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 昭和十年代の杉浦明平、近藤芳美、土屋文明、吉田正俊といった歌人の作に「才能を疑ひて」という言い回しが使われ、それが岡井隆の一首「才能を疑ひて去りし学なりき今日新しき心に聴く原子核論」にまでつながっている、ということを大辻隆弘が指摘しているそうだ(松村さんのコメント)。『レ・パピエ・シアン』掲載の大辻論文そのものは未見だが、意義深い仕事だと思う。


     §


 例えば、土屋文明『山谷集』(1935年)に

新墾の道ひろくして通れども移民の村に家は多からず


という歌があり、遅れて柴生田稔『春山』(1941年)には

新墾の道ひろくして通れども油を惜しみバスは途絶えつ


という一首がある。後者は戦時統制に取材したものであり、当時の世相が想像されておもしろい内容だと思うのだが、残念なことに第三句までの一字一句が先行歌と同じだ。のちに『春山』の改版本(白玉書房、1953年)を出すにあたって著者がこの一首を抹消することに決めたのは、仕方のないところだったろう。


     §


 斎藤茂吉『赤光』(1913年)の代表歌の一つ、

死に近き母に沿寝のしんしんと遠田のかはづ天(てん)に聞こゆる


の先行歌として三井甲之の1905年の作、

道おほふ細竹(しぬ)の葉そよぎ風起り遠田の蛙天(あめ)に聞こゆも


があることは、つとに清水房雄が報告している。


     §


 アララギの歌人は、茂吉も柴生田も、また他の会員も貪欲に仲間の歌を読み込み、その措辞に学び、その作法をわがものとし、ときには彼我の言葉の境目が曖昧になるまでに至った。根岸短歌会やアララギ短歌会自体に創作の源泉があると考えれば、茂吉や柴生田をことさらに批判する必要はない。彼ら自身が会の一部であり、彼らの作品もまた、他の会員に影響を与えるのだ。

 一首全体が新しい地平を開いていると認められれば、「死に近き母」のように、後の歌の方が著名になることもある。塚本邦雄は三井と茂吉の影響関係について、

 ……本歌こそ取られたことを光栄とすべきだ……

  (『茂吉秀歌『赤光』百首』)


と述べた。やや強引に説得にかかる論法で、塚本らしいといえば言えるが、この場合は極論になっていないか。繰り返しになるが、根岸短歌会自体を源泉と考えることもできるのだ。源泉は記憶されてよいはずだ。


(2015.11.10 記)

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生き行くは楽しと歌ひ去りながら幕下りたれば湧く涙かも

  近藤芳美『埃吹く街』


 劇は俳優が歌いつつ去っていく場面で幕となった、ということだが、私はこの歌を初めて知ったときから「去りながら」の「ながら」の使い方はどうなのかと気になっていた。つまり、接続助詞「ながら」の入る文は普通、

  主語+述語a+「ながら」+述語b

の形になるはずだが、この一首では、

  主語A+述語a+「ながら」+主語B+述語b

になっている。語法的にこういう言い方が可能だろうか、と疑問に思ったのだ。

 『埃吹く街』合評(四、『未来』1983年4月)を見ると、木田そのえと吉田漱がそれぞれ次のように述べている。

木田 (略)「歌ひ去りながら幕下りたれば」の接続は、主語が違うから語法上出来ない筈で、進行形のように接続させている事を今回気付いた。三句切れにするか構造を変えるべき処だと、頭を痛めながら考えた。

吉田 「幕下りたれば」はもちろん下ってくる緞帳を視覚的に訴えるけれども、転じて「幕が下りる」は、つまり「芝居が終る」という表現でもある。二重構造として上から読み下してくれば、なめらかに読めないこともない。


 やはり、同様の疑問が出ている。吉田は二番目の主語「幕」を消去することでこの疑問点を回避しようとしているが、そうやっても結局「なめらかに」は読めないようだ。


(2015.11.8 記)

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Author:和爾猫
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