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 4 処分を公表しないこと

 連絡内容の取扱いについてAが同ハラスメント委員会に問い合わせたところ、次のような回答があったという。

・未来短歌会としては、厳重注意を行ったことを公表する予定はない
・厳重注意をもって決着としてよいのであれば、Aさんが適当と考える方々に対して情報共有することを妨げるものではない


 未来短歌会として処分を公表しないというのは、法的リスクを避ける意図だろう。つまり、処分を受けた者から名誉毀損で損害賠償請求されること等を回避するのである。Aの#MeToo告発は中島のブログ上でなされたものだが、そのことで中島は相手方から700万円の損害賠償を請求されたという。同会はもちろんその経緯も把握しているだろう。数百名の会員を擁する結社として、法的リスクの回避は当然の判断だと思う。

 一方で、Aと他の人々との情報共有は妨げないという。この言い方がこういった場合の定型文なのかどうか、私は知らない。Aと誰かの情報共有を制限する権限など、そもそも未来短歌会は持っていない。好意的に見れば、これは処分の公表を望むAの心情に可能な範囲で応えようとしたものだろう。悪く言えば、法的リスクをAに押し付けたのだ。〈公表〉を〈情報共有〉と言い換えたところも抜け目がない感じがする。後者の言い方なら、名誉毀損を教唆したわけではないと言い逃れができるかもしれない。

 これらの回答に対して、Aは次のコメントを中島のブログに寄せた。
 

 私(A)としては短歌界全体に向けた啓発として厳重注意を行ったことを未来短歌会自ら公開してほしい思いはあります。


 こちらももっともな意見表明だと思う。厳重注意の処分を広く公表すれば、再発防止の効果が未来短歌会から歌壇全体まで及ぶことも期待できる。

 これについてはハラスメント委員会も色々と検討を重ねたのだろうが、〈公表する予定はない〉との言い方が素っ気ない印象を与えた。例えば、公表する際に処分の対象者を匿名にすれば、その分だけ法的リスクを軽減できるはずだ。公表の範囲を未来短歌会の会員に限定することも一案として考えられる。リスク回避とバランスを取りつつ、もう一歩踏み込んで対応してもよかったかと思う。


 5 他の論点等

 当該選者の反応や弁明について厳重注意と謝罪勧告に対して当該選者がどのような反応を示したか、その場で弁明等したのかどうかは伝えられていない。ただ、処分の済んだことを未来短歌会がAに連絡してきたのだから、同選者がその処分に従ったことは間違いないだろう。これは非常に重要なことだ。〈2013年頃から2019年頃にかけて、歌会の前後の茶話会や飲み会で〉同選者がAに対し手を握ったり体を密着させたりしてAに苦痛を感じさせた、ということについては、同選者本人もハラスメント委員会の事実認定を受け入れたのだ。

 Aの現在昨年10月20日付の中島のブログ記事の中でAは、

 私は現在もフラッシュバックや鬱の症状が強く、告発内容(実際は2013~2019年に及びます)についてさらなる聴取を受けるのは耐えがたい状態にあります。


と発言している。Aの元々の#MeTooは〈体を密着〉以上の重大な人権侵害を告発するものだった。ハラスメント委員会がそれを事実認定の中に含めなかった一番の理由は、Aの心の不調により必要な聴取ができなかったことだと見られる。しかし、前に触れた通り、Aと同会は一時期確かに接触していた。その頃の同会の対応に問題があってAの心の不調に影響したのではないかと私は疑っている。

 なお、未来短歌会の今回の処置をAが受け入れたのは、それに完全に納得したからではない。自身の心の不調を考慮した上で決断したということだ。

 #MeToo告発から当該選者の処分まで四年近くかかったことについて専従の職員がいない短歌結社の場合、一定程度対応が遅れることはやむを得ない。しかし、四年は時間がかかり過ぎだ、というのが一般的な感覚ではないか。

 追加の聴取無しで今回の処分が出せたということは、もっと早い時期にそれが可能だったことを示している。より重大な人権侵害についても事実確認を試みているうちに時間が経ってしまったということかもしれない。そうであれば、ここに至るまでに、その時々の見通しを定期的にAに伝えるなどの配慮があってもよかった気がする。

 未来短歌会が謝罪したことについて未来短歌会は本件の当事者だ、と私は拙ブログの過去の記事において主張した。A宛の連絡内容を見ると、末尾に同会からの謝罪の言葉がある。私の主張が通った形だ。


 6 おわりに

 中島の昨年10月20日付ブログ記事によると、Aの告発に協力してきた中島のもとには、

「いまだに言及しつづけるだなんて粘着質だ」
「自分のことを正しいと思っている」


というような声が寄せられているという。いずれも中島裕介の気質や思考パターンが議論の対象であるかのような言い草で、論点のすり替えと問題の矮小化を指摘せざるを得ない。そういったやり口を退けるために有効なのは、中島以外の者が問題に正対し、公開の場でそれに論及することだ。そのような思いもあって、この記事を書いた。


(2024.1.17 記 終)

 2 事実認定

 当該選者に〈厳重に注意〉したとの結果報告は明快だ。当然、その処分の前提として何らかの事実認定をしたことになる。つまり、〈2013年頃から2019年頃にかけて、歌会の前後の茶話会や飲み会で〉同選者がAに対し手を握ったり体を密着させたりし、Aはそのことを苦痛に感じた、ということを未来短歌会は事実と認めたのだろう。ただし、〈ご相談者のご要望通り対応することが最善との結論になった〉という言い方は幾分曖昧に感じられる。企業等のハラスメント対応の定型文なのかどうか、私には分からない。

 なお、2019年にAが中島のブログを通して告発した#MeTooは茶話会や飲み会の件どころではない、より重大な人権侵害を含む事柄だった。Aが未来短歌会のハラスメント委員会に相談した際に、そういった事柄を全く伝えなかったとは考えにくい。ところが、中島の昨年10月20日付ブログ記事を見る限り、今回の未来短歌会の連絡内容にはそのことへの言及がない。

 ハラスメント委員会としては事実認定に含めることができなかったが、一方でそれを言明することも避けたということだろう。同委員会が苦慮したところだと想像する。ただ、本来なら、そのような事実認定の仕方はAにとって受け入れがたいものだったはずだ。また、事実でないとも明言されなかったことは、当該選者の側から見ても満足とはいかないところだろう。

