最新の頁   »  2013年11月30日
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 1人の著者が近代の有名歌を網羅的に取り上げてあれこれ鑑賞するという本は、ありそうで、あまりなかったのではなかろうか。永田和宏『近代秀歌』(岩波新書、2013.1)はそういう本である。なお、近代短歌100首を取り上げているが、1人1首ではない。斎藤茂吉11首、石川啄木9首、与謝野晶子と若山牧水が8首ずつであり、この4人だけで36首分を占めている。

 以下、私の覚書。引用は全て同書より。

10頁〜

人恋ふはかなしきものと平城山にもとほりきつつ堪へがたかりき

  北見志保子『花のかげ』

 平井康三郎によって作曲され、日本歌曲の名曲として知られる「平城山」は、北見志保子のこの一首に曲をつけたものである。(略)私が小学生だったか、中学生だったかの頃は、学校の音楽の時間には必ず習う曲であった。

 北見志保子は不思議な歌人である。ほとんどこの一首だけで、短歌史に残る歌人となった。



 私の小学校時代と中学時代は昭和50年代から60年代にかけてだが、音楽の授業で「平城山」を習った記憶はない。はじめてこの歌曲を知ったのは大学時代で、日本歌曲のマニアである恩師の家で古いレコードを聴かせてもらったのである。今の小学校や中学校でも、この曲を教えていないだろう。そうだとすると、北見志保子の名もやがて忘れ去られることになろうか。

 著者は結句「堪へがたかりき」について「弱い」と評した後で、次のように記す。

 しかし、ここまで人口に膾炙した歌に、そのような評価はもはや必要あるまい。人を恋う、その悲しみの原点ともいうべき位置に、この歌は静かにぽつんと立っている。



 深く共感した。愛唱された歌に野暮は言わない方がいい。


37頁〜

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる


  石川啄木『一握の砂』


 「われ泣きぬれて/蟹とたはむる」とは、さすがに現在では恥しくて詠えないところだろう。



 本書には、しばしば歌人の視点からの発言が現れる。ここもその一つで、「恥しくて詠えない」といった言い方が自然に出てくる。歌人は、古典和歌も近代短歌も歌人の視点で読むのだろうか(批判ではなく、純粋に質問です)。

 本書の内容から離れて一首の感想をいえば、「蟹」という卑俗な生き物を出すところ、「たはむる」という言い方で感傷を戯画化するところなどに、近代らしさが感じられる。「東海」という漢語は短歌の用語としては珍しいと思うが、こういう硬い響きの語から歌い出すことで一首全体の調べを引き締めているのは見逃せない。こういった言葉の選択を、啄木は無意識のうちにすることができたのだろうか。それとも、相当推敲をしたのだろうか。

 総じて、啄木はいわゆる専門歌人からの評価は低い傾向がある(略)



 そ、そうなのか! 昔のアララギなどには啄木を軽く見る傾向があったかもしれないが、現代歌人の間でもそうなのだろうか。実際のところ、啄木よりおもしろい歌を作る歌人など、そうそういないと思うのだが。


(続く)


(2013.11.30 記)

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Author:和爾猫
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