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 『歌壇』11月号の篠弘「戦争と歌人たち」(13:斎藤史と抽象技法1)が斎藤史『魚歌』の歌について、

 師前川からの影響……



と記していることに驚いた。「水中という未知な場への憧れ」を示す前川佐美雄の歌が史に示唆を与えたとの指摘は興味深いが、それにしても「師前川」は筆が滑ったものではなかろうか。

 私の知るかぎり、私淑という意味でも、史が佐美雄に師事した事実はない。篠は『魚歌』所収の、

さかさまに樹液流れる野に住んでもくろむはただに復讐のこと
いきどほり激しきときに狙ひうつ弾丸
(たま)はたしかに雲を射抜けり



に「前川から受けた影響」を見ている。佐伯裕子『斎藤史の歌』(雁書館、1998年)がすでに指摘しているとおり、前の歌は確かに前川佐美雄『白鳳』(1941年)所収の一首、

野にかへり野に爬虫類をやしなふはつひに復讐にそなへむがため



の影響下に成ったものだろう。しかし、後の歌はどうか。篠によれば『白鳳』所収の

ピストルは玩具といふことを知りながらどんどん菖蒲の咲く池に撃つ



から影響を受けているとのことだが、それを言うなら石川信雄の

パイプをばピストルのごとく覗(ねら)ふとき白き鳩の一羽地に舞ひ落ちぬ

 『短歌作品』2巻1号(1932年1月)、『シネマ』所収



とも発想が似ている。空に向かって銃を構える点、「どんどん」撃たずに狙い撃つ点では、石川の歌は佐美雄の歌以上に史の歌に近い。そして何より、この石川の歌は史のお気に入りで、史による『シネマ』評(『日本歌人』1937年9月号)に引用されているのである。

 当時の新芸術派の歌について考えようとするなら、佐美雄と史の二人の関係だけに注目するのでなく、そこに石川を加えた三人の関係を見るべきだろう。

 なお、『白鳳』所収歌の初出の調査は従来あまり進んでいないようだが、「野にかへり」は『短歌作品』1巻1号(1931年1月)、「ピストルは」は『カメレオン』1巻1号(1933年6月)。石川の「パイプをば」が佐美雄の「ピストルは」に先んじていることにも注意する必要がある。


(2014.10.30 記)

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 ある平日の昼間に、たまたま岡野弘彦の講義を聴く機会があった。今から思うと、それは1996年の夏のことだったようだ。

 冒頭から、講義のテーマとは違う話が始まった。倉田千代子さんの遺歌集『風の森まで』の紹介だった。「私のところで歌を作っていた人で、三十五で病気で亡くなってしまったんですけれども、今度遺歌集が出たんです」といった言い方をされたような気がする。

 無口な人で、***の帰りに一緒にタクシーに乗ったことがありましたけど、隣りに座っても全然しゃべらないんです、ああいう人はちょっと、いないですね——というようなことも口にされた気がする。

 「ああいう人は」の言い方は、見下げる感じではなかった。逆に敬愛にも似た気持ちが伝わってくるようだった。

 迢空の歌を読み上げるときと同じ調子で、歌を三首読まれた。うち二首は、
 

少年の氷(ひ)のごとく清きまなざしを恋ひつつ行かむ風の森まで
現し身を削ぎてうたはむ歌はずば絆断たるるわれらと思ふ



 三首目は確か、結句に「〜てゐよ」とくる歌だった。

 三首ともに印象深く、心に残った。一度耳で聞いただけなのに、それから数年間、私はずっとその三首を空で覚えていたのである。

 しかし——年月はさらに流れ、いつの間にかそれらの歌の言い回しも忘れてしまった。かろうじて記憶に残ったのは、倉田さんの名前とわずかな語句の断片、それから冷たい熱(?)のような感覚。

 一ノ関忠人さんが砂子屋書房のサイト上に一首鑑賞の文章を連載中だが、先週更新のページで倉田さんの歌を取り上げている。上記三首のうち前の二首がそこに引かれていて、ああこれだった、と思い出した。倉田さんの名前と歌を、私は初めて文字で読んだ。


(2014.10.21 記)

