最新の頁   »  2015年07月15日
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 東郷説の「未決定の浮遊感」も松村説の「宙ぶらりん」も、現実味に欠けて物足りない印象、を意味する言葉として私は受け取った。もしそれで間違いないとすれば、その印象は「ル形」だけから来るものか。「ル形」を含む作品の表現全体から来るものではないか、というのが私の一番の疑問だ。

夏草に汽缶車の車輪来て止る

  山口誓子『黄旗』(1935年)


 この「止る」を私は一度限りの出来事のように感じていたのだが、仮に循環する季節の中で繰り返される事柄だとしよう。それでも、この一句が喚起するイメージの鮮烈さに「未決定の浮遊感」や「宙ぶらりん」といった評言がそぐわないことは、東郷氏も松村さんもみとめるのではないか。


(2015.7.15 記)

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和爾猫

Author:和爾猫
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