくひかりぬ


 「陰に麦生り」と同時発表の一首。大いなるものと交感するさまを詠んだ歌として、私はこれを記憶し、ときどき口ずさんでいる。


(2016.2.1 記)


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