 塚本邦雄『百珠百華』(1982年)は、葛原妙子の「暴王ネロ」の歌をめぐって、
 

 気管を百粒の石榴が塞ぐのも、美しい話ではあるまいか。



と述べる一方で、
 

 石榴の実に中つて死ぬのも、ネロにはふさはしからう。



とも記している。必ずしも「咽に詰まらせて窒息」説だけに固執していたわけではないだろう。太宰治「古典風」に登場するネロの父は、柘榴を食らった後に腹痛に襲われて死んだ。「柘榴を食ひて死にたり」と言っても、その死に方はいろいろと想像できるのである。

 そして、もう一つの読み方。「柘榴を食ひて死にたり」は、一義的には柘榴を食することと死ぬことの前後関係を表わしているだけで、因果関係を表わしているわけではない。前後関係の提示は因果関係を示唆する風ではあるが、そうでない読み方もまた可能だ。

 寺尾登志子『われは燃えむよ:葛原妙子論』(ながらみ書房、2003年)はこのもう一つの読み方、すなわち「柘榴を食ひて」を「暴王ネロ」の死因とは解さない立場、を採っている。
 

 「異説」の中のネロは自害の前に「復活」の果実を食べ、それから死んでいったという読みも成り立つように思われる。/悪辣非道の君主が断末魔に、永遠の命を渇仰して果てて逝ったと夢想すると時、「暴王ネロ」の相貌はにわかに悲劇性を帯びてくる。



 これが唯一の正解とは思わないが、解釈することの楽しみを十分に追体験させてくれる文章にはちがいない。これまで見えなかった風景が、ここに確かに広がっている。
 

 妙子は、史上まれなる暴君としてしか顧みられることのないネロに思いを馳せ、「暴王」なる存在の悲哀を一首に構成したのではないだろうか。だとすれば「美しきかな」には自らが作り上げた悲劇の「暴王」を悼む思いが読み取れよう。



 「窒息」だとか「激烈の腹痛に襲はれ、呻吟転輾」だとかに「美しきかな」の詠嘆は、考えてみれば随分と無神経だ。この点でも、私は寺尾説の方に魅力を感じる。

 太宰の影響があったとしても、葛原の歌は葛原のものだろう。


(2014.10.17 記)

 それにしても、「柘榴を食ひて死にたり」とは?

 川野里子さんは、
 

 柘榴を咽に詰まらせて窒息した……

   (明治書院版『名歌名句大事典』658頁)



と断定するが、これは歌の語句から想像される死に方の一例に過ぎない。塚本邦雄「倨傲なるべし:葛原妙子論」(『短歌』1992年9月)は先行テキストとして斎藤茂吉の一首、
 

むらさきの葡萄のたねはとほき世のアナクレオンの咽を塞ぎき


  『寒雲』1940年


を引用していた。川野さんはその影響を強く受け過ぎていると思う。


(2014.10.14 記)

 暴王ネロ柘榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな

   葛原妙子『朱霊』1971年



 もしもそのような異説があるならば——と仮定するわけだから、作中の論理としては、そのような異説は存在しないということになる。しかし、実際のところはどうなのだろうか。

 塚本邦雄『百珠百華』(1982年)は

 確かに、そのやうな異説があつたとしたら、楽しくもあり美しくもある。

  (154頁)



と記すだけで、何の文献も挙げていない。川野里子は、明治書院版『名歌名句大事典』(2012年)の当該の項で、

 この「異説」の出所はわからない……

  (658頁)



としている。どこかに出所があるのだろうか。

 これまでおそらく報告されていない一つの先行テキストを、ここに挙げておこう。それは、太宰治の短編小説「古典風」である。

 ネロが三歳の春を迎へて、ブラゼンバートは石榴を種子ごと食つて、激烈の腹痛に襲はれ、呻吟転輾の果死亡した。アグリパイナは折しも朝の入浴中なりしを、その死の確報に接し、ものも言はずに浴場から躍り出て、濡れた裸体に白布一枚をまとひ、息ひきとつた婿君の部屋のまへを素通りして、風の如く駈け込んでいつた部屋は、ネロの部屋であつた。



 ブラゼンバートは、ネロの父君との設定である。史実ではネロの父は別の名のようであり、「ブラゼンバート」なる名と柘榴の話に典拠があるのかどうか、私は知らない。ちなみに、母の名「アグリパイナ」は史実のとおり。