 より重大な事柄について明確な判断を示すことができなかったのはなぜなのか、どこでどうすれば事実か否かを推断できたのか。今後のハラスメント対応に課題を残したと言える。


 3 ハラスメントに対する処分

 引用文の通り、当該選者への処分は厳重注意と謝罪勧告である。ハラスメント委員長により〈理事会の席上、当該選者に対し、自らの立場を自覚し行為を猛省するとともに、可能ならば被害者と思われる人物に謝罪をするよう(略)注意および謝罪勧告〉がなされたという。

 まず、厳重注意についてこの処分が未来短歌会の会則等に拠ったものかどうか、私は知らない。いずれにせよ、最も重い処分ではないのだろう。これは人前で〈手を握ったり体を密着させたり〉という、事実認定できた事柄だけに対しての処分であって、より重大な人権侵害に対する処分ではないのだ。

 一点、どうしても気になってしまうのは、被害者が去って加害者が残る現状だ。ここは何とかならないものだろうか。

 加藤治郎のブログ記事、および〈2019年頃にかけて〉という被害の事実認定から推測するに、Aは#MeToo告発と同じ2019年に退会したようだ。ハラスメントから逃れるために退会したと推定するほかあるまい。未来短歌会は数百名の会員を抱える巨大結社で、各選者の選歌欄はそれぞれ独立結社のようだと聞くが、だからといって別の選歌欄に移れば済むという問題でもないだろう。未来短歌会に復帰したいとの希望は、A自身にはもうないのかもしれない。

 それにしても、だ。Aの復帰がいつの日か可能になるような環境作りをもっと進められないものだろうか。ハラスメント委員長による〈ハラスメント防止の取組みの徹底・強化〉の要請に呼応し、各選者らが自身の選歌欄の安全安心を会員のために保証するとか、会員有志が連帯して反ハラスメントの意志を確認するとか。

 ちなみに、私が所属するのは代表兼選者一名、会員二十数名の弱小結社だが、仮に私たちの選者に同様の問題が起きでもしたらその求心力はたちまち失われ、結社自体が崩壊すると予想する。小結社はそうなり、大結社はそうならないとしたら、それはなぜなのかと思う。

 次に、謝罪勧告についてハラスメント委員会はAの意思を確認した上でこの勧告を出したのだろうか。もしそうでなかったとしたら、この勧告は問題だ。謝ると言われても、ハラスメントの被害者が加害者との対面を望むとは限らない。被害者はしばしば加害者に強い恐怖を感じているからだ。この勧告が新たなトラブルを生むことにならないか、危惧される。

 なお、ハラスメント委員会は謝罪すべき相手を〈被害者と思われる人物〉とし、処分の対象者や他の理事会出席者に対してAの名を伏せた。Aの安全とプライバシーを守る配慮だろう。あるいは、これはA本人の要望に沿った対応だったかもしれない。ハラスメントの被害者が報復を恐れて匿名を希望することは十分理解できる。

 ただ、同委員会のこの判断には議論の余地もあると思われる。一般論としては、告発された側もまた抗弁する権利を持つ。誰が告発したのか知らされないままでは、抗弁が困難になる可能性も否定できない。

 それについては、ハラスメント委員会も慎重に検討したにちがいない。事実認定した加害行為の程度、それに対する処分の軽重をも勘案した上で、Aの名を伏せることも可能だと判断したのだろう。その判断を私も支持したい。ただし、もしもっと重大な人権侵害について、例えば除名といった重い処分を科すとしたら、そのときは被害者の名を出すか伏せるかをあらためて検討する必要があると思う。


(2024.1.16 記 続く)

 1 はじめに

 昨年10月以降、未来短歌会の公式サイトは時々覗いていたのだが、中島裕介のブログはしばらく閲覧を怠っていた。それでその間の同会の動向については何も知るところがなかった。先月になって内野光子や中島と私的なメール交換をして、やっと情報に接した次第。周回遅れのようで恥ずかしい……。

 拙ブログでも取り上げてきた未来短歌会の一選者に対する#MeTooの問題は、ともかくも決着に至ったようだ。同会からは何も発表がないが、中島の昨年10月20日付ブログ記事に詳しい報告がある。その主旨は次の三点。

1)未来短歌会として同会選者によるセクシャルハラスメントを事実と認め、同人に厳重注意を行った旨、同会から#MeToo告発者の元会員A宛に連絡があった。

2)Aは同会の対応に完全には納得していないが、総合的見地からそれを受け入れ、告発を終えることにした。

3)これまで告発に関心を持ってきた者に対して情報共有することが適当だとのAの意向により、中島がこの記事を公開する。


 拙ブログは同年9月20日付記事で未来短歌会の対応の遅れを批判し、〈フェードアウトにしてはいけない〉と書いた。それを目にしたわけでもなかろうが、同会の〈対応〉はそこから一ヶ月と経たないうちになされたことになる。

 そして、Aは複雑な思いを抱えつつもその対応を受け入れた。フェードアウトとはならなかったわけで、そのことは本当によかったと思う。

 これにより、この#MeToo問題は一段落となった。そのことは確かだ。しかし、中島の記事を通じ詳細を知った私たちには、まだすべきことがあるだろう。Aの最終決断を尊重するのは当然だが、それにしても今回の未来短歌会の対処の仕方はどうだったか。それを考察する必要があると私は思う。今後万が一、歌壇内の別の結社等で同様の問題が起きたとき、今回の事例がきっと参考になるからだ。

 未来短歌会からAへの連絡は書面でなされたと推測される。その全文と思われるものを中島の記事が掲げているので、まずこの重要資料を次に引き、考察の対象としよう。

 過日ご相談いただきました件、本日の一般社団法人未来短歌会理事会において、ハラスメント委員長が報告を行い、当該選者に対し厳重に注意をしました。

 具体的には、(1)2013年頃から2019年頃にかけて、歌会の前後の茶話会や飲み会で未来の選者に手を握られたり、体を密着させられたりして苦痛を感じたというご相談が元会員からあったこと、(2)その選者に自覚と猛省を求めるとともに、未来短歌会に対し、再発防止に取り組むことを強く希望するというのがこのご相談者の方のご要望であること、および(3)ハラスメント委員会において検討の結果、ご相談者のご要望通り対応することが最善との結論になったことの3点を理事会に報告し、続いて、理事会の席上、当該選者に対し、自らの立場を自覚し行為を猛省するとともに、可能ならば被害者と思われる人物に謝罪をするよう(※ただし、Aさんのお名前は出していません。心当たりのあるお相手の方に対し、速やかに謝罪するようにという勧告です。)、注意および謝罪勧告をしました。また、ハラスメント委員長は、セクシャルハラスメントととれる行動への相談が届いたことをハラスメント委員会として重く受け止めている旨を述べ、未来短歌会の各部門・各チームに対し、ハラスメント防止の取組みの徹底・強化を求めました。

