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今年したこと。

 松村正直『午前3時を過ぎて』の書評を書いた(『塔』8月号)。当ブログにその続きも書いています。

 三ヶ島葭子(秋山佐和子編・解説)『少女おもひで草』の書評を書いた(『玉ゆら』46号、10月)。拙文ながら、まずまず書きたいことを書いたと納得しています。

 田中綾さんのご紹介で、『現代短歌新聞』5月号のコラム「歌人の絆」に拙文を載せてもらった。内容はごっさんへの手紙です。恥ずかしながら私の顔写真も載っています。

 石原深予さんに教えられて、立命館大学図書館で白楊荘文庫所蔵の『エスプリ』『短歌作品』『カメレオン』『日本歌人』等を閲覧した。今年一番の収穫。ずっと探し続けて見付からなかったものが目の前にある!——興奮しました。

 このブログが一年間続いた! 仕事の合間にブログを更新するのは、いや、たいへんでした。内容はともかく、継続できたこと。それは怠け者の自分にしてはよくやった、と。


今年できなかったこと。来年したいこと。

 一年前の今日の記事に書いた「今年できなかったこと。来年したいこと。」を何一つしなかった。去年できていない時点で、自分にはそもそもできないことだったのかもしれないが……。斎藤史の評伝の資料は、その後も集め続けています。永井陽子論の資料はもう揃いました。後は書くだけです。


     §


 二十年前から毎年、大晦日の晩は、一人暮らしの恩師のお宅に母のお節料理を持ってお邪魔していた。いつも来客の多いお宅が大晦日の晩だけは静かだった。

 この夏、師が亡くなった。自分は正式な学問の弟子ではないので、遠くからお見送りをした。自分の生活もこうして一つ一つ店仕舞いに向かうのだと思う。

 よろしければ、来年も当ブログを覗いてやってください。


(2014年12月31日 記)

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 宮柊二の姉カウの写真が『若き日若き歌:群鶏自註』(本阿弥書店、1988年)に載っているのを見て、その顔立ちの美しさに驚いた。写真館で撮った写真で照明や背景がよく決まっているせいもあるのだろうが、それにしても都会のフラッパーから遠く隔たって、まるで菩薩さまのよう。


     §


 周知のとおり、『群鶏』(1946年)にこの姉をモデルにした一連「姉と瀬鳴り」がある。
 

くれぐれの職員室に残りゐて暗く顔上げし姉と対ひぬ


  「姉と瀬鳴り」より


 「職員」はあらゆる業界にいるが、「職員室」という語は「学校で、教師が授業以外の校務にたずさわる部屋」(デジタル大辞泉)に限られるようだ。引用歌も、教師として働く姉を訪ねた折りの作、ということになる。

 他の教師が去った後になお残業をしている姉のもの静かなたたずまいが一首のモチーフだろうが、結句の「対ひぬ」が全体の印象を平板にしてしまったか。この歌よりも、前の写真一枚の方が姉の人柄を雄弁に伝えてくれるようで、惜しい。


     §


 筑摩書房版『現代短歌全集』で『群鶏』の解題・解説を確かめようとしたら、なんと『群鶏』は収載されていないのだった。これにも驚いた。この全集から漏れている有名歌集の第一だろう。

 同全集第十巻(1946〜49年の部)には宮柊二の歌集から『小紺珠』『山西省』の二冊が採られている。たいていの歌人は一巻に一冊までだが、この巻では近藤芳美も『埃吹く街』『早春歌』の二冊。しかし、紙数の都合もあり、さすがに柊二の歌集だけ三冊採ることはできなかったのだろう。

 『山西省』は出征体験を題材にした特異な内容のものだから外せない。もう一冊、『群鶏』と『小紺珠』のどちらを採るかで編纂者の議論になったことは想像に難くない。「戦後派」と呼ばれた宮柊二の歌集であるだけに、その時代との関わりを重く見て、戦前・戦中の作が中心の『群鶏』を外し、戦後の作を収録する『小紺珠』を採ったものか。


(2014.12.30 記)

 一ノ関さんの掲載歌の続き。
 

いづこにも身ぐるみ剥がむとたくらめる優形(やさがた)ひそむ生き難き世ぞ



 「優形」に恐さがある。ただし、では具体的にどのような世相を思い浮かべればよいのかというと、私には今ひとつよく分からない。「生き難き世」が曖昧なのかもしれないと思う。惜しい。
 

戦争の実態を知らぬ宰相とおもへばどこか信用しがたし



 内容も音調も屈折がなく、分かりやすいところが逆にやや難か。戦争を知らないのはひとり宰相だけでなく、「わたし」も「あなた」もそうに違いないことに思い到れば、どこか他人事のような「信用しがたし」という結句にはならないのでは?
 

