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 特集の中のエッセイから印象に残った言葉を引こう。

 十二月号発売時、無事出産できている保証はなく、自分の経験を総括したり、時代と照らし合わせたりできる心境にはない(略)。(石川美南「ぴんとこなさ」)


 他の九編は回想記。石川のエッセイだけが現在妊娠中の心境を語ったもので、迫真性の度合いが違う。

 バイトをして一人の家に帰ってくると、食欲がなく、(略)子供が生まれてしまえば、しばらくは働けなくなるから、夜は装幀の仕事を一生懸命やった。(花山周子「二〇一一年夏のこと。」)


 生活するにはお金が必要、子育てにはさらに必要。きれいごとでないことまでちゃんと書いてある。

 息子を抱いて私は幸せだった。(棚木恒寿「ガラガラポン」)


 この短い一文が醸し出す不穏な空気に驚いた。


(2018.12.10 記)

 先月中に買っておいたのを、今日ようやく読み始めた。特集は「妊娠・出産をめぐる歌」。吉川宏志の総論、本多稜による関係歌五十首選のほか、十名の歌人のエッセイを載せている。その十名は若手・中堅の人たちのようで、エッセイを見ると、うち五名が出産経験のある女性、四名が配偶者に出産経験のある男性、一名が妊娠中の女性であるらしい。

 それで自分の感想だが、何というか、歌人の誰がそのような条件に合致するのかを調べた編集者が恐い。


(2018.12.9 記)


 1940年10月24日付中河与一宛太田水穂書簡は拙稿「誰が桐谷侃三だったのか」に新資料として引用したものだが、その書簡に実はまだ判読に迷っている箇所がある——ということを一年ほど前、当ブログの記事に書いた。

 些かも不自然に無し、世人に必然観を与ふることと存じ……


と読んだ箇所だ。その「不自然に無し」辺りに違和感が残っていたのだった。

 ところが先日、そこは「不自然に無之」(フシゼンニコレナク)と読めるのではないか、と近代出版史が専門の浅岡邦雄氏から指摘された。私の蒙を啓く教えでとてもうれしく、いささか興奮した。

 以下、理由を述べて、当該箇所の読み方を氏の指摘の通りに訂正する。これはもちろん私の責任ですることであり、ご批判等は私が受けるものだ。


     §


 私が当該箇所に引っ掛かっていたのは、フシゼンニナシがどうも聞き慣れない言い回しであったからだ。その点、フシゼンニコレナクには違和感がない。

 では、字形はどうなのか。その箇所の画像を見よう。

 31 些かも不自然に無之 2 s47
 (画像a
  些かも不自然に無?、世人に必然観を)
 (ほぼ原寸大、以下同)

 「無」に続く一字は平仮名の「し」のように見える。しかし、「し」は元々「之」を崩した形なのだから、当然「之」とも読めるわけだ。

 ところで、この書簡には、ほかに平仮名の「し」および「じ」が延べ十六例ある。内訳は次の通り。

 「し」9例
  1 いたし 5例
  2 もし  3例
  3 せしめ 1例 

 「じ」7例
  4 存じ  6例
  5 信じ  1例


 この1から5まで、各一例の画像を見よう。

 06 お送いたしたく s47(画像b お送いたしたく)

 01 もし未だにて s47(画像c もし未だにて候はば)

 03 介在せしめ s47(画像d 介在せしめをり)

 24 存じますが s47(画像e 存じますが)

 00 信じます s47(画像f 信じます。)

 これらの「し」「じ」には注意すべき特徴が二つある。まず、起筆からほぼ真下に線を下ろしていること。これは十六例の全てに共通する。ついで、直前の字と連綿になっていること。こちらは「信じ」一例を除く十五例に共通する。また、「信じ」の場合も、「信」の末筆から「じ」の起筆までを連絡させる意識のあることは見て取れる。

 対して、問題の一字には、これらの特徴が明確にはみとめられない。線は起筆から直ちに右下へ流れる。直前の「無」の末筆から連絡させる意識も希薄なようだ。

 11 完膚無く s47(画像g 完膚無く)