 重要な件につき、ご相談くださり、ありがとうございました。

 未来短歌会の選者の行動によりご不快な思いをおかけしましたこと、本当に申し訳ありませんでした。


 セクシャルハラスメントの被害についてAが未来短歌会に相談したかどうかは、これまで明らかにされてこなかった。同会の公式サイトのインフォメーションによれば、同理事会がこの問題を最初に公式に把握したのは、一人の理事の提議があったからだった。同会が常設のハラスメント委員会を立ち上げ、相談窓口を設置したのはその後のことだ。しかし、上の引用文により、ハラスメント委員会発足後のいずれかの時期に、Aが同委員会に相談し、要望を出していたことがはっきりした。少なくともその相談以後は、未来短歌会はこの問題に対処する義務を自覚していたことになる。

 そのことを確認した上で、同会による事実認定、当該選者の処分等について考えてみる。


(2024.1.15 記 続く)

 真中朋久のエッセイ「安寧禁止」が『塔』2月号に掲載後、塔短歌会のサイト上でも公開されている。先ごろ私はその題に引かれて読み、全体の主旨には説得されたのだが、一方で細部には疑問点を残しているとも思った。おそらく真中はその後も調査を続け、疑問点も今では解消されたことと想像する。差し当たり、私自身の手控えのために、その疑問点と答案をここに記しておこう。

 真中のエッセイは、福田米三郎の歌集『掌(たなごころ)と知識』(1934年)を国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧した後、その感想等を記したものだ。私の理解では、内容のあらましは次の通り。

 ①国会図書館デジタルコレクションの現況

 近年国会図書館所蔵本のデジタル化が進み、インターネット上で自由に閲覧できる本が増えたことを紹介する。情報の保存のためにデジタル化が有効であると主張する。

 ②福田米三郎『掌と知識』の検閲と処分

 たまたま国会図書館デジタルコレクションを利用して掲出歌集を閲覧したところ、その本の表紙等に「申報」「安寧禁止」の押印があったということを報告する。当時の検閲の実際について、原本中の押印などを手がかりにして考察することが有益だと述べる。

 ③『掌と知識』収録歌と伏字

 同歌集の収録歌を三首引き、その一部に伏字があることを指摘する。同歌集は体制への抵抗を煽動するような内容ではなく、兵士の心が荒んでいく苦い現実を述べ表しているといった読み方を示す。

 ④無名歌人の再評価

 福田がいわゆる埋もれた歌人であることを指摘した上で、資料のデジタル化が過去の歌人の発掘と再評価に繋がるとの見通しを示す。


 どれも妥当と思われる指摘と主張で、私などももちろんそれらに異論を持つものではない。疑問点はいずれもその間の細部にとどまる。

 さて、その疑問点であるが、私見では次の三点。まず当時の検閲用語の意味、次に伏字の種類とその意味、さらに『掌と知識』の発禁処分の具体的な理由である。


     §


 まず、当時の検閲用語の意味について。当該本の表紙に〈申報〉〈安寧禁止〉、扉等にも〈安寧禁止〉の押印があったことに触れて、真中は次のように記している。

 後に一冊本の『福田米三郎全集』(福田米三郎研究会編、1980年)が出ていて、その年譜によると、奈良県警で取り調べを受けて発禁処分となったとある。「安寧禁止」というのは、おそらく「安寧(を乱すから発行)禁止」ということだろう。これはいわゆる「発禁」(「発行禁止」または「発売頒布禁止処分」)の一部なのか、警察内部での言い換えなのか。「申報」も見慣れぬ用語だが、警察用語で現場(警察署など)から本部への報告ということであるらしい。


 昭和戦前期の出版物の検閲については、専門家(浅岡邦雄、牧義之、水沢不二夫、安野一之等)の研究がすでに相当深いところまで進んでいる。〈安寧禁止〉〈申報〉などは実は初歩的な基礎用語に属する。

 〈安寧禁止〉から説明しよう。単行本の発売頒布禁止処分の根拠法は出版法で、その処分の理由は安寧秩序紊乱と風俗壊乱に大別されていた。当局の事務手続きでは、禁止処分のうち前者を理由とするものを〈安寧禁止〉と呼び、後者を理由とするものを〈風俗禁止〉と呼んでいたというわけである。

 一方、〈申報〉は〈現場から本部への報告〉を意味する警察行政用語で間違いない。出版法の規定では、単行本は発行日以前に内務省図書課に二冊納本することになっていた。ところが、意図的かどうか分からないが、『掌と知識』の発行者(歌人の清水信)はこれを納本しないまま発売頒布した。そして、おそらくは出版地の奈良県下において同県警察部がこの無届出版の事実を摑み、かつ本の内容が安寧秩序の条件に牴触する疑いのあることも発見して、東京の内務省図書課に〈申報〉したのである。『掌と知識』の国会図書館所蔵本は、まさしくこのとき奈良県警が本省に送付した本だろう。

 現在、この本には国会図書館内の請求記号として「特501-519」が付されている。ウェブサイト「リサーチ・ナビ」の中の「国立国会図書館所蔵の発禁本」を見ると、

 終戦後、内務省が保管していた発禁本正本は米軍に接収されました。1970年代に一部が国立国会図書館へ返還されました(後略)。


とあり、その返還本には「特501」から始まる請求記号を付している旨を明記している。


     §


 次に、伏字の種類とその意味について。真中は、

戦友 そんな名で呼び慣れて お前と俺は 一緒に  れる


といった歌を引いた上で、次のように述べている。

 「×」印などを使って、これみよがしに伏字するのではなく、空白にするのは、目立たなくするための戦術なのか。


 引用歌では〈一緒に〉と〈れる〉の間に二字分の空白があり、そこがつまり伏字である。しかし、この空白の伏字について〈目立たなくするための戦術〉と解するのはうがち過ぎではないかと思う。