よき心すら残さぬ死といふを考へて埒もなきこととわらへり


 死についてそう考えることが埒もないこと、と解して読んだ。死が「よき心」すら残さないものだとしたら、「よき心」を持たない者にはその平等性がささやかな慰めになる。


(2014.12.28 記)

 一ノ関忠人さんの新作「シャガールの日」五十首が載っている。
 

すずむしの鳴く音すずしき草むらをゆきすぎむとすわれまた旅に



 「音」は、ネ。 スとズの繰り返しなど、調べの美しい一首。

 旅の途中の一コマを切り取った内容だが、見方を変えれば、日々の生活の一瞬一瞬もまた同じように出会いの場であって、誰もが常に新たな出会いをしている。しかも、その場にとどまることはできない。だから、「また」。
 

織田作『夫婦善哉』に続編のありしことただ泣けて嬉しき



 織田作が作者に決まっているので、初句は不要では? 続編とあるからには、夫婦善哉は著名な小説の題名以外にない。もしかすると、二重鍵括弧も不要かもしれない。

 しょうもない生活者への共感。それがしょうもない日常であっても、いやしょうもない日常であればこそ、昨日で途絶えたはずだった日常が賜物のように今日も続くことの喜び。もともと気高い心が目線を低くすると、このようなしみじみとした歌になる。


(2014.12.27 記)

 『小説新潮』最新号(2015年1月)掲載の北村薫「うた合わせ」に、当ブログ記事「暴王の死に関する異説」が少しだけ紹介されています。光栄です。


     §


 ウィキペディアの北村薫の項を見て、北村さんが県立高校の国語教師を十年以上していたこと、
 

 詩歌に通じており、『詩歌の待ち伏せ』など詩歌論の著書がある……



ことなど、初めて知った。「うた合わせ」も上記の号ですでに第41回とのことだが、こういう連載記事の存在も私は知らなかった。小説の商業誌に詩歌関係のコラムがあるとはあまり予想していないので、見落としてしまう。

 今回の「うた合わせ」に歌が引かれている歌人は、葛原妙子・中津昌子・浜田康敬の三名。当今の歌壇に流行りの人というわけでもない。この渋い人選を見ても、北村さんと短歌の関わりが昨日今日の話でないと分かる。

 なお、同コラムの引用歌の「暴君ネロ」は、「暴王ネロ」の誤写だ。


(2014.12.23 記)

 石川信雄『シネマ』の巻頭歌は、
 

春庭(はるには)は白や黄の花のまつさかりわが家(いへ)はもはやうしろに見えぬ



 初出を知らないが、私が未見の『短歌作品』1巻3号(1932年)かもしれない。
 

フランスの租界は庭もかいだんも窓も小部屋もあんずのさかり

  斎藤史『魚歌』



への影響を指摘する論考をどこかで読んだ気がするので、ちょっと探してみたが見つからなかった。どなたかご存じないですか? 

 確かにこの二首の用語は似通っているが、一方でその違いも見逃せない。「わが家はもはやうしろに見えぬ」は、生まれ育った家への反抗、過去の自分の生き方からの脱却などを表していると読める。モダニズムと単純に戯れているだけではないのだ。

 対する史の歌には、モダンへの憧れからはみ出す何かがない。どちらが垢抜けているかといえば、それは史の方だろう。加えて、「租界」の「あんず」といった具体の重しを付けて一首の印象を鮮明にする辺りは、早くも佐美雄や石川の亜流にとどまらないセンスのよさを示している。


     §


 ところで、「フランスの租界」の歌の一つの特徴は、「も」を四度も繰り返して場所を列挙する言い回しにある。これについては、『シネマ』の次の一首を参考に挙げておきたい。
 