 同じ書簡に「無」はもう一例ある(画像g)が、これを見ると必ずしも「無」以下が連綿にならないわけでもない。問題の箇所は、「無」とその次の字を意識的に単体に分けて書いたように見える。

 これらのことを併せ考えるに、その一字は平仮名の「し」とは区別して書いた字、すなわち漢字の「之」とみとめてよいのではないか。

 なお、この書簡の文字遣いは比較的平易で、返読を要する表記はほかに見当たらない。その中に一箇所だけ、返読を要する表記が紛れ込むものかどうか、若干気になるところだ。しかし、そのことを考慮しても、「不自然に無し」より「不自然に無之」と見る方が穏当だと思われる。

 以上の理由から、拙稿での読み方「不自然に無し」を取り下げ、「不自然に無之」に訂正したい。ご指摘をくださった浅岡邦雄氏に感謝します。


     §


 尚々、拙稿では画像bの箇所を「お送りいたしたく」としていたのだが、見ての通り、私の誤写だった。「お送いたしたく」に訂正する。


(2018.12.1 記)

 斉藤斎藤さんが昨日付の日経に市川保子『日本語誤用辞典』(スリーエーネットワーク、2010年)のブックレビューを寄稿し、平岡直子の一首、

三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった

(斉藤さんの文章からの孫引きです)


について次のように述べている。

 「悲しかった」と書くと、悲しい気持ちはもう過去で、今となってはいい思い出みたいだ。対して「悲しいだった」は、悲しい気持ちが当時でフリーズドライされ、お湯をそそげば今も悲しいということだろう。文法的には間違いだけど、気持ち的にはこれが正解なのだ。


 「悲しい気持ちが当時でフリーズドライされ、お湯をそそげば今も悲しい」というのは、気の利いた比喩だと思う。ほんとうにそうだな、と納得させられる。

 一方、「文法的には間違い」との指摘はどうか。たしかに、「……悲しいだった」はあまり聞かない言い回しではある。もしかすると、これはネットスラングの借用なのかもしれないし、作者としては幼児語のつもりで使ったものかもしれない。しかし、文法上、正しいか正しくないかといえば、これは正しい。もう完全に。

 いちいち説明するような野暮なことはしたくないが、まさに「フリーズドライ」的な言い回しなのだ。

 斉藤さんの今回のコラムで、平岡直子という歌人の名を初めて知った。この一首は名歌だと思う。三越のライオンという歌枕風の素材の選び方。それが見つけられない、といった余白の多い表現が読む者の想像を誘うところ。「悲しいだった」という独特の言い回し。その繰り返しが生み出す調子。

 そして、鍵括弧等を付ければ分かりやすくなるところを、あえて付けない表記の工夫。それで「悲しいだった」の独特さもより際立つ。

 現代短歌、やるね。


(2018.11.11 記)

 川本千栄編「澤辺元一年譜」の1968年の条に、

 前衛短歌の影響が濃厚な高安の歌集『虚像の鳩』が出版され、高安を経由してその影響を受ける。


とある。しかし、「澤辺元一100首選」を見ても、それらしい歌はなかなか見出せない。1992年の第一歌集『晩夏行』の一首だという、

ある日われに天降りしシャイな死神はきっと藤色 髪なびかせて


などは確かに非合理的な内容で、土屋文明調の初期作とは作風が異なる。ただ、前衛短歌かと言われると、それも少し違う気がする。「シャイな」という形容句、髪を「なびかせて」といった表現が幾分通俗的に感じられるのだ。

 「100首選」の中で明らかな前衛風は、私見では次の一首のみ。

モノクロのフィルムに血は黒かりき献血車「昭和」とどまる木陰


 これも『晩夏行』所収の由。名詞が多く、助詞がない下句の文体。結句の体言止め。比喩として深読みを誘ってやまない「献血車」の車名。そこに濃厚に感じられる批評の意識。塚本邦雄に学んだ跡をみとめてよいだろう。

 『塔』同号掲載の吉川宏志のエッセイ「青蟬通信:澤辺元一と「民」」がこの歌に言及している。吉川によれば、初出は『塔』1988年11月号だという。昭和天皇崩御の二ヶ月前である。

