最新の頁   »  2013年11月25日
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 近代の有名歌に関する諸説を集めた『諸説近代秀歌鑑賞』はまことに便利な本だが、あまり活用されていないらしいのが残念。どこの公共図書館にもたいてい入っているのに。

 使い方の例、1つ。長塚節の1首、

白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり



について、この本は「霧ながら」の解釈が分かれていることを指摘し、鹿児島寿蔵以下9名の文章を引いている。これを見ると、永田和宏『近代秀歌』(岩波新書、2013年)が

 朝霧のたちこめるなかに、その清楚な瓶に冷たい水を汲み入れたことだ、という意味になろう。



と書いたことに対して中村稔「人生に関する断章」19(『ユリイカ』7月号)が反論して、

 霧とともに水を汲んだ、という意と解すべきであろう。



と言い、それに今度は内山晶太「やわらかな叙述」(『塔』10月号)が反論、

 あえて文章化するとすれば、「霧の(ながれる)ままに、(その場所で、あるいはそのなかで)水を汲む」となるはずである。



と書いて永田を擁護していることなどは、従来繰り返されてきた議論をもう一度繰り返しているのであって、そこに何か新しい知見を加えているわけでもないということ、永田さんの本は別にしても、中村氏や内山さんの発言はわざわざそれを述べるだけの材料に乏しい憾みがあるということ、が分かる。


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Author:和爾猫
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