新聞よ花道よ青いドオランよパイプよタイよ遠い合図よ



 こちらは、「よ」を付けて事物を列挙するだけで一首を成り立たせている。当時にあっては、ずいぶん思い切った作と見られただろう。

 初出は「新聞よ」が『短歌作品』2巻1号(1932年1月)で、「フランスの」が同2巻3号(同年3月)。また、史の「歌集『シネマ』」はこの「新聞よ」を引いて、
 

 人の作品ながら、これはもうその頃の私にはいつも髪にさす花のかんざしのやうに身近いものに思はれた。



と告白している。両者の影響関係を想定しない方が不自然というものだ。


(2014.12.21 記)

 嶋岡晨は、かつて笹原常与の詩について「レアレスト・ファンタスティック」と評した。なるほど、非合理的な風景を描きながら、この世の真実に確かに触れていると思わせるのは、『假泊港』のひとつの特徴である。否、優れた詩はすべてそういうものだろうか。
 

飛行機のかたちに 紙を折り畳んでゆく。
その時 風も一緒に折り畳む。
あまりに深く折り目をつけすぎて 青空の端まで折り畳んでしまう。
折り畳んだ風と青空をゆっくりほどいて 紙飛行機は飛んでゆく。


 (「紙飛行機」より)


影を踏んでいた子は 影に受け入れられて
そのまま 影の中からもどってこなかった。
それからというもの
影が その子をさがしている。


 (「影踏み」より)



 紙飛行機についての、影についての、世界についての認識が私の脳の中で更新される。そのことで、私自身もまた更新される。詩を読むとは、こういうことだろう。

 遺稿集をまとめる話があると里舘氏から聞いた。願わくば、『假泊港』の隣りに並べるのにふさわしい、美しい本を。


(2014.12.14 記)

 笹原常与さんが五年ほど前に亡くなっていたという。『やがて秋茄子に到る』批評会の会場で、港の人の里舘氏から教えられて驚いた。すぐにウェブ上で調べてみたが、何も分からなかった。こと日本文学に関するかぎり、一番知りたい情報はウェブ上に無い。

 三省堂版『現代詩大事典』(2008年)の「笹原常与」の項を担当したとき、経歴の一部が分からず、ご本人に手紙を出して問い合わせた。たいへん丁重なご返事を速達でいただいて恐縮した。筆跡、インク、封印……隅々まで上品な趣味の窺われるお手紙だった。

 強く印象に残っているのは、できるならば出身大学を記載しないでほしい、と書いてあったことだ。学歴社会に抗するというようなおおげさな思いを持っているわけではない——と断りつつ、理由を記していた。

 たかだか四年程度の大学生活がその者の成育史にいかほどの影響をもたらすのだろうか、その者の人となりはその者自身の実人生における主体的な生き方によってつちかわれる、それにもかかわらず終生学歴がついてまわる、そういった慣習をせめて私一個においては改めたい——。

 内容というよりその言葉、その表現自体に清潔な人柄がにじみ出ているようだった。笹原さんはさる有名大学の出身だが、私は結局その大学名を書かなかった。
 

しかし 時として 私は見ることがある。人々の心に沈黙が深まる時 おのづからにしてそこに現われる寂寥の海域 その水平線のあたりに 長い間行方を絶っていた寂寥の艦隊が姿を現わし 水面に船影を落としてしばし碇泊しているのを。



 港の人から2002年に出版された『假泊港』より、「寂寥の艦隊」の一節。歌人は助詞一つに至るまで神経を使うが、この詩人の言葉を吟味する態度たるや、それ以上である。

 笹原常与、私の心の中に棲み続ける詩人。そして、こんな言い方をすると堂園さんに悪いようだが、港の人が世に出した数多くの美しい本のなかでも、最も美しい本は『假泊港』にちがいない。


(2014.12.13 記)



笹原常与-1
(装飾を少なく抑えた本体表紙と箱。)

笹原常与-2
(頁の左隅に朱字の章題。)

笹原常与-3
(ノンブル表示が朱色なのが洒落ている。
 栞紐も同じ色。本文は頁の上半分に印刷。)


 中立の立場に立つとひとは言えど路地を濡らしてゆく昼の雨

   『午前3時を過ぎて』218頁



【語注】


 中立——
『広辞苑』第五版には、

 いずれにも味方せず、いずれにも敵対しないこと。国際法上、国家間の紛争や戦争に関与しないこと。いかなる軍事同盟にも参加しないこと。


 
とある。前の意味でなら日常生活でも使えるが、その場合でも後の「国際法上」「いかなる軍事同盟にも」の語感は残りそうである。

 となると、この語は家庭内や私的な友人関係では大仰すぎて使いにくく、社会生活における、より公的な組織に関わる場面などで使いやすい。この一首の「中立」も、そのような場面での発言を想像すればよいのだろう。