 伏字は〈×〉以外にも多種多様な形が存在した(牧義之『伏字の文化史』2014年、参照)。空白の伏字もその一種で、特に珍しいものでもない。そして、どうだろうか、空白の伏字も〈×〉同様によく目立つように私には思われる。そもそも伏字を目立たなくする必要性もあるのかどうか。まだ再考の余地が大きいというのが私の感想だ。


     §


 さらに、『掌と知識』の発禁処分の具体的な理由について。真中のエッセイには、

 どの部分がいちばん「安寧」に抵触したのか。抵抗を扇動するようなものではなく、初年兵だったときに殴られたように初年兵を殴るとか、むしろ心が折れてゆくような苦い現実が痛々しい。


とあるのみである。〈どの部分がいちばん「安寧」に抵触したのか〉は結局、解明されないまま終わっている。しかし、これについては先行研究がある。『掌と知識』が安寧秩序紊乱のかどで発禁処分を受けたこと、内務省の内部資料『出版警察報』にその処分の理由の詳細が記載されていること、を内野光子『短歌と天皇制』(1988年)が報告済みなのである。すなわち、『出版警察報』74号(1934年10月)に、

 本書ハ軍隊生活ノ裏面ヲ誇張的ニ描写シテ軍務及軍制ヲ呪咀スルモノデ所謂反軍出版物ノ尤タルモノデアル。(126頁)


とあり、該当する歌十六首が引かれているのだ。三首だけ紹介すると、

已に掌に木銃だこが出来る その掌と知識を 俺は見くらべてゐる

先ず 馬となつて水辺に牽かれて 飲むもんかと 歯を食ひしばつてゐた

頰を打ち・顎を裂き・口を割り・歯を抜き・喉を開き 注込まれる水に 咽せて嗤へぬ


 案に相違してというか、これだけ見るとひどく抽象的な作風のようにも見える。しかし、歌集全体を通して読めば、〈反軍〉的傾向は紛れもない。当時の検閲官たちにこういった作品の意図を正確に読み取るだけの文学的素養があったことも、記憶に留めておくべきだろう。

 なお、昭和戦前期の歌集・歌書の検閲と処分について言及しようとするなら、内野の『短歌と天皇制』は必読書である。なにしろ、その時期に発禁や削除等の行政処分を受けたほとんど全て(!)の歌集・歌書について、同書は解題・解説を加えているのだ。仮に同書中に載っていない本があったとしたら、それはおそらくまだ誰も報告していない新資料である。もし同書中に記述のない事実に気付いたとしたら、それはたぶん新発見の事柄である。

 ちなみに、内野の当該論文の初出は1974年。検閲正本の『掌と知識』がアメリカ側から国会図書館に返還された年は、それより遅い1977年だった(本に押された受入印の日付が「52.9.5」)。だから、内野の解説中には返還された本の話は出てこない。国会図書館所蔵本『掌と知識』が出版当時の検閲正本であること、その表紙等に〈申報〉〈安寧禁止〉の押印があることは新発見の事実である。

 私が初学の頃、先輩筋の方から〈短歌史を勉強するなら木俣修『大正短歌史』『昭和短歌史』、篠弘『近代短歌論争史』『現代短歌史』、内野光子『短歌と天皇制』〉と教えられた記憶がある。前の二人の著書は今も変わらず参照されているようだ。それに対して、内野の本は近年引用されなくなった気がする。しかし、では内野の本よりずっと先まで皆の研究が進んだのかというと、そんなことはないのである。三枝昂之『昭和短歌の精神史』(2005年)は木俣・篠・内野に続く短歌史研究の大きな成果だが、三枝の本を読む人には、併せて内野の本も勧めたい。


(2023.12.29 記)

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 昨日、小池光選の酒井佑子歌集『空よ』が届いた。発行元は砂子屋書房、奥付の発行日は著者の一周忌に当たる2023年12月24日である。

 装本は倉本修氏。表紙と内扉の模様は鳥だろうか。表紙の方はその模様の輪郭に凹凸を持たせている。渋い色味も相俟ってとても美しく、本を手に取ってまずそのことがうれしかった。

 本書刊行までは私も少しお手伝いさせてもらい、本書中に拙稿「酒井祐子年譜」が収録されている。ただし、企画全体に関わったわけではなく、本の頁をめくりながら「素敵な本でよいなー」としみじみ思った。

空よおまへの下にゐることのあと幾日かどこまでも空

  (2021年、180頁)


 書名に採られた一首。私の知らない晩年の作者の心境を伝える。全体的に伸びやかな口語調であることも印象深い。短歌人会という大きな結社の、活動的な仲間に囲まれて二十余年、彼女も時代の空気に十分に触れていたのだなと思う。

 このブログ記事を目に留めてくださった方全員、ぜひこの一冊を買って読んでください。そして、歌人酒井佑子の名を別の方々にも伝えてください。


(2023.12.15 記)

(同日 追記)


 遠藤由季「亡き人の幻を見つめ続けた歌人」は、森岡貞香の第四歌集『珊瑚数珠』(1977年)の歌について考察する。同歌集中の一首、

陽干しせる行李に見えて蟬のごと墨跡ありき亡きひとの名前


は『短歌研究』1966年7月号の掲載歌、

草に乾す行李にいまも消えぬ名の故人は大陸に黄河渡りき


を改作したものではないかという。ちなみに、森岡が五十歳だったのがこの年である。遠藤の論証は簡潔ながら手堅く、〈草に乾す……〉を〈陽干しせる……〉の初出と認めてよいだろう。

 私などは歌集収録歌が何かこう、心にしっくりこない。墨跡が蟬の形のように見える、ということを言い表すのに色々と語順を入れ替えたり、〈形〉の類の言葉を省いたりしている。一方、初出形は言葉の繋ぎ方がずっと素直だ。〈草〉や〈黄河〉の道具立てがあることによって、現在と過去のそれぞれの風景がはっきり見えてくる気もする。この初出形の方がよかったのではないかと思ってしまう。しかし、これに飽き足らず、歌集収録歌のように表現に晦渋さを加えるのが森岡流の方法なのだろう。

 なお、歌の素材である行李について、遠藤は〈亡き夫の行李だろう〉と推定しつつ、〈父である可能性もある〉と補足している。森岡の父と夫はともに職業軍人だったので、行李の持ち主は夫かもしれないし父からもしれないというわけだが、ここはやはり夫の方だろう。今年八月、松村正直のオンライン講演「軍人家庭と短歌:戦後派歌人森岡貞香の初期作品を中心に」が、

