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姉を亡くす妻のかなしみかかるときよりそふほかに何なしうるか
おのづから今年も春は到るべしかなしくはあれど梅はほころぶ


 (「余白の春」、『GANYMEDE』2015年4号)


 連作として読むなら、二首目の「かなしくはあれど」は、一首目の「かなしみ」を踏まえた表現ということになりそうだ。春はささやかな慰めであり、梅はその具体的な印。

 しかし、二首目を単独で読むなら、どうだろう。春の到来自体が悲しく感じられることにならないか。この場合、梅は春が見せるもう一つの顔。時が過ぎるのはつらいが、そのなかにまた喜びもある、と。

 いや、連作として読んでも、後の解釈の方がよいか。


(2015.5.31 記)

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 気になったことの二つ目、

吹雪して往来(ゆきき)とまれる籠(こも)り日(び)に蔵書目録つくりてたぬし


 この結句「たぬし」の「ぬ」に「ママ」と註記しているが、これもどうか。

 「たぬし」(=楽し)は昭和前期以前の『アララギ』などではしばしば使われた言い回しで、誤記でも誤植でもない。橘千蔭『万葉集略解』以来の伝統で、万葉仮名のうち、いわゆる上代特殊仮名遣いの「の」の甲類に当たる字を一般に「ぬ」と訓じていたのであり、それに倣い、音調を古風にする効果を狙って「たぬし」と詠んだのである。


     §


むつかしき業にいそしみ明けくれをあり経つつ我ら何を希はむ

  (『アララギ』1944年4月)


 紹介されている『アララギ』掲載歌の最後の一首。地域医療に従事してきた人の作と知って読むと、深く納得させられる。第四句の字余りが利いていて、全体の調子が軽く流れるのを防ぐ。「むつかしき業」という内容とよく合っているところが上手。富太郎の没年はこの五年余り後、1950(昭和25)年の由である。


(2015.5.23 記)

 気になったこと、一つ目。いつもながら、コジュウトのようですみません。

賣店の花を欲りせど我は買はず日に日に行きて見ては戻れり

(『アララギ』1936年3月。このブログでは引用に際して旧漢字を現行の字体に置き換えているが、ここでは話の都合上旧字のまま引く。ただし「戻」は、旧字が入力できない。


 この歌の「買」に、

 「賣店」は「賣」の字だが、「買ふ」の場合は、他の作品でも「買」の字が用いられている。原文のママ。


と註を付けているが、この註の意味が分からない。「買」の字はとくに新旧の区別もないはずだが……。ひょっとして「賣」を「買」の旧字と勘違いしたのだろうか。


(2015.5.21 記)

東京の茂吉も金をくれたりと宮島詣でのたよりにありぬ

  (『アララギ』1938年6月号)


 父の手紙を題材にした一首。弟の名「茂吉」をそのまま出すのは、やはり弟がアララギの中心人物であり、文壇・歌壇の著名人であることを意識しているからだろう。

 上句に漂うおかしみは、茂吉の歌に通じるものがあるようだ。手紙は何通もあっただろうし、そこにはいろいろと書いてあったはずだが、そのうちから「茂吉」と「金」を選んだのがお見事。俗っぽい上句と品のよい下句の取り合わせも上手だ。

 田中隆尚『茂吉随聞』上巻(筑摩書房、1960年)に富太郎に言及した箇所があった。1942年10月31日付の記事である。

 その日、茂吉と田中は上野池ノ端産業館で「アジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会」を観た。

 出口の所には再び絵葉書や写真の売場があつた。先生は又もや絵葉書を次々に手に取つて見てゐられたが、見をはると今度はその全部を買つて、「兄貴のところに送つてやらう」と云ひながら私の手に渡された。(略)
「兄貴は歌も作つてゐる。アララギに出てゐる。守谷富太郎といふ名で出てゐる。」
「さうですか。ちつとも存じませんでした。」
「兄貴はなかなかうまいよ。」