 下の句は難解だが、「昭和」という時代とは、若者に血を捧げさせる献血車のようなものだったのではないか、という思いがあるのだろう。昭和が終わる感動を詠んだ歌が沢山作られた中で、この一首には不気味な独特の手ざわりがあった。(吉川)


 献血車「昭和」は人々に血を捧げさせた時代の比喩、ということだろう。的確な解釈だと思う。

 この歌には「不気味な独特の手ざわり」がある、と吉川は記す。私も同じように感じた。では、その不気味さはどこから生まれてくるのか。

 一つは、上句の血の色だろう。献血車を前に、かつて見たモノクロの映画か写真の中の血を連想する、というのがこの歌の基本的な内容だ。作者自身は昭和の戦争を直接体験した世代。それなのに、わざわざモノクロのフィルムを通して過去を振り返っている。その過去と献血車の見える眼前の風景とを明確に区別して表現したかったためでもあろうが、同時にまた血の色に黒を配する効果を計算したためでもあろう。

 そして、不気味さの原因のもう一つは、献血車がいまだ木陰に駐車中との設定。人々に血の供出を求める政治はなおひそかに残存し、機会を窺っている——。その示唆は、なるほど、気味が悪い。

 塚本邦雄や岡井隆をもってしても、昭和の終わりを記念するにふさわしい一首を残すことはできなかった。中央歌壇では無名のままだった歌人に、その一首はあった。そのことを私は記憶しておこう。

 
(2018.11.6 記)

ガンジスの河岸に貧しき農夫らの汗混りいん我が選る綿に

(大木恵理子「『燎火』は孤独の魂を照らす灯り」の引用歌)


 「ガンジスの河岸に」の「に」に確かな技術がみとめられる。この「に」の働きによって、農夫らの活動しているさまが見えてくるのだと思う。仮に「ガンジスの河岸の貧しき農夫ら」としてみると、その動きが止まってしまう。

 ところで、短歌を読むとはどういうことか、この歌を知ってあらためて思うところがあった。一首の大意は、

 日本の私がいま選別している綿に、ガンジス川の岸辺で働く貧しい農夫の汗が混じっているだろう——


 しかし、私はこの歌を読むとき、こんなふうには読まない。また、「日本の私がいま選別している綿に」を単純に倒置した形で読むわけでもない。

 どう読むかというと——まず、ガンジス川が見える。次に、その川沿いに綿花畑が見え、質素な身なりで汗を垂らして立ち働く農夫の姿が見えてくる。最後に日本の工場だか倉庫だかで人が綿を手にしているさまが見え、それとガンジス川辺りの農夫との関連が理解される——と、こんな感じ。読む途中で想起されるあれこれのイメージは、確かに文脈によって「今、ここ」を中心に再配置される。しかし、同時に、それらは再配置される以前のまま、互いに等価のイメージでもあり続ける。私はこの歌の文脈を追う一方で、それぞれのイメージをただ純粋なイメージとして味わい、楽しむのだ。


(2018.11.2 記)

年稚き君らに残業を強うる我の論理は既にブルジョア経済学のもの

 (澤辺元一100首選)


 同じく、『遊水池』所収の由。マルクスの思想を知りながら会社経営に従事する葛藤——に取材した歌だ。結句の字余りがその葛藤の苦しさと共鳴する。必然性のある破調と言ってよいと思う。

 字余りの句とそうでない句の按配にも注意したい。「年稚き」の五音に続けて「君らに残業を」の九音、「論理は既に」の七音の後に「ブルジョア経済学のもの」の十三音。定型通りの句と破調の句を組み合わせるのは、これもやはり土屋文明の影響に違いない。そのようにして、破調が破調であることを保証するのである。

君達を搾取し我が身をも酷使しゆく小企業の現実というは厳しく

 (澤辺元一追悼座談会の引用歌)


 もう一首、題材の似た歌。字余りの効果も同様。そして、こちらもまた「君達を」の五音の後に「搾取し我が身をも」の句割れの九音、「小企業の現実と」の十一音に続けて「いうは厳しく」の七音といった具合である。

