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 木俣修と石川信雄は学生時代、北原白秋が顧問を務めていた結社『香蘭』に属し、モダニズムの洗礼を受けた新鋭同士として親しく交流した。下宿先が近かった時期などは毎日のように行き来していたという。

 その後、二人は袂をわかつことになる。石川が前川佐美雄と行動を共にして『カメレオン』『日本歌人』創刊に参加したのに対し、木俣は白秋のもとにとどまって『多磨』創刊の際も師に付き従った。

 『日本歌人』の『シネマ』批評特集号(1937年9月)に、木俣は「若き日の石川信雄」と題するエッセイを寄せている。全体的に覚めた調子ながら、さすがに石川の人となりをよく知っていると思わせるものだ。

 ……信雄ほどお茶の好きな男はなかつた。彼は酒のある風景を嫌つて、つねに美しい少女のゐる、いいレコードのある喫茶店を求めて行つた。酒のもたらす、あのくどいじめじめとした古風な世界が彼にはたまらなく嫌であつたのだと思ふ。


 「酒のある風景」や「酒のもたらす、あのくどいじめじめとした古風な世界」とは、日本の古い酒宴のイメージだろう。『シネマ』に、

アブサンに口を焼くころ瞳孔のひらいた少女(をとめ)わが前にゐき


という歌があるところを見ると、必ずしも酒そのものを近付けなかったわけではないらしい。ともあれ、木俣が上のように記した後に引いているのは、次の一首だ。

すぐにもう打明けたがる若者と交はりを断ちて今此処にある


 木俣は次のように言葉を続ける。

 かうした人情世界には、他の場合でも彼は耳をそむけた。明るい近代的な空気の中で、薫りのいゝコーヒーをすすつてゐるのなら何時間ゐてもよかつたのだ。彼が自然主義的な人情歌を白眼視したこと、彼の歌に明るさと香気があつて、そして言語の音楽をやかましく考へてゐることなどをこの彼の生活の一方向と結びつけて見ると実に興味がある。


 明るさ、香気、音楽性。『シネマ』の特徴を言い当てた言葉として納得できる。そして、それらは石川の実生活上の志向と一致していたというのである。

 石川本人の手に成るものだという、『シネマ』各歌の注釈を岩崎芳秋『石川信夫研究』(短歌新聞社、2004年)が紹介している。石川が何にいつ記したのか、だれがそれを所蔵しているのか、岩崎がそれをいかなる経緯で閲覧したのか。基本的な事柄が不明なので、その資料的価値の判断はしばらく留保せざるをえないが、ともかく上の引用歌に対する文言を見ると、次のようなものである。

 KI氏、OK氏等を言ふや。「エスプリ」より「短歌作品」への転換期において美学並倫理学に余は全く生れ変れり。SMの鞭撻とコクトオの試論〝赤と黒〟の影響による女々しさ、グチッポサを軽蔑せんとするや


 KIは、忍足ユミ「評伝石川信雄:非運の大器」6(『滄』78号、2013年8月)が指摘するとおり、筏井嘉一。また、SMは明らかに前川佐美雄のこと。では、OKは?

 そう、木俣修だろう。石川の意識の中では、「すぐにもう打明けたがる若者」の一人は木俣だったらしいのだ。木俣がそのことに気付きつつ、その歌を引いたのかどうかは分からない。ただ、「若き日の石川信雄」を読むかぎり、木俣の方でも自己と異質のものを石川の中に見ていたようだ。


(2014.8.24 記、2015.3.1 補記)

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Author:和爾猫
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