何時にても戦帽の垂布ひるがへり黄河の河畔にありき写真の
  (『百乳文』1991年)

黄河の川岸に立ちてゐる写真 軍装のその人いづへにか往く
  (『夏至』2000年)


といった歌を引き、さらに長男森岡璋の次のような一文を紹介していた。

 母が常に手許に置いていた父の写真は軍装で黄河を渡河する写真であった。
  (『偕行』2009年11月)


 これを踏まえれば、「故人は大陸に黄河渡りき」の故人は亡夫のことと解してよい。ということは、その改作「陽干しせる行李」も亡夫の遺品である。


(2023.12.13 記)

 本文は十二人の歌人それぞれの五十首詠とエッセイ、十二人が参加したインターネット掲示板のログの抄出からなっている。エッセイのテーマは共通で、過去の歌人が五十歳頃に詠んだ歌。掲示板のテーマは「25年前のことをとーとつに語る」とのこと。

 年齢云々に物申したくなる向きもあるかもしれないが、私などは特に気にしない。自分とほぼ同世代の方々の歌文を楽しんで読んだ。

 「五十歳」ということで思うのは、師馬場あき子がかりんを創刊(昭和五十三年)した年齢だということだ。前年に高校の教職を退職し、迢空賞の選考委員と現代歌人協会の理事になり、まひる野を退会し、翌年に朝日歌壇の選者となり、かりんを創刊する。(略)それに比べて、私の五十歳とはなんとぼんやりしているのだろう。気が付いたら五十歳になりました、とばかりに舌を出す私が見える。


 井上久美子「昭和五十三年の馬場あき子」より。馬場あき子の履歴について、公になっているほどのことは私も知っていた。しかし、引用文中の事項が全て一九七七年から翌年にかけての事項だということ、当時の馬場がまだ四十九歳、五十歳だったということをあらためて知らされると、ほぉと思う。「それに比べて、私の五十歳とは」と井上は書いているが、私なども同様に感じてしまう。

 まあすごい人はすごいのだし、比べても仕方ないか。与謝野晶子が最初に源氏物語の現代語訳を出版したのは三十代の頃、文化学院創立や日本古典全集の刊行開始は四十代のときだ。この偉大過ぎる先人と比較するなら、馬場さんだって五十歳の時点ではまだ何も……かな。


(2023.12.11 記)

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 11月11日、花笠海月編集・発行。合著歌文集だ。参加者は1973年生まれ、本年五十歳の十二人。佐藤リエがデザインした表紙のイラストは、その73年の十円切手。10、11、12という塚本風の数字の遊びだろうか。

 この十円切手は73年正月のお年玉切手シートのそれだ。実物は切手三枚で一つのシートなのだが、この表紙に描かれているのは七十枚以上が連なった、想像上の巨大シートなのがおもしろい。実物を実物通りに再現したら、たぶん興趣の湧きにくい平凡な表紙になっただろうと思う。現実に存在したような、しかしあり得ないような、私たちの過去の記憶のような切手シートのイラスト。秀逸です。


(2023.12.10 記)



 NHKの朝ドラを『エール』以来久しぶりに観ている。『エール』は古関裕而、『ブギウギ』は笠置シヅ子と服部良一が人物のモデルだが、自分は人並みに音楽が好きだし、それ以上に昭和戦前期の文化に関心がある。もう、楽しい!! もちろん、ドラマはすでに戦時に入っているので、これからただ楽しいだけではなくなるのだろうが……。『エール』のときは、ドラマの内容について内野光子さんと手紙やメールで議論した。内野さん、『ブギウギ』は観てますか!?

     §

 11月8日(水)放映の『ブギウギ』第28回で、いよいよ羽鳥善一(服部良一)のレッスンが始まった。歌は『ラツパと娘』。1940(昭和15)年1月にレコードが発売された作品である。恥ずかしながら、このジャズソングを初めて聴いたのだが、福来スズ子(笠置シヅ子)役の趣里が歌う歌詞で気になるところがあった。

トランペット ナラシテ
スイング ダシテ
アフレバ ステキニ
ユカイナ アマイ メロディ


 NHKプラスで何度も聴き直し、字幕まで確認した。確かに「アフレバ」と歌っている。でも……アフレバって?

 「溢れる」と「ば」なら、アフレレバ、になるはずだ。もっとも、ここだけ古文調でいわゆる未然形プラス「ば」の形だとすると、アフレバ、になる。しかし、直前に出てくるウタエバは未然形プラス「ば」の形になっていない(古典文法で言うと、已然形プラス「ば」)のだから、「溢れば」はやはり不自然だ。

 そこでやっと気が付いた。昭和15年の歌だから、譜面に書かれた歌詞の仮名遣いは旧仮名だ。旧仮名表記の「あふれば」はアオレバ、つまり「煽れば」になる。

 考えてみると、「トランペット鳴らして、スイング出して、溢れれば」では、末尾の「溢れれば」の意味が分からない。「トランペット鳴らして、スイング出して、(みんなを)煽れば」ならよく分かる。

 趣里さんも制作スタッフもきっと旧仮名表記の譜面を読み間違えたのだ、原曲の笠置シヅ子はアオゲバと歌っていたにちがいない……と当たりを付け、YouTubeで笠置シヅ子のオリジナルを聴いたのだが、驚いた。なんと笠置さんも、アフレバステキニ、と発音しているではないか。これは一体……。



 この『ラッパと娘』は作曲に加え、作詞も服部良一だ。オリジナルの録音には作詞者も当然立ち会ったと考えるべきだろう。服部はうっかり笠置の読み間違えを聞き漏らしたのか。あるいは、もしかして服部先生ご自身、アフレバのつもりで作詞したとでも言うのか。不可解!!