 なお、前の歌もそうだが、経営者の側にいて(澤辺は寝具等を製造する会社の役員だったという)社員に対して「君」と呼びかけているところに、作者の心の優しさが表れているようだ。もちろん、一首の内容は相手に直接伝えるべきものではない。心の中でひそかにこうつぶやいた、ということだろう。

 伝統和歌の「君」は、まず相聞の相手だった。では、近代以降の短歌の「君」は誰を指してきたのか。多様な「君」が、あるいはいたのかもしれない、と澤辺の歌を見て思う。


(2018.10.19 記)


なるべくは京都附近にて死にたしとつつましかりき兵われの願い

(「澤辺元一100首選」)


 1959年刊行の合同歌集『遊水池』所収とのこと。この一首の内容について、黒住嘉輝は「フィクション」とし、

 兵隊に行ってないもの、彼は実際はね。学徒動員は行ってるけど。


と発言している(「澤辺元一追悼座談会」)。「学徒動員」は勤労動員の意。しかし、川本千栄編「澤辺元一年譜」の1945年の条に、

 召集令状を受け、大隅半島に派遣されたがすぐ敗戦。十月、復員。


とある。同年譜によれば、澤辺は1926年1月生まれで、45年当時は神戸商業大学予科に在籍。同年1月に満十九歳になって、間もなく召集されたと考えられる。学徒出陣である。したがって、掲出歌は実体験に基づいていると見なしてよいのだろう。

 「附近」が散文風の単語だ。また、「死にたし」を助詞「と」で受けて、ただちに「つつましかりき」とつなぐ言い回しが幾分変わっていて、注意される。仮に倒置を元に戻して、表記を補えば、

「なるべくは京都附近にて死にたし」と。兵われの願い、つつましかりき。


となるか。軍では日記を付けることが奨励されていた。「なるべくは京都附近にて死にたし」は入隊直後、大隅半島に到着する以前の日記に残された一文で、それを戦後に読み返した感想が「つつましかりき」だったと私は推測する。

 もしも京都近辺で死ぬとしたら、それは本土決戦の終盤で、もはや敗戦間近だ。しかし、十九歳の彼の言葉に、そこまで深い意味はなかったかもしれない。生き残ることを当然のように断念し、ただ生まれ育った土地への愛着だけをわずかに示す。そのつつましさには迫真性があり、戦後の刻印は感じられない。心にとどめるに値する一首だと思う。


(2018.10.14 記)

 「澤辺元一100首選」ほか、この特集中に引かれた歌を私はこれまで全て知らなかった。何より印象的なのは、よい歌のあることだ。

若かりし父の放蕩もやや理解して日々綿塵の中に働く

(「澤辺元一100首選」)


 真中朋久「晩夏の挽歌」の指摘の通り、「綿を加工して布団などを作る会社は(略)家業を継ぐということであった」ことが一首の内容から推測される。工場の経営に苦労を重ねる中で、若き日に「放蕩」した父の心持ちも少し理解できるようになった、というのだ。

 そうだ。「理解できる」や「分かる」とする方がより自然な発想だろう。そこをあえて能動的に(?)「理解する」と言う。みずからの心の働きを、外部の少し離れたところから観察しているようでもある。このクールさが、作者の生活感情に対する読者の共感を可能にするのだと思う。

 なお、『塔』2013年1月号掲載のインタビューによれば、澤辺は『塔』参加以前に『アララギ』の文明選歌欄に出詠していた由。第二句の散文調がその選歌欄の直伝の作法と見られる。ことさらに「やや」などを付け、大幅に字を余らせるのである。

 第三句に「理解して」を置く形も高安国世などに先例がないか、調べてもよいかもしれない。


(2018.10.10 記)


 『塔』9月号の澤辺元一追悼特集に感銘を受けた。全二百四十六頁の二割、五十頁近くをこの特集に当てている。しかも、分量が多いだけではない。回想文・作品論から百首選・年譜・写真・故人をよく知る人のインタビューまで、完全版の趣がある。これを通読すれば、一人の歌人の全体像、つまりその作品・人柄・人生などがありありと迫ってくる。私はそれらに実に魅了された。

 澤辺はこの結社の創刊時からの同人にして元選者、「名誉会員」でもあったが、主宰者や代表者であったわけではない。そして、中央歌壇で名の通った人でもなかった。『塔』の編集長を務める松村正直さんがブログ「やさしい鮫日記」に次のように書いている。