 ちなみに、『塔』のような大人数の結社に関わる場面では使いやすいかもしれない。


 濡らしてゆく——大雨にしても長雨にしても、路地がすでに濡れ切っているときには「濡らして」という認識が生まれないはずである。これは降り始めの雨だろう。しかも「〜てゆく」には、時間をかけてそうするという含みがありそうだ。だから、これは小雨だろう。


 昼の雨——とくに「昼」というのだから、雨が降っても暗くなく、寒くもない情景が想像される。



【鑑賞】

 第三句の逆接表現を受けた語句が第四句以下になく、代わりに「路地を濡らしてゆく昼の雨」とくる。この雨の風景を「ひと」の実態やら自己の心情やらの比喩と取ると、歌の世界が狭くなってつまらない。そのひとは中立でない、と言いたいのは明らかなのだから、その語句を省略して風景の叙述に転じたと解したい。

 その転じ方が自然でうるさくないところに、この歌の妙味もあるように思う。雨の様子が自己の心の有りように影響していると想像する自由は、もちろんある。

 ところで、「ひとは言えど」の逆接表現を消去して、試しに「ひと言えり」などに置き換えてみたら、歌意はどうなるだろうか。思うに、その場合でも、中立でないとの含意は変化しない。それはむしろ、ことさらに言うまでもないこととしてきっぱりと強調されることになる。

 この歌の「ひとは言えど」という表現を、私は支持する。この表現には、しまいまで発言することをためらう心の動きが表れている。要は、弁舌さわやかな人とそうでない人がいて、私はどちらの人が好きかという問題だ。



(2014.12.9 記)

 その1のように考えてみると、松村さんが言及しなかった助詞についてもうまく説明できる気がする。「連結を終りし貨車」の「を」である。

 本来オワルは自動詞だが、目的語を受けて他動詞的に使うこともあり、その用法は辞書にも載っている。しかし、そうだとしても、より素直に表現するならやはり「連結の終りし貨車」となるところではないか。私も試みに佐太郎の歌と私の改作を並べてみよう。
 

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音

連結終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音(改)



 「連結の」の方では、連結という動作において貨車が受け身の印象である。対して「連結を」では、貨車が連結の動作主になる。この助詞「を」の選択もまた、貨車自体の存在感を際立たせる効果があると思われるのである。


(2014.12.6 記)

 連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音

   佐藤佐太郎『帰潮』1952年


 松村さんのブログがこの歌の助詞の使い方に注目している。松村さんによれば、試みに助詞を入れ替えて「連結を終りし貨車に」と改作してみると、「非常にわかりやすく、そしてつまらない歌になる」という。
 

 本来「貨車は・・・連結の音」という言葉運びには、ねじれがある。読んだ時に違和感が残る。けれども、それがこの歌の味わいを生んでいるわけだ。

  松村正直「やさしい鮫日記」2014年11月30日付



 「貨車は」が主語かと思って読んでいくと、結句に至ってようやくそうではないと分かる。しかもなお、一首の意味はやや分かりにくい。「ねじれ」と「違和感」である。

 さて、分かりにくい方がおもしろいとは、どういうことか。

 佐太郎の歌と松村さんが試みた改作は、一応同じ情景を表したものと解しておこう。つまり、貨物列車の最後尾に新たに一両連結したとき、その音やら振動やらが連結済みの十数両に次々に伝わってゆく、ということである。

 では、「貨車に」と「貨車は」の違いは? 「貨車に」とすると、一首の中心は「音」になり、その背景が「貨車」。ところが、「貨車は」となると、貨車自体が中心であって、音はその一時的な付随物に過ぎない。

 読者の側から言えば、まず貨車の存在感を感じ、ついでその情景に音が変化を与えるのを楽しむということになる。そして、貨車の存在感があればあるほど、音のイメージを楽しめるようだ。松村さんのいう「味わい」とはこの物体の存在感、言い換えれば、情景の生々しさのことではなかろうか。


(2014.12.2 記)

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和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
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