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 ウェブ検索したところ、佐々木朔の歌の一首全体を引いているページが複数見つかった。『羽根と根』という同人誌の第六号に載っている由。その原本は未見だが、

消えさった予知能力を追いかけて埠頭のさきに鍵をひろった


という歌であるらしい。「いい所で、いい物を」とまでは私は感じなかった。

 それより「鍵」の解釈が気になった。これは何通りか出そうだ。「予知能力」は取り戻せないままだが、代わりに鍵を拾った、と私は読んだ。失ったものを取り戻すよりも新たに何かを得る方が希望がある。そうであってほしい。

 私はやはり「基本的歌権」なるものを認めないことにしよう。この歌は読みどころがあって、楽しい。


(2018.6.20 記)

 これも事前に公開されていた寺井龍哉の質問、

 後続の世代との関係をどうお感じになりますか。


に対し、穂村弘は「経験則では、基本的に若い人の方が考え方が正しい」と答えた上で、寺井本人の登場する話を披露した。

穂村 佐々木朔さんの歌で「埠頭で鍵を拾った」っていう下句、僕は大井さんや寺井さんとの雑談の場で「いい所でいい物を拾い過ぎてない?」って言ったんだよね。つまり、埠頭という特別感のある所で鍵という素敵な物を拾うのは、道路で紙屑を拾うのに比べて詩的ハードルを言語レベルで上げちゃってるから、これを回収するのは難しくないか、という意味で言ったんだけど、寺井さんが「そういう批評は今は無しなんです」って言うんですよ。(会場笑)

 なぜそういう批評が「無し」かというと、歌一首一首には「基本的歌権」があって、「基本的人権」を大事にするように歌を最大限リスペクトして批評しなければいけないからだと。つまり、「そう書かれたんだから、そう書くだけの理由がある」、それが批評の前提だ、ということだと僕は理解した。

 どっちの考え方が正しいんだろう? 寺井さんに訊いてみよう。


 会場の座席に座っていた寺井が指名されて立ち上がり、次のように答えた。

寺井 「そういう批評は無しです」っていうほど強い語気で言ったつもりはなかったんですけど……。(会場笑)作品の中には読者が見通し切れない必然性が秘められているはずで、それをある程度尊重するのが「今風」なんじゃないか、と考えているんですけど、お答えになっているでしょうか。


 この返答にはもう少し枝葉もあったはずだが、そこまで書き取れなかった。それにしても、口頭で自らの考えを説明しようというとき、話をこんなに短くまとめて切り上げられる人はまずいない。寺井の仕事について私はわずかに『Tri』掲載論文を知っているだけだったが、この発言を聞いて、とても優秀な人だと思った。

 「基本的歌権」というのは、寺井の「そういう批評は今は無し」云々の発言を穂村が自分流に解釈して作ったタームのようだ。若い世代にそういった共通理解が広がっているとは、興味深い。

 『未来』の朽木祐がシンポジウムの後、

 基本的歌権と観念されるような事態は、作者が作品の全権を支配するという観念の復活の兆しに思える。


とツイートした、と知人に教えてもらった。しかし、私は「作者が作品の全権を支配するという観念の復活」などとは思わなかった。『テクストはまちがわない』は日本文学研究者、石原千秋の著書のタイトルだが、「基本的歌権」という考え方はむしろそういったテクスト論的立場に近いのではないかと感じた。ひとたび歌が作者の手を離れ、公表されたからには、作者本人であってもその歌自体の有する権利は侵害できないだろう、ということだ。

 ともあれ、どの歌にも「基本的歌権」が備わっているとすると、批評はどこまで許されるのか。色々と考えてみたが、歌の内容が「歌権」より上位の「人権」に関わらないかぎり、その歌はあらゆる負の評価を拒否できるのではないかと思う。

 ところで、負の評価が無効である場合、正の評価もまた無効であるはずだ。褒めるに決まっているなら、褒めることの重みはない。そもそも、まともな作者なら、そのような場で褒められても特にうれしくもないだろう。だから歌会の参加者の発言は常に分析にとどまり、評価には踏み込まないことになる。つまり、穂村がしたような批評だけが不可能になるのでなく、一切の批評が不可能になるのだと思う。

 だが、分析のための分析をすることに何か積極的な意義があるのだろうか。私にはそれが分からない。褒められることもない、けなされることもない歌会……。

 原理主義的に「基本的歌権」を振りかざすと歌会がつまらなくなると思う。一方で、寺井の考えていることも何となく分かる気がする。評価を一旦保留にして、もう少し深く読んでみよう、というのでは駄目だろうか。


(2018.6.17 記)

 他に興味を引かれたところなど、思い出した順にいくらか追記する。


     §


 加藤治郎『マイ・ロマンサー』の一首、

1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0


を、今回のシンポジウムの最中に加藤本人が

イチゼロゼロイチ


と音読した。そこで止めて、後は読み上げなかった。

 それで私は初めて気付いた。この歌はそのまま音読すると三十一音をはるかに超過する。字余りどころではない。

 ところが、「二」「恐」をそれぞれ仮名の二字相当、計四字相当として数え、「0」や「1」はそれぞれ無音の一字として数えると、ちょうど定型の三十一文字ということになる。


     §


 同じく『マイ・ロマンサー』の著名な一首、

言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン!


はどう音読すればよいか。シンポジウムでの加藤の発言によれば、加藤自身は「言葉ではない」の後に一拍置いて「ラン」、と読むそうだ。

 この歌が空白一字分も含め三十一文字で表記されていることは、歌集刊行時から指摘されていたと記憶する。しかし、「言」を仮名の二字相当として数えると、全体では字余りの三十二字相当になってしまう。


     §


 これらの歌はみなモニターに表示させて作ったのか、と荻原裕幸が加藤に尋ねた。加藤の回答はイエス。それを受けて荻原が言うには、『あるまじろん』のこれも著名な、

▼▼雨カ▼▼コレ▼▼▼何ダコレ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!

(引用者注—本来、縦書表記を前提にした歌。「▼」は当然下向きに連なって、その記号の形自体が爆弾の落下を想起させる。)


などを、荻原は当初、横書き一行分のモニターしか付いていないワープロ専用機に入力したそうだ。その一行は二十字ほどであったはずで、つまり一首の歌の全体を表示することはできない。そこで荻原は、紙に印刷して表記の効果を確かめるということを幾度も繰り返し、ようやく歌を完成させたという。

 興味深い証言だと思う。九十年代の初めのころ、加藤と荻原の歌をひとまとめに「記号短歌」などと呼ぶ向きもいたが、この両者の歌における「記号」の働き具合は実は対照的だったのではないか。

 荻原の歌の「▼」は落下物をかたどったアイコンとして機能する。手間のかかるその入力の作業の間も作者の頭脳は休みなく動き続け、元々は無意味だった記号に様々な意味を付与してやまなかったのだろう。歌の題材が重大事であるにも関わらず、「▼」はどこか手作業のぬくもりと懐かしさを感じさせるようだ。

 一方、加藤の歌の「!」には特に意味がない。「1001」や「10100」はもちろんコンピューター用の二進数を