こうした追悼の特集というのは、結社誌ならではのものだと思う。
総合誌には有名な歌人の追悼しか載らないし、同人誌でもあまり見ない。

結社とは何かという話がしばしば議論になるが、こうした追悼特集を組むところに、私は結社の特徴が滲んでいるように感じる。それは、システムや合理性という観点だけからは摑めない結社の本質であろう。

(9月13日付「「塔」2018年9月号 」)


 短歌の結社誌は遠く大正の頃から同人の追悼号を出してきた。松村さんの見方は、たしかに結社本来の姿を言い当てているかもしれない。


(2018.10.9 記)

 『現代短歌新聞』78号(9月5日付)の感想の四つ目。川野芽生「私達が聴かなかった声」について。

 当ブログの8月14日付の記事で取り上げた北村早紀の文章に続き、高島裕の時評「抵抗の拠点」(『未来』7月号)に反論しようとしたものだ。しかし、この川野の文章もまた、反論としては成立していない気がした。高島は元財務次官のセクハラ疑惑の一件をめぐって次のように記していた。

 この件で、とりわけ筆者が気になったのは、会話の一部分のみを、しかも一方の側の音声のみを切り取り、そこで確認できる発言内容をもって「セクハラである」と断定、断罪してしまったことだ。ここに露呈しているのは、言語観の貧しさである。生きた会話の中で出てきた言葉を、一切の文脈抜きで一義的に意味づけ、「セクハラ」の定義に照合するという手続きの過程では、言葉そのものが孕む多義性や、生きた会話がもたらすさまざまなニュアンス、当事者同士のこれまでの関わり合いや双方の性格などから生まれる雰囲気や文脈といった、言葉と、言葉をめぐる環境との重層性が、すべて切り捨てられてしまう。誰も反対できない正義の名において、生きた言葉が殺されてゆく。


 このうち〈会話の一部分のみを、しかも一方の側の音声のみを切り取り、そこで確認できる発言内容をもって「セクハラである」と断定、断罪してしまった〉の主語が省略されているが、この引用箇所の前を読むと、報道と報道に押された財務省が、ということだろう。こうした高島の主張に対して、川野は次のように述べる。

 しかし「生きた言葉」といった聞こえのよい言葉のもとに差別や暴力が温存されることこそ、私は警戒したい。ハラスメントはむしろ、言葉の多義性、言外の意味、当事者の関係性や立場、雰囲気、社会通念といった膨大な文脈を最大限利用して振るわれる暴力だからであり、その文脈に見ぬふりをしての、「ただ○○と言っただけで咎められるのか」といった言い抜けや擁護がしばしば通ってしまうのがこの社会だからだ。


 高島のいう「生きた言葉」を「聞こえのよい言葉」と捉える川野は、明らかに高島を批判しようとしている。しかし、高島と川野の文章を何度読み返しても、私には両者が遠く隔たっているようには思えなかった。「言葉の多義性、言外の意味、当事者の関係性や立場、雰囲気、社会通念といった膨大な文脈」を見る必要があるという点では、両者は一致しているのだ。

 だから、高島に対する川野の批判には無理があると私には思われる。

「生きた言葉」といった聞こえのよい言葉のもとに差別や暴力が温存されることこそ、私は警戒したい。


といった言い方は論理を超越している。川野自身の立場に徹するなら、「生きた言葉」の検証を通して差別や暴力を糾弾することになるはずだ。また、高島は常識的にはセクハラ発言としか思えない元次官の言葉について「言葉の多義性、言外の意味、当事者の関係性や立場」などを考慮してセクハラか否かを認定すべきだと主張したのだが、川野の

「ただ○○と言っただけで咎められるのか」といった言い抜けや擁護がしばしば通ってしまう……


は、その一言だけではセクハラ認定の判断が分かれるかもしれない○○発言について述べており、高島への反論にはなっていない。

 川野はいわゆるMe Too 運動を考える上で注意すべき点として、司法などの制度に頼れない現状が背景にあること、その分世論の支持を得る必要があるが、そのためには「理想の被害者」でなければならないこと、の二点を挙げつつ、文章全体の結語として「文学の役目」に言及する。

