最新の頁   »  2015年04月27日
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 河野裕子は『密閉部落』(1959年)の一首、

標本瓶のこの脳髄も考へしや永遠といふやうな漠たることを


を取り上げて「長らく私は葛原妙子の歌とばかり思っていた」と書き、さらに、

 葛原の方が、美意識の先鋭化において、より顕著であるけれども、彼女の持つ、ふと人生を空虚に見てしまう視座の遠近法は、史に多くの影響を与えただろう。


と述べている(『斎藤史』鑑賞・現代短歌三、本阿弥書店、1997.10、77-78頁)。これが史の誇りをいたく傷つけたらしい。おそらく河野の著作が出版された直後のことだろう。カルチャーセンターの講義で、史は次のように語ったという。

 初め会った時には腰低く後輩として挨拶をして、次に有名になってから会うと、向うの方が賞もお取りになって、先輩面。さすがに気が咎めるから「わたしのほうが年上でね」って必ず言う。私は、一地方歌人には、一年に歌を注文してくる数だって滅多にありやしません。あちらは毎月のようにご注文があるから出来るはじから出していく。向うの方が先輩に見えますよ。私はそれを見て真似して書いたようになる。そう思ってます、今度出した河野さんの『斎藤史論』もそう。(「斎藤史講話」36、『原型』2009年4月)


 これまでに引いた史の発言と同じような内容で、先輩・後輩の関係や中央・地方の格差を強く意識するさまが目に付く。史が常に同時代の歌風に敏感だったのは確かだろうから、河野の指摘にも一旦は耳を傾ける価値があるはずだが、史本人はそれを断固として拒絶する。

 森岡貞香さんもわりに古いんです。ところが今の人は葛原妙子の方が先輩だと思っている。(同上)


 1930年代前半、二十代の史と十代の森岡貞香はともに『心の花』に出詠していた。だから、史は森岡に親近感を持っている。厭う相手は同じころ、まだ結社に属して定期的に歌を発表するということをしていない。そこで引用文のような言い方になる。

 ただ、何といっても、森岡は『葛原妙子全歌集』(短歌新聞社、1987年)の編者である。その森岡をやや強引に自分の側に引き込んでまで、尊大な後輩を落としたかった、ということか。


(2015.4.27 記)

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Author:和爾猫
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