 いずれにせよ、息子の話と父の話という違いはあるものの、掲出歌と太宰のこの小説の記述とは、内容がよく似通っている。掲出歌の一切が作者自身の想像力にかかっていたとは考えにくい。


(2014.10.13 記)

青鷺つて青くないから心地よくこはれてからがほんとのあなた


  藪内亮輔


 大学時代に有職故実の授業で、「白馬節会」と書いてアオウマノセチエと読む、と知って「ホォ」と思ったものだ。ただ、これも元々の中国の行事では実際に青毛の馬を引いていたらしい。

 この青というのは現代人が思い浮かべる三原色の一つのことではなく、黒みを帯びた白とか白みを帯びた黒とかのことで、万葉集に出てくる「青雲」も薄い灰色の雲とされる。(そういえば、関係があるのかないのか知らないが、ロシアンブルーのブルーも灰色。)

 青鷺の青も同じ色合いを指す。だから青鷺は正真正銘、「青い」のである。

 しかし、掲出歌の「青鷺つて青くないから」の場合は、その内容のドウデモイイところにこそ一首の命があると思った。作者の意図は違うかも知れないが、私はこの「青鷺つて青くないから」を「あなた」の睦言として、一首全体を同衾の図として読んだ。


(2014.10.11 記)

 10月3日付の記事「ここにも編集後記がない」で、ちょっとした言葉のアヤで「顔を隠した自画像と同様に」と書いたのだが、昨日知り合いから聞いたところによると、『短歌研究』の昨年の何月号だかに新進歌人の作品特集があり、そこに付載された作者のポートレートのほとんどが、なんと本当に横向きか後ろ向きに写ったものだったという。

 記憶にないので、自分がたまたま手に取らなかった号かもしれない。


(2014.10.8 記)

淀川が遠くにひかりゆびさきにひとつの花がひらいて枯れる
わたしたらすぐに燃えるよ きをつけて わたしたちが燃えたらあつめて


  藪内亮輔



 一連に付けられたタイトルも写そうと思ったが、たいそう長いので省略。一首目、指先の花がささやかで愛らしい。

 この作者は言葉の音の響きと拍子を注意深く取り扱う人のようだ。平仮名を多用するのも、その姿勢の表れだろう。

 二首目、渡したら? 私たら? 私達? 渡した血? 燃えかすを集めてほしいのか、それとも人を集めてほしいのか、どちらだろう?


(2014.10.6 記)


 藪内さんのお名前の字の誤記を訂正しました。藪内さん、すみません。

(2014.10.8 記)

 2013年11月24日発行。奥付に「通常版」とあるので、別に特装版のようなものも出しているのだろう。幾何学模様の表紙絵(唐崎昭子)が美しい。出詠者、七名。私は初めて作品を読む人ばかり。

肋骨をかぞふるごとく愛撫して指は蛆虫よりよくぶかき
ちり紙にふはと包めば蝶の屍もわが手を照らしだす皐月闇
開花すなはち蕾の否定さみだれに打たるるあまり甘たるき香を
涙腺といふせせらぎがあなたにもわたしにもあり露草あをし


  吉田隼人「blue et azur」



 本誌では、美意識を最も感じさせる歌群。光と闇、生と死、肯定と否定の間で認識と感情がたちどころに反転し、また反転する。その揺れ幅の大きさが、何か若々しい。ことに惹かれたのは一首目。指を蛆虫と比較した瞬間に、性愛の対象のイメージが屍体のイメージと重なって感じられる。私の恍惚、を冷たく認識するもう一人の私、のさらなる恍惚、というような感じ。

 一連の作のところどころに西洋哲学の日本語訳風の言い回しが見える。三首目の「〜の否定」もその類と思われるが、それでもって「花」という和歌以来の主題に挑んでいるところにおもしろみがある。結句「甘たるき香を」は、漂わす等の述語を省略した表現なのだろうが、やや分かりにくいか。

 四首目は主題を、涙腺=せせらぎ、というような認識の組み換えにとどめることなく、露草の美の表現にまで繋げたことで、印象的な一首になった。


(2014.10.5 記)

朝の含嗽(うがひ)がおのののろろときこえたらそろそろオレも爺(ぢぢい)の部類



 うがいの勢いは、なるほど、若さを計る尺度になりそうだ。擬音語の「おのののろろ」がいかにも勢いのない音のようで可笑しい。

 「きこえたら」は仮定形で、まだそうは聞こえていないということになる。老いを感じつつ、すっかり認めたわけでもない、万年青年のような人物像が想像される。「オレ」という片仮名書きの若者風一人称もその印象を強調する。
 