  (42頁)


 「なかなかうまい」というのは、同書の用例から推測するに、写実的で、言葉の運びが自然で、気取りや衒いがなく、かつどこかしみじみとしたところがある、といった感じか。茂吉が富太郎に送った絵葉書というのは、これのようだ。

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     §


 『茂吉随聞』はとにかくおもしろくて、必要のないところまでつい読んでしまう。読むたびにさまざまな発見があって、飽きないのだ。同日付の記事の中に、すきやき屋「世界」が肉不足で閉店しているのではないかと心配しながら行ってみると、

 運好く「只今準備中」といふ札がさがつてゐた……(45頁)


とある。運好く?

 今日では「準備中」はしばしば休業日に掛けっ放しの札で、一種の婉曲表現のようになっているが、当時はその言葉通りに「間もなく開店」を意味していたらしい。茂吉と田中は二十分後には無事入店し、すき焼きとビールを楽しむことができたのである。


(2015.5.18 記)

 敬愛する田中綾さんから抜刷りをいただいた。掲載誌は『北海学園大学人文論集』58号(2015年3月)。

 守谷富太郎は斎藤茂吉の次兄。医師として「明治末期に北海道に渡り」「地域医療に尽力」(抜刷りより。以下、とくに断らないかぎり、引用は同じ抜刷りに拠る)する一方、『アララギ』会員でもあった。田中さんと中崎氏の今回の仕事はその『アララギ』掲載歌をまとめて紹介したもの。富太郎の歌を私は初めて読んだ。

うそざむき駅逓を発(た)つ二人づれは時計直しと薬売(うり)なり
  (1936年11月号)

山ふかき駅逓の一夜(ひとよ)しづかなり進み行く代(よ)のものの音(と)もなく
  (1937年11月号)


 「駅逓」という語がしばしば現れる。明治から昭和初期にかけて北海道の各地に置かれた半官半民の施設である。鉄道が通らない辺地の「交通補助機関」として、「宿泊・人馬継立・郵便などの業務」(ウィキペディア)をおこなった。富太郎が頻繁に駅逓所を利用していたのは、巡回医療に携わっていたということか。

 一首目の季節は、「うそざむき」とあるから冬でなく、おそらく晩夏初秋。駅逓の制度が廃止されたのは1946年のことだというが、時計直しや薬売りの旅はいつまで続いたのだろう。二首目の「進み行く代」は社会の進歩とか西欧化とかいったことのほかに、支那事変を暗示しているようでもあり、印象深い。

雪ふかく降れる広野に戦ひしいくさの夢をありありと見し
  (1936年6月号、日露役の夢一首)


 日露戦争は海戦のイメージが強いが、これは陸戦の記憶。苦しい戦いだったのだろうが、夢の歌はむしろ静謐で美しい。出征体験が富太郎にはあり、茂吉にはない。おのおのの心の風景の違いが思われる。


(2015.5.15 記)

 『塔』4月号に載る松村さんの歌が心にしみる。

このあたりにたしかポストが、紅葉のあかるき中にたしかポストが


 並んで載る他の歌と関連があるのかどうか分からないが、一首単独で読んでおもしろい。言い回しは平易な会話調で、内容は童話的。子どもなら誰でも知っている、けれども大人になると忘れてしまう、世界とか存在とかの不思議。そして「わたし」は、「ぼく」は、言いたいことがあるのだが、その言葉は届けたい誰かに届かないまま……。

黙ってそっと肩に手を置く寄り添いの仕種はついにわがものならず


 その仕種の意味は学習して知っている。知っているけれども、そうしようとすると違和感がある。心と一般的、社会的な動作の結び付きに違和感を感じているだけなのに、まるで自分に心がないように感じられてくるかなしみ。

雲ひとつなき青空と言うときのかたちを持たぬ雲のごときか


 人は雲一つない青空を喜ぶが、松村さんの思いは見えない雲の方に向いている。雲を何にたとえているのだろう。

かなしみはついに言葉に追いつかずくちびるだけが動くしばらく


 深く激しい感情に襲われた人が何かを言おうとして、しかしその何かが声にならず、唇だけが何かを言うように震えながら動いている——という場面かと思った。心にしみた。だが、その解釈だと、逆に言葉がかなしみに追い付かないことになってしまうか。私の誤読のようだが……?