 制度でもポピュラリティでもない言葉をどこに求めればよいのか。それこそが文学の役目だろう。(略)自分の足元の深淵を覗き込む覚悟で、他者の言葉に耳を傾けること、文学の未来はその先にしかない。


 まっとうな文学論だと思う。ただ、元次官をも、またその告発者の職業倫理を問う者をもまずは「他者」として遇するべきだ、というのが高島の意見なのだ。とすれば、川野の文学論は、やはり高島への反論にはなっていない。

 思うに、両者の間にあるのは文学論の対立ではない。その件では、二人の言葉は奇妙なまでによく似ている。では、何の対立か。結局のところ、川野は元次官のセクハラ認定に賛成であり、高島がその認定に消極的であるということが許せないのだろう。


(2018.9.5 記)

 『現代短歌新聞』78号(9月5日付)の感想の三つ目。染野太朗「異化について」について。

 嵯峨直樹『みずからの火』(KADOKAWA、2018年)のブックレビュー。これを読んで嵯峨直樹という歌人の名を初めて知った。ウィキペディアを見たら四十代半ばの人で、『みずからの火』以前にすでに二冊の歌集があるとのこと。自分に現代短歌の知識が無いことを再認識する。引用歌がとてもいい。

枝ふとく春夜をはしる絶叫をあやうく封じ込めて静寂

炎症のように広がる群落のところどころは枯れながら咲く


 言葉のつなげ方が上手。『未来』所属の由だが、近代短歌(戦後短歌?)の修辞法をしっかり学んで自己のものとしているように感じられる。枝が太く「はしる」とか、「〜て静寂」で止めるところとか。あるいは、花の群落全体のイメージを出した後に助詞「の」をはさんで「ところどころ」の部分に転じる、その「の」の使い方とか。

 染野は、

 ことばによる現実空間の異化、ということをつよく意識させる。対象をめぐる〈異化以前/以後〉という二段構えが見えてくる。


という。また、

 おもしろいのは、しかし、その異化に至った動機の部分が見えにくいこと。


とし、「歌があらわすのは、情や批評ではなくあくまでも景だ」と指摘する。写実派のよき後継者ということになろうか。

内へ内へ影を引っ張る家具たちに囲われながら私らの火

内側にしおれて四肢はあかつきの光をかえす湖水のようだ


 こちらの歌について染野は、

 「家具」「四肢」をめぐる二段構えが見えにくい。このとき、ことばはもはや異化のための〈道具〉ではない。


という。前の二首などの発展形として、後の二首の方をより高く染野は評価しているようだ。しかし、「異化以後」と二重写しで「異化以前」の景も想像できる前の二首の方が、私にはおもしろい。この辺りは好みの問題だろうか。
 

(2018.9.4 記)

 『現代短歌新聞』78号(9月5日付)の感想の二つ目。瀬戸夏子「デザインの書」について。

 手に取る雑誌などに瀬戸夏子の文章があれば、喜んで読むのが近ごろの私だ。文中に必ず何かの主張があり、しかもその主張に借り物っぽさがないので、読んでいてまず単純におもしろい。行儀の良さ、悪さのバランスも取れている。俗な言い方をすれば短歌の世界にはあまり見かけない、お金の取れる文章だと思う。

 これは加藤治郎の最新歌集『Confusion』のブックレビュー。しかし、今どきの歌集評には珍しく、一首の歌も引用しない。もちろん、意図してそうしたのものだろう。瀬戸は、

 みずからが選ぶレイアウト(引用者注—たとえば、どこで改行するか)そのものが、詩が詩である所以を露呈してしまうのが現代詩である……


と規定した上で、現代詩よりも「加藤の短歌のほうが圧倒的にプレーンなテキストだ」とする。そして、それゆえに「いぬのせなか座」によるブックデザインが映えるのだという。加藤のテキストは何だが、「いぬのせなか座」のデザインはよい……と言っているようにも見える。たぶんこれは辛口というか、悪口なのだが、適度にぼかしが入っているので、読んだ後味はそれほど悪くならない。