 ついでに、YouTubeの検索に引っ掛かった他の歌手のカバーも聴いてみた。天地総子も神野美伽も奥田民生も、アフレバ、である。誰も疑問に思わないのかな、と。ところが、なんとなんと一人だけいたのだ、アオレバと歌っている人が。どうぞお聴きあれ。



 松浦亜弥さんがすごいのか、スタッフさんがすごいのか、知らないがすごいな。字幕もしっかり「あおれば」になってるよ。アフレバを不審に思い、正解を求めてしばし考えを巡らした人がここに確かに存在したわけだ。敬意を表したい。


     §


 それにしても、バドジズデジドダ、とかいう歌詞、その旋律。思い切りシャウトしてて、ジャズというよりロックに近いボーカル。カッコいいな服部良一、カッコよすぎるぞ笠置シヅ子。これを聴いた後に奥田民生を聴くと、奥田さんがめっちゃソフトロックに聞こえるのが笑える。


(2023.11.9 記)


 南九州市知覧の富屋食堂の敷地内に岡野弘彦の2015年作の一首、

わが心の深き據(よ)り所(ど)ぞ。ただ寡黙に若き命を去りゆきし友


の歌碑が建てられ、この4月8日に除幕式がおこなわれたという。それを伝える南日本新聞デジタルサービスの同月11日付記事と掲載写真を見て、式当日の様子などを知ることができた。

 富屋食堂は私も見学に行ったことがある。特攻隊員、上原良司のよく知られた遺書〈明日は自由主義者が一人この世から去つてゆきます〉云々の写しをそこで見て色々なことを思わされた。この地に現代短歌の石碑という組み合わせがよいのかどうか分からないが、富屋食堂を再訪することができたらこの歌碑も見てみようと思う。

 さて、除幕式には岡野門下でこの歌碑建立の発起人である川涯利雄氏のほか、

 歌人の伊藤一彦さん(宮崎市)ら約30人が出席し、完成を祝った。


とのことで(同記事)、『歌壇』10月号掲載の伊藤一彦の三十首連作「不眠の銀河」を見ると次の二首がある。

 知覧に岡野弘彦氏の歌碑「わが心の深き據り所ぞ。ただ寡黙に 若き命を去りゆきし友」。
特攻機の飛び立てるときいのち抱(だ)きされどたましひは残し行きけむ

 恋人と別れあるいは恋を知らず死に赴きし若きら。
歌碑除幕式に祝詞をあげたるは豊玉姫の神社(やしろ)の宮司



 前の歌は〈いのち〉と〈たましひ〉の対比が読み所である。ただ、〈たましひは残し行き〉と言ってしまうと、その宗教的な死生観の効果によって戦争の残酷さがいくらか中和されることにならないだろうか。評価の難しい一首だと思う。後の歌の〈豊玉姫の神社〉は知覧に実在する大きな神社のことで、〈祝詞をあげたる〉は事実をそのまま述べたとおぼしい。豊玉姫神社は安産祈願に御利益があるとされているので、そこから特攻隊員の恋に連想が働いたのかもしれない。

 ところで、鹿児島県内に『華』という短歌雑誌があった。川涯氏が創刊し、同じく岡野門下の森山良太さんが近年発行人を務めていた同人誌である。7月に終刊号を出したそうで、9月5日付『現代短歌新聞』にそれを報じる記事が載っているのだが、その文面が穏やかでないことにちょっと驚いた。

 ……季刊で発行を続けてきたが、突然の終刊を迎えた。森山代表および会員一同の「終刊の辞」によれば、四月八日、知覧の富屋旅館の庭に岡野弘彦氏の歌碑が建立されたが、「直前まで全く知らなかったとは申せ、この度の祝事に何の協力もできませんでした。私どもは、先生に恩返しができませんでした。このことを深く深く恥じ入り、翌四月九日をもって会を閉じることに決しました」という。


 岡野家は歌碑建立に必ずしも積極的ではなかったとある人からは聞いた。恩返しができなかったことを恥じ入ると言われても、先生ご本人は困惑するのではないかと思う。それにしても、川涯氏は同門の人々に協力を募ったはずで、森山さんが〈直前まで全く知らなかった〉というのは不思議だ。何か部外者には分からない事情があるのだろう。

 同記事が『華』終刊号の森山作品を四首引いている。どれも深い情念を感じさせて印象深い秀歌だと思う。孫引きになるが、下に写しておこう。

ひとつ葉の垣のみどりのあたらしさ 路ひとつ隔ててあれと言ふ者

祭文に師の名いくたびも聞こえ来ぬはつなつの陽に幣ひかる見ゆ

人の為しし多くは人に毀たれきイシュタル門の獅子の彫像

この歌誌にいのちの際を綴りける幾人
(いくたり)おもひ千々に乱るる


 私が特に感銘を受けたのはイシュタル門の一首。まるで歌碑に投げつけた呪いの言葉のようだ。華短歌会の人たちに対して誰かが〈路ひとつ隔ててあれ〉と言ったようだが、一体それは誰なのだろうか。

 新聞の写真で見ると、歌碑の姿かたちはさすがに見事だ。一方、関係者の人間模様はあまり美しいものではないらしい。


(2023.10.2 記)

 さて、ここから先は私見だが、本件が選者とその選を受ける会員の間に起きたことは、本件の本質を理解する上で忘れてはならないことだと思う。師弟間の権力関係が存在しなければ、そもそも本件のようなことは起こらなかったはずだ。したがって、これは個人の問題であると同時に〈未来短歌会の選者〉の問題であり、会の選歌体制に関係する問題と言ってよい。その意味では、未来短歌会は本件の当事者だろう。

 ところが、この四年間、未来短歌会が問題解決に向けて積極的に動いたといえるかどうかは疑わしい。たしかに同会の理事会は本件を取り上げて討議したし、ハラスメント委員会を発足させて事実確認を進めようともした。相談窓口を設置して新たなハラスメントを防止する姿勢も示した。しかし、肝心の問題は解決を見ないままだ。

 伝え聞くところによると、本件について未来短歌会が会としての見解と解決法を示すに至っていないのは、告発した側の聞き取りがある事情により実現していないからだという。部外者の私などには窺い知れない障害があるのかもしれないが、それにしても不可解な話だ。

 聞き取りの実現に向けて、思い付く限りの手段を試してみたのだろうか。また、元々の告発内容と選者側の聞き取りだけでハラスメントの事実を認定するのは困難だとしても、トラブル自体(性交渉とその後の一般会員側の抗議)の事実認定はできるのでは?