(2015.5.13 記)

 そもそも文法書のように「べし」の意味を細かく分けて考えることにどれほどの価値があるのか、私は疑問に思っている。

 この語は未来を確信的に想像するもので、それが場面や人間関係、話の流れによって意志の意味になったり、当然の意味になったり、推量の意味になったりする。しかし、実際の場面や人間関係は、学者の頭脳のようには単純でない。

 意志と当然の意味が混じり合い、適当と命令の意味が溶け合っているのが、むしろ「べし」本来のあり方ではないのか。もし古人がそれらの意味の区別を厳格に要求するものであるなら、彼らはなぜそれらの意味を執拗に同じ語で表し続けたのか。

 現代語の使い手も無意識のうちに理解しているはずだ。例えば、木俣修『近代短歌の鑑賞と批評』は、「想ひ見るべし」を

 感じとるがよい (287頁)


と訳した後で、実はただちに

 感じとるべきだ (同上)


とも言い換えていた。吉川宏志は、永田和宏『近代秀歌』(岩波書店、2013年)の

 しずかに想い見るべきだ (181頁)


という解釈には異論を述べない。他方、

 見えないものを見ようとする強い意志を、私はこの歌から感じるのである。


と記す吉川は、「感じ取ろう」といった現代語訳も許容するはずだ。それで一向にかまわないというのが私の考えである。


(2015.5.11 記)

 さて、今野のこの解釈に対して、吉川宏志が反論した。

 私は、〈適当〉という意味で取るのには、少し違和感を持つのである。

   (「「見るべし」について」、『塔』4月号。以下同)


 今野が否定した「見るべきである」と取る解釈を、吉川は逆に支持しているようだ。吉川の根拠は、節の推敲ノートの初案が「観るべかりけり(蓋し観るべし)」となっていたことで、

 つまり、もともとこの歌には、見ることへの強い信念が込められていた……


という。しかし、これはどうだろう。初案は結局、決定稿とはならなかった案である。吉川も書いているとおり、

 それを「想ひ見るべし」という抑制された静かな結句に変えていった……


のであり、そのことはむしろ決定稿が「見ることへの強い信念」から離れたと解する根拠になりかねない。

 もっとも、吉川の文章はとてもおもしろかった。私が苦手なのは、抽象論の合間に歌を漫然と三首、五首と引いて、その一首一首の読解は何も示さないような文章。好きなのは、歌一首を掲げ、それについて語り尽くそうとする文章。


(2015.5.9 記)

 馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし

   長塚節(明治41年作)



季節外れの歌で恐縮……。先頃、今野寿美がこの有名歌の「べし」の解釈について、次のような意見を述べていた。

 手元の鑑賞事典などでとりあえず四例を並べてみたところ、二つの鑑賞において「しずかに想い見るべきだ」と訳されていた。でも「べきである」「べきだ」という現代語は、先に触れたとおり義務的な口調として残ったものだから、かなり押しつけがましく感じられてしまう。島木赤彦に書き送った歌とされていることからも、節は本来の文語の「べし」の〈適当〉の意で「想ってみるのがよかろうよ」くらいのつもりだったのではないだろうか。

 (「現代短歌の文体」、『短歌』62巻1号、2014年12月)