 さて、この歌集は、詩人野村喜和夫との対談「詩型融合のクロニクル」が全体の三分の一以上の頁を占める。巻末には「詩型融合」の年表まで付いていて、そこには与謝野鉄幹『東西南北』(1896年)から江田浩司『想像は私のフィギュールに意匠の傷をつける』(2016年)に至る四十四点の本が記載されている。そして、タイトルは融合をひっくり返した「混乱」。ところが瀬戸は、

 この本は《詩型融合》の書ではない、というのが私の認識だ。


という。「加藤の念頭に置かれている相手は現代詩」だが、加藤の短歌は「プレーンなテキスト」であり、

 現代詩の生命線であるレイアウトに、加藤は参加していない。


というのが理由だ。ここは断言調で、爽快。ただ、断言の内容には疑問が残った。「詩型融合」の定義を加藤は、こう明示している。

 1冊の著作/作品に、複数の詩型を融合。(132頁)


 かつ、詩型としては音数律詩・自由詩・短歌・長歌・旋頭歌・俳句に加え、散文・挿絵・講演録までを挙げる。この定義によれば、短歌のほかに俳句・エッセイ・時評・対談の記録まで含む『Confusion』は明らかに「詩型融合」の範疇に入るだろう。

 瀬戸は加藤とは異なる「詩型融合」の定義を立てて、加藤の歌集はそれに当てはまらないと主張しているように思われる。そうだとすれば、それは瀬戸自身以外には関心の持ちにくい話題だ。

 また、別の疑問もある。仮に瀬戸の定義に従うとしても、『Confusion』は「詩型融合」の範疇に入ってしまうのではないか。短歌・俳句・散文の混在はただそれだけでも——つまり「いぬのせなか座」によるレイアウトが無かったとしても——、それ自体がレイアウトの結果ということになるのではないのか。
 

(2018.9.3 記)

 『現代短歌新聞』78号(2018年9月5日付)を一見しての感想をいくつか。まず大井学「浜田到の百年」について。

 浜田到生誕百年だという。没後も作品が読み継がれる歌人は多くない。到の作品にそれだけの力があるということ、そして到に言及し続けた人たちの言葉に力があったということだろう。

 これは『浜田到:歌と詩の生涯』(角川書店、2007年)の著者が到を紹介する記事。塚本邦雄の「多様な喩法による歌の拡張」と到の詩性は「相似であっても、相同ではない」とした上で、

 塚本、浜田から時代を経た現在において、両者を統合した方法論が受容、展開されているようにも思われる。


と述べ、現代の若手歌人の作二首、

すいみんと死とのあはひに羽化の蟬。翅のみどりに透いてあるはも
  吉田隼人


わが生まぬ少女薔薇園を駆けゆけりこの世の薔薇の棘鋭からむに
  睦月都


を挙げているところに興味を引かれた(私は現代短歌の知識がないので、この二首の出典がわからない。大井の文章からの孫引きです)。「すいみんと死とのあはひに」「わが生まぬ少女薔薇園を」といった世界の把握の仕方、あるいは世界の作り方がどこか浜田到に似ている気がする。しかし、では具体的にどこが似ているのかというと、私には説明できない。大井のもっと詳しい解説を読みたいと思った。


(2018.9.2 記)


 2 東直子 VS 加藤治郎 

 加藤さんのなかではニューウェーブの歴史というのは、この4人の作品を考えるということですか。
加藤 はい、そうです。
 4人一人ひとりは違うのかなと思うんですが。
加藤 今の段階ではそうですけど、今後もっと議論すべきところですね。
 そうだと思います。穂村さんはどうですか。

 (『ねむらない樹』vol.1、80頁)


 この辺りは、当ブログの過去の記事に載せた私のメモと重複する箇所だが、比較してみるとそれぞれの言い回しが少しずつ違う。私のメモは当然、東や加藤の発言の一言一句を漏らさず拾えているわけではない。一方、『ねむらない樹』の記録の方もあちらこちらに細かな省略はあるようだ。座談会の記録とはそういうものだろう。