 トラブルの事実認定は、それのみでは関係者の尊厳ないし名誉の回復には繋がらないので、最終決着とはならない。しかし、少なくともそこまでできれば会として何らかの見解を表明することも可能になるのでは? そういったことをしようとしないのはどういうわけなのか。未来短歌会の理事会は本当の意味で事の重大さを認識できてはいないように見える。

 このままフェードアウト……にしてはいけない。


(2023.9.20 記)

 昨日の午後2時から5時過ぎまでZoomを利用し、中島裕介さん、内野光子さんと意見交換をした。テーマは加藤治郎氏に対する四年前の#MeTooである。まず本件の経緯について、中島さんが把握している限りのことを詳しく内野さんと私に説明した。その後、内野さんと私が中島さんに色々と質問したり意見を述べたりした。#MeTooを告発した側の主張は大筋で信頼できるということで内野さんと私の意見は一致した。


(2023.9.19 記)


 さて、高良は同じ note記事で、余談と称して前田の別の文章まで批判している。「現代短歌のダイナミズム」と題する二年前の時評(『水甕』2021年3月)である。前田はそこで杉崎恒夫『パン屋のパンセ』(2010年)の歌を引き、

 散文化した直叙表現が索漠とした現代のリアリズムとして持て囃される風潮の中、高みを目指す魂のリアリズムを感じさせる彼の作品群は、現代短歌の底荷として読み継がれてほしいものだ。


と記していた。これに対して高良は〈魂のレアリスム〉が塚本邦雄の、〈底荷〉が上田三四二のタームであることを指摘しつつ、次のように言う。

 果たして、杉崎の歌は「魂のレアリスム」を目指しているのか。「短歌の底荷」であるのか。2010年に発行された歌集を形容する言葉として果たして適切なのか。その検証が不十分なまま使われているように見えてならない。


 そうかな……? もし適切でないと思うなら、高良自身がまずその検証結果を示すべきではないか。字数制限のないウェブ記事でそれをしないのは、批判者の側の怠慢だと私は思う。

 塚本の〈魂のレアリスム〉は写実派の現実模写に反対する意味の言葉だった。前田は〈散文化した直叙表現〉のリアリズムの対極に杉崎の歌を位置付けようとしている。そして、杉崎は写実派ではない前田夕暮の流れを汲む歌人である。とすると、前田の文脈上では、杉崎の歌に〈魂のレアリスム〉をみとめることは案外筋が通っているのではないか。

 一方、上田の〈底荷〉はそれ自体は目立たないが船の転覆を防ぐもので、短歌は日本語にとっての底荷だというのだ。歌人の卑下と自負の入り交じった歌論であり、なかなか味わい深い。しかし、特定の歌人や作品に賛辞を贈るときにこの〈底荷〉なる用語を使用するのはどうだろう。確かに、それはマズいだろうという気もする。いずれにせよ、高良は前田が

 短歌史上の単語を、その文脈を無視して引用している……


と断言するのだが、そこまで痛罵されるほどひどい文章だとは私は思わなかった。なお、高良は

 上田三四二の「底荷」は(略)1983年に発表される。この小エッセイを収録した『短歌一生』は1987年刊行である。角川『短歌』このフレーズを借用して、結社誌に注目を促す連載「短歌の底荷」を2021年2月号から開始した。時評子はこれをさらに借用したのだろう。


と書き、批評用語の〈借用〉の〈借用〉を笑いものにしている。こういうのは読んでいて不快だ。そもそも、高良だって、上田の〈底荷〉については東郷雄二の時評「日本語の底荷」(『短歌』2021年7月)を読んで初めて知ったのではないのか。高良は本文中では一貫して前田の名を記さず、その代わりに〈時評子〉とかいう見慣れない単語を使っている。この〈時評子〉も東郷の時評の一人称から借用したのではないのか。


(2023.8.27 記)

 前田宏の時評を批判する高良真実の note記事を見付けた。当該の時評に対する私の感想等は前回の記事の通りで、前田の主張に批判が集まるのはやむを得ないと私も思う。ただし、高良の記事の方も、これはこれで問題の多い文章だと思った。正しい目的のためには何をやってもいいと高良は思っているのかもしれない。しかしもちろん、そんなことはないのである。前田が、

 歌壇におけるセクハラがパワハラと結びつきやすく、ジェンダー・ハラスメントとも関係が強いことは判るが、反セクハラが定着しないうちに矛先を広げるのは、セクハラ軽視とも見えてしまう。


と言うのに対して、高良は、

 偽善者よ、このようにセクハラに反対することは知っているのに、どうしてすべてのハラスメントに反対することを知らないのか(cf.ルカ12:56 )。


と記している。反セクハラから反パワハラへの性急な戦線拡大に前田が反対していることについても、私見は前の記事に書いた。おそらく、高良と私の意見の中身は同じだろう。しかし、高良がその意見を述べるのに新約聖書の文言を借りたことに、私は反対せざるを得ない。前田は時評の末尾で『女人短歌』に触れていた。

 戦後の「女人短歌」の活動のように、男性優位に抗して女性の自由を主張する女性歌人たちの苦闘の歴史があったことも、忘れずにいたい。


 この一文自体に特に批判すべきところがあるとは私には思われなかった。しかし、高良は強く批判している。〈「性急」ならざる意識変革運動の先例であるかのごとく、女人短歌会が言及されている〉と言い、〈短歌史上の文脈を無視した書き方ではないか。女人短歌会はプロジェクト「セクハラをしないために」以上に大きな反発を受けたことが、記録を読めば伺える〉とも記した上で、次のように述べている。

 主よ、この時評子は、自らが女人短歌を蔑する側に立っていることを、ほんとうに知らないのだろうか。もし彼の目が塞がれているのであれば、それを開かせたまえ。


 つまり、前田は高松のプロジェクトや『短歌研究』の反ハラスメント特集号の性急さを批判しつつ、それらとは違って高く評価できるもののように女人短歌会の活動を位置付けた。ところが、高良の方は、高松や『短歌研究』特集号にまで繋がる社会変革運動の先駆けとして女人短歌会の活動を評価しようとしている。自分の意見の側に女人短歌会を引っ張り込もうとして、取り合いを演じているのだ。

 女人短歌会の発足時に男性歌人たちの反発があったことは高良の指摘する通りだろう。一方で、同会の活動が短期間で終わらず、五十年近く継続されたことも確かだ。前田と高良のどちらの見方にも一理ある。

 私がここで問題にしたいのは両者の意見の内容ではない。高良の論争術である。高良はただ聖書を引くにとどまらず、前田の〈罪状〉を神に訴えることまでしている。その結びは次のような一節である。