電気釜にいま炊き上がる白飯のふつくらとして妻のごときよ



 結句の明け透けなことにちょっと驚く。「白飯」の読み方は、ハクハンでは料理番組の材料表のようで情緒に乏しい。古風にシライイと読むか、より俗っぽくシロメシと読むか。どちらも悪くないと思うが、どちらにするかで「妻」のイメージも変わりそうだ。

 ともかくも、飽かぬとやら。


(2014.10.5 記)

 『率』という若手歌人の同人誌の第4号(2013年11月)を見たら、これも編集後記がなかった。そして、やはり一頁分の「同人紹介」がある。もしかして、こういうのが近年の流行りなのだろうか。

 同人誌の編集後記は、その集団の空気を伝えてくれる。ときにはその発刊の経緯、集団としての主義主張、同人たちの人となりなども伝えてくれる。それらは作品鑑賞の一助になり得る。編集後記がないことに苛立つのは、作品を作品だけで鑑賞する苦労に耐えられない読者のわがままなのかもしれない。

 ただし、付ける習慣のものを付けないということも一つのメッセージである。顔を隠した自画像と同様に、それはむしろ過剰な自己愛と自己顕示欲を感じさせる。それがまた人を苛立たせるということもあるだろう。


(2014.10.4 記)

 「Act」という名の編集後記は今号も辛口、また辛口。しかし、「あとがき」の無い詩誌を「信用しない」との発言には、わが意を得た気がした。
 

 有名人なら看過するが、無名のアマチュアが中身だけ差し出す身の程知らずは片腹痛い。「あとがき」は編集人の痛みだ。責任だ。無傷の白紙で雑誌を閉じる傲慢の裏には、むしろ田舎者の饒舌なまでの言い訳さえ感じる。



 私はこのように激しい言葉を使えないし、「田舎者」の一語などは使わないが、全体の主旨には賛成だ。


     §


 昨年紀伊国屋書店で購入した同人誌『一角』は特集、短歌作品から表紙絵までまことに趣味のよいものだった。ただ一点、編集後記を欠くことだけはどうしても引っかかった。同誌の編集人も他の同人ももちろん「有名人」の方にちがいないが、それでも上の引用文は私が感じた違和感をほぼ代弁してくれている。

 同誌編集発行人の土岐友浩さんは、巻末の「寄稿者紹介」欄の自身の項に
 

 編集後記を書くスペースがありませんでした。



と記しているが、これまたおかしな言い訳だと思う。裏表紙の裏を白紙のまま残しているほか、本人作の短歌のために六頁も取っている。もしかすると、印象的な一角獣の絵の裏を文字で埋めたくなかったのかもしれない。その上、自作の頁を減らすのも嫌だと?


     §


 若者の同人誌をけなして、歴史ある大結社の機関誌を持ち上げるのは気が進まないが、『塔』の編集後記欄などはその内部の雰囲気をよく伝えていて興味を引く。
 

 「だから言わんこっちゃない」だとか「あなたは勝つものとおもつてゐましたか」などと、後になって言いたくないので今言っておきます。集団的自衛権行使容認が閣議決定されました。先立つ特定秘密保護法も可決成立しています。私はいずれにも反対です。政治信条を述べる場ではないでしょうし、それぞれに違った意見をお持ちの方もおられるでしょうが、ここで立場をはっきりさせておきます。全国大会の鼎談もそういった所に話が及びそうです。(永田淳、7月号)

 ついでに一言。私は特定秘密保護法も集団的自衛権行使容認も、日本の平和と安全に資するものだと思って賛成しています。塔編集部もいろいろな人がいて、多様性を維持しつつ運営されています。(小林信也、8月号)



 小林氏の文の要点は「多様性を維持しつつ」というところにある。ここから察するに、氏がこう書く以前に、誌面に表れないところで、永田淳氏の発言に対して、会員の誰かが異論を表明したのではなかろうか。この集団の活気を感じたことだ。


(2014.10.1 記)


 一部の表現を直しました。

(2014.10.4 追記)

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Author:和爾猫
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