 四件の鑑賞文のうち二件が「べし」を「義務的」な意味に取っていた由で、今野はその解釈に反対し、「適当」の意味に取ることを提案する。

 とりあえず気になるのは、今野が見た四件のうち、残りの二件はどう解釈しているのかということである。「義務」説でないというのだから、ニュアンスのより柔らかい「適当」辺りであるはずだ。

 例えば、木俣修『近代短歌の鑑賞と批評』(明治書院、1964年)は、結句の大意を

 心のなかにしずかに感じとるがよい。


とまとめていた。支持する先行解釈の方を紹介しないというのは、紙数の都合もあるのだろうが、如何なものか。

 もう一つ気になるところがある。今野は「適当」説の根拠として、島木赤彦に書き送った歌であるということを挙げている。

 確かに、古典文法の参考書は、主語が二人称の「べし」は適当の意味であることが多いと教える。しかし、この歌が赤彦に寄せることを念頭に置いて詠んだものであるかどうかは、検討の余地がありそうだ。

 漸く昨日初秋の歌といふものを得申候。空想交りの歌に有之候。


というのが赤彦宛書簡の一節。元々赤彦と関わりなく作った歌をたまたま赤彦に披露しただけではないのか。


(2015.5.7 記)


 昨年の葛原妙子賞の受賞者は、元『原型』会員の百々登美子。その授賞式でのスピーチの模様を、佐佐木幸綱のブログが報告していた。

 この日の百々さんのスピーチは出色だった。
 斎藤史の弟子である百々さん。彼女の話は、斎藤史と百々さんとの関係、斎藤史と葛原妙子との関係、そして百々さんが葛原妙子賞を受賞したことを斎藤史がどう思っているだろうか、という話。

(『ほろ酔い日記』2014年6月4日、
  http://blog.goo.ne.jp/yukitsuna/e/7a9a1f3fd575712e1f76cf4b80972c23


 「斎藤史と葛原妙子との関係」について、百々がどのように語ったのか。詳しい内容は分からない。しかし、もしそれが二人の親密な交流を紹介するような話であったとしたら、私はむしろ驚く。


(2015.5.4 記)

 肝心の作品に対する批判的見解も、史の胸のうちにはあったらしい。雨宮雅子『斎藤史論』付載の談話で、史は次のようにも述べていた。

 ……葛原妙子さんの歌が、あるとき日本語の曲線をへし折っているのね。それはそれでおもしろさを出しているのはわかるの。でも感覚としておもしろいと思いながら、ことばとして無理があると思った。葛原さんがどんな基礎をもっていらっしゃるか、わたくしはそれ以上はいえないけれども、わたくしたちが使うのは日本語だから、しかも、それはことばそのものではなく短歌なのだから、曲線のへし折り方にも、折りあいがあっていいと感じたことがありましたね。(178-179頁)


 こちらは人格批判でなく、作品批判だから、はばかることなくその名を明示している。「日本語の曲線」とか、それを「へし折っている」とかは独特の言い回しだが、何を言おうとしているのか、解釈の余地がある。同じ談話で、

 日本語のリズムには外国語の韻律ともちがう内在的な音楽があるし、余韻がある、ということね。(略)だから、意味だけのことばでつづった歌とか、ことばをポキポキ折り散らしたような歌など、わたくし、どうしてもたのしめないのね。といって古典一点張りでは、とてもすみませんから、わたくしも時にへし折るようなことはやるけれども、そのなかで大切なのは、ことばの美しさということじゃないかしら。(177-178頁)

 
といったふうにも語っている。史自身の作品を理解する上でも、示唆を与えてくれるところだろう。ともかく、その「美しさ」がない、ということを史は否定的に捉えているのだ。

 作品に対するこの本質的な違和感に、作者の人となり、歌壇内評価の高さへの違和感が入り交じって、対談を拒否するような感情が生まれたものと思われる。

 なお当然ながら、その人となりとは、つまり史の目にはそう映り、史の耳にはそう聞こえてきたということだ。


(2015.5.2 記)

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Author:和爾猫
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