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生き行くは楽しと歌ひ去りながら幕下りたれば湧く涙かも

  近藤芳美『埃吹く街』


 有名歌が数多くあるこの歌集のなかで、これもよく知られた一首。国の言論統制がなくなり、しかも商業主義はいまだきたらず、終戦から数年間は最も文化的な雰囲気に満ちた時代だった、とは私の恩師がよく語っていたことだが、ちょうどその初めの時期、観劇に材を取ったのがこの歌である。「生き行くは楽し」の歌詞に反応した涙がまず戦争体験から来たものであったことは、わざわざいうまでもない。

 さて、のちに作者本人が記したところによると、それは1946年2月の新協劇団の舞台だったという。

 忘れ去ったものとばかり思っていたその遠い舞台のことを、妻が仕舞ってあった古いぼろぼろのプログラムを探し出し、思い出させてくれた。一九四六年二月、有楽町の邦楽座で新協劇団のフェドロヴァ作「幸福の家」という劇が上演されており、きっとそれだったのであろう。新協劇団は戦時中弾圧により解散させられ、戦後再出発する最初に村山知義の演出で「幸福の家」を取り上げた。劇場である邦楽座もまた、戦災を受けたのを修復したばかりであった。

  近藤芳美『歌ひ来しかた:わが短歌戦後史』(岩波新書、1986年)


 古いプログラムが残っていたということだから、間違いない話なのだろう。

 ただ、それはそれとして、「生き行くは楽し」という歌詞は実際にそのままの言い回しで1946年2月の邦楽座で歌われたのかどうか。ちょっと調べたが、わからなかった。

 同年同月に劇団が発行したパンフレット『新協』再刊1号を見ると、『幸福の家』に関連して、

 ・村山知義「幸福とは何か?(演出者の言葉)」
 ・「梗概」

が載っているが、それらのなかに「生き行くは楽し」に類する言葉は見えない。同じく同年同月発行の雑誌『劇場』には『幸福の家』の舞台写真とともに、

 ・村山知義「新協劇団活動を再開す」
 ・太田咲太郎「「幸福の家」を観る」

が載るものの、劇中の歌詞に触れたところはない。原作小説の翻訳版(1941年)も少し読んでみたが、やはりそれらしい言葉は見当たらない。劇のプログラムは、残念ながら未見のままだ。

 私がこの歌詞に関心を持つのは、近藤作に先行して次の一首があるからだ。

生きゆくは楽しかりけりさまざまに一日は過ぎて終(つひ)に思ふも

  柴生田稔『春山』(1941年)


 近藤は『春山』を発刊直後に読んで、短歌が「有閑のことばで無いと云ふこと」を知り、また「子規左千夫から茂吉文明にうけつがれて来た一つの文学の血筋」を学んだという(白玉書房版『春山』1953年、に収載の「解説」)。近藤自身が意識していたか否かはともかく、近藤の語彙のなかに元々柴生田の歌の言葉があって、その上で『埃吹く街』の一首が成ったことは確実だろう。

 柴生田の歌は歌集の1940年の章にある。戦争の時代を背景に置いて、同じ章の苦悩に満ちた抒情歌、

(もだ)しつつしぬべる心かりそめに甲(よろ)ふ心とわが言はなくに


などと並べて読むとき、「生きゆくは楽しかりけり」の詠嘆はやや複雑な色合いを帯びる。戦中・戦後の違いはあれ、その色合いは近藤の歌の「生き行くは楽し」にまで通じているはずだ。

 私の見立てのとおりだとすれば、そこにかいま見えているのは、昭和のインテリゲンチャの歌の系譜である。
 

(2015.10.22 記)
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いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ

  近藤芳美『埃吹く街』巻頭歌


 この歌は、初句の疑問詞「いつの間に」と結句の嘱目句「青年が剥ぐ」がうまく呼応していないようにも見える。つまり、疑問文かと思ったら肯定文、というように。

 しかし、たとえば「いつの間にか」に改めるとその呼応は決まるが、なにか間延びして、平板になり、一首全体の質が落ちる気がする。

 細川謙三の評言、

 「か」が省略されていて語法上はおかしいが、省略から来る衝迫がはげしい。

  (「『埃吹く街』合評」1、『未来』1983年1月)


は、そのあたりのことを言おうとしているのだろう。

 私は、この歌は第三句「はられたる」で一旦(心の中で)切って読むとよいと思う。疑問詞と連体形の「たる」がちょうどよく呼応して、疑問文の形を作る。この「はられたる」は疑問詞を受けつつ、同時に後の「軍のガリ板」にもかかる。

 大意は「いつの間に夜の省線の車内に貼られたのか、そのガリ板刷りの軍の貼り紙をたちまち一人の青年が剥ぐことだ」。

 上句の疑問の文型に「私」の心の揺らぎが表れる。青年の背後で「私」の存在が色濃くなり、情景が立体的になる。他方、その疑問の文末と下句の叙景の文頭が慌ただしく重なることで、「私がそう思うやいなや、青年が——」といった感じが出てくる。そんなに悪い読み方でもないと思うが、どうだろうか。

 初句を「いつの間にか」にすると、それらのニュアンスが生まれない。平板で、かつ間延びした歌になってしまうのだ。
 
 そして、散文なら「いつの間に」は語法上「おかしい」となるかもしれないが、たとえば

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

  (斎藤茂吉『赤光』1913年)


といった形もあり得るのが韻文の語法だろう。


(2015.10.19 記)

わが家のパソコンが故障し、ブログの更新もできないままでした。ようやく修理が完了したので、一ヶ月半ぶりに再開します。読んでくださる皆さま、どうぞよろしくお願いします。


     §



 三枝昂之『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店、2005年)の近藤芳美を論じた章を久しぶりに読み返した。例えば、

いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ

  近藤芳美『埃吹く街』巻頭歌


についての次のような論じ方——。

 「人民短歌」昭和二十一年二月創刊号における「悪いこと、みんなはねかへした あなたたちの あんなに強い力を、私は見た。」(渡会秋高)といった作品と比較すると違いがよく分かる。近藤作品からは、青年が剥ぐときのビリッという音が伝わってくる。その音が読者を新しい時代へと導く。「軍のガリ版」という言葉選びも見逃せない。ここは近藤の回想にあるように「軍の檄文」でも不可能ではない。しかし「ガリ版」を選ぶことによってその字体に手作りのリアリティが加わり、視覚的に確かなものになる。つまり近藤作品は〈もの〉の確かさによって新しい時代を表現している。「あんなに強い力を」といった概念的な表現とはそこが決定的に異なる。

  (422〜423頁)


 同時代の他の歌人を参照して近藤の歌の特徴を見定め、「ガリ版」などの言葉そのものを丁寧に読み解き——、この大著のなかでとりわけ印象深い一章だと思う。三枝の『埃吹く街』論は、さいかち真『生まれては死んでゆけ』(北溟社、2006年)などとともに、私の近藤芳美観に強く影響していることをあらためて思う。

 ただ、今回読み返してみて、「ビリッという音」に少し引っ掛かった。大学教授の論文にはまず出てこない単純明快な擬音語「ビリッ」にかつて感銘を受け、その感銘自体はいまも変わらず私の心に残っているが、一首の鑑賞としてはどうだろう。

 ガリ版は省線電車の車内に貼られていた。この電車は走行中と解した方が、一首の内容に動きが出ておもしろい。ガリ版を剥ぐ「ビリッという音」は電車の騒音に紛れてしまい、遺憾ながら他の乗客の耳には届かなかった——と思ったりもして。


(2015.10.13 記)


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Author:和爾猫
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