 加藤の「今の段階ではそうですけど」の「そう」は、文字で読み返してみると、その指示対象が何なのかが分かりにくいようだ。しかし、会場で聴いていたときにはそれほど分かりにくく感じなかった。「今の自分はニューウェーブ=四人と考えているが、今後も議論を続けるべきだ」といった意味なのだろう。

 なお、末尾の「穂村さんはどうですか」は司会の荻原の発言だった気がする。東がそこまで話の進行を取り仕切っていたわけではない。


 3 穂村弘 VS 東直子

穂村 冒頭にあったお話ではニューウェーブは同人誌「フォルテ」発で荻原さんが書かれた「現代短歌のニューウェーブ」経由という定義が先にあったんでしょう。そこにあげられた人たちが、偶然性に乗ってエスツープロジェクトをつくり、『岩波現代短歌辞典』に項目ができたという。だからこの質問はやっぱり、ニューウェーブの定義の問い直しってことだと思う。個別の人の価値評価に関しては、僕すごく一人ひとり論じているよね。
 そうですよね。
穂村 でもこれらをニューウェーブと呼びましょうと誰かが言っても、いままでの歴史的な経緯から見直さないと変になるんじゃない? ニューウェーブ世代を私は「わがまま」という言葉で捉え直そうとしたけど、それは一人ひとり信じているものが違いすぎて運動体ではありえない、という意味合いを持っていたと思う。

 (同頁)


 『ねむらない樹』の記録で、実際の発言と最も大きく違っているのはこの場面の穂村の言葉だろう。当ブログの記事に掲載済みの私のメモを再掲しておこう。

 穂村 ここで言っているニューウェーブって、先に荻原さんの新聞記事発の定義があったんでしょ? それで、そこに推された人たちが偶然性に乗って……。だから、その質問は何となくニューウェーブの定義返しみたいなところがあると思うんだけど。今名前が出た一人一人の女性の価値評価に関しては、僕、すごく論じてるよね。でも、じゃあそれをニューウェーブと呼びましょう、と僕らの間で言っても、今までの歴史的な経緯があるから、それは変になるんじゃないの?


 ここは、私のメモの方が実際の発言に近いはずだ。『ねむらない樹』の記録は、校正段階でかなり加筆されたのだろう。主な変更は四点。

(1)「荻原さんの新聞記事発の定義」→「同人誌「フォルテ」発で荻原さんが書かれた「現代短歌のニューウェーブ」経由という定義」

(2)「定義返し」→「定義の問い直し」

(3)「いままでの歴史的な経緯があるから、それは変になる」→「いままでの歴史的な経緯から見直さないと変になる」

(4)末尾「ニューウェーブ世代を私は」以下を追加。


 元々の発言の主旨は明確だった。つまり、荻原の記事がニューウェーブを定義した。それ以後、同時期の女性歌人はニューウェーブとは呼ばれてこなかった。だから、今になってそれら女性歌人をニューウェーブと呼ぶのも変だ——といったところで、ニューウェーブは荻原・加藤・西田・穂村の四人との説を肯定しているのだ。

 ところが、まず(1)記録に「フォルテ」の名を追加したことで、ニューウェーブの定義の根拠はいくらか曖昧になった。次に(2)「定義返し」は再定義の意で、東を「従来の定義を否定する者」、つまり従来の定義を肯定する自分にとっての論争相手と見なしていたのだが、「定義の問い直し」はせいぜい再定義の検討程度の意味だ。東との対立の度合いは弱まった。さらに(3)元々の発言は「歴史的な経緯があるから定義の変更は不可能」との意味だった。記録の方は「歴史的な経緯から見直すなら定義の変更も可能」との含意があるように思われる。

 (4)は「ニューウェーブの再定義は変になる」ということの論拠であるべきだが、それにしては飛躍がある。その飛躍を埋める作業は不可能ではなさそうだが、それをするのはひどく面倒に感じられる。なんだかよく分からない話にしてしまうのが真意ではないかと勘ぐりたくなる。

 いずれにせよ、ニューウェーブ四人説から穂村はひそかに離脱しようとしているのではないか。一方でニューウェーブの人数を増やして考える立場とも距離を置いている。自分の見解を巧妙にぼやかそうとしているように私には見える。


(2018.8.16 記)

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Author:和爾猫
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