 主よ、時評子の目を開かせたまえ。時評子が、誰も急ぎすぎてなどいないことを理解できるように。この祈り、主イエス・キリストの御名を通して、御前にお捧げいたします。


 私は今、いわゆるトーンポリシングをあえてしようとしている。高良の論争術は言論の場の自治を脅かすもので、とても看過できないと思うからだ。高良は神の権威によって人を非難した。前田が信仰を持つ可能性を高良は少しも考えないのだろうか。恐ろしいことだ。そして、信仰を特に持たない読者にとっても、こんな文章を読むのは気持ちが悪い。もし、これをよしとするなら、天皇の権威を借りて人を非難することも許されるだろう。

 誰かを批判するなら、誰の権威も借りずに自己の責任においてすべきではないのか。


(2023.8.25 記)


 短歌の雑誌にはたいてい時評欄があるが、興味を引かれたりおもしろいと思ったりすることはまずない。それらの時評の筆者が関心を持っているらしい事柄に私自身は全然関心が持てないということがほとんどだ。これはもうどうしようもない。

 前田宏の標記の時評(『歌壇』9月号)には、久々に興味を引かれた。私はハラスメントとそれに対抗する手段に関心がある。かつ、前田の文章は反ハラスメントの運動に疑問を投げ掛ける箇所を含んでいて、それに意見を言いたくなる。

 ハラスメントの問題においては、それに熱心に取り組む社会運動家が存在し、その影響を強く受けた学生や元学生も多数存在する。前田の文章に対しては、おそらく誰かが反論を書くだろう。反論を呼ぶことのできる時評は、ただそれだけでも価値ある時評であり、よい時評である。どうでもよい文章には反論も来ない。前田の時評の梗概をまとめておく。

 ①近年の反セクハラの動き

 詩歌の世界では、18年の川野芽生「Lilith」三十首の歌壇賞受賞が一つの契機となってセクハラが問題化されるようになった。19年には高松霞がプロジェクト「短歌・俳句・連句の会でセクハラをしないために」を立ち上げ、23年には『短歌研究』4月号が特集「短歌の場でのハラスメントを考える」を組むなど、反ハラスメントの運動が広がっている。

 ②反ハラスメント運動への違和感その一

 性犯罪は許すべからざる卑劣な犯罪と認識しているが、一方で現在の反ハラスメント運動には違和感を感じている。第一に、それらの運動は急進的に過ぎる。高松のプロジェクトは要望書を九十の短歌関係団体に送付したが、そのうち六団体しか回答しなかった。知らない団体から突然ハラスメント対策を要望されても当惑する。

 ③反ハラスメント運動への違和感その二

 第二に、歌壇ではセクハラ撲滅運動が始まったばかりなのに、いつの間にかハラスメント全般に問題が拡大している。『短歌研究』4月号がハラスメント全般を取り上げているのはその代表例である。セクハラがパワハラと結び付きやすいことは理解できるが、反セクハラが定着しないうちに矛先を広げるのはセクハラ軽視とも見える。

 ④反セクハラの気運を意識変革運動へ

 性暴力は犯罪である。ただし、セクハラ対策の制度の整備は表面的な抑止にはなり得ても問題の解決にはならない。重視すべきはケースごとの対応であり、被害者救済と加害者の意識覚醒をどう図るかである。



     §


 私の感想等をメモしておこう。①について。「Lilith」の歌壇賞受賞は覚えているが、それが歌壇に対してセクハラへの注意を促す契機になったとは知らなかった。本当だろうか? 高松霞のプロジェクトのことはほとんど何も知らなかった。自分の所属結社の歌会で話題になっていた気もするが、はっきりと記憶していない。私の結社には要望書が届かなかったようだ。『短歌研究』特集号は電子版を購入して一読した。高松のプロジェクトへの言及があったことを、前田の時評を読んだ後に思い出した。

 ②について。前田の意見は反ハラスメントの運動家の反感を買うだろう。しかし、社会変革を急進的に進めるか、漸進的にするかは意見の対立するところだ。前田のような立場もあり得ると思う。

 高松のプロジェクトに対する私見は、その全体像を把握できていないので留保したい。ただ、要望書を送付された九十団体のうち八十四団体が回答しなかったというのが事実だとすれば、その八十四団体にも言い分があるはずだ。それらは言い訳めくので、普通はなかなか表には出てこない。知らない団体から突然ハラスメント対策を要望されても当惑する、と前田が記したのは一つの証言として価値がある。

 なお、前田が

 何か憤りを呼ぶ事件がないと社会的に火が点かないことは Me Too 運動でも明らかだ……


としながら、

 運動には怒りや正義感だけでなく、合意の醸成が必要と思う。


と述べているのは矛盾しているのではないか。前段の主張からすれば、運動には何より怒りが必要との結論になりそうなところだ。

 ③について。パワーハラスメントについて今はまだ問題にするな、と言わんばかりの意見は理解に苦しむ。前田は各種ハラスメントを単に机上の思想の問題として捉えているのではないか。しかし、それらは現に社会のあちこちで起きている実際上の問題なのである。

 私事だが、数年来、職場の労働組合の書記長を務めている。ここ三年ほど、毎年のようにパワーハラスメントの案件がある。組合員から訴えがあると、それを聞き取り、証拠をまとめた上で、雇用主に団体交渉を要求することになる。具体的な内容はもちろんここに書くわけにはいかないが、今のところ全ての案件で加害者である管理職の謝罪、異動、被害者との同席禁止、アンガーマネジメント講習の受講等の対応を勝ち取ることができている。

 このような社会の現実は、前田の視界には入っていないのではないか。再考を望むものだ。

 ④について。制度の整備は問題解決にならないというのは言い過ぎではないか。どんな制度でも、活用できれば問題解決のための力になる。例えば、私の職場で組合の交渉が機能しているのは、雇用主は交渉に応じなければならないという法律の規定があるからだ。

 ただし、短歌の結社にハラスメントの相談窓口等を設置すべきかどうかは意見の分かれるところだと思う。私の所属結社などは毎月の歌会に十人も集まらない。相談窓口を担当する人員がそもそも存在しないのだ。また、生活がかかっている職場と違い、短歌の結社を退くのは簡単で、しょうもない結社はサッサとやめればいいだけだという考え方もあろう。他方、結社の側から見ると、会員にやめられては困るのでハラスメント対策をしっかりと立てて会員を集める、という選択肢もあり得るだろう。


(2023.8.23 記)


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Author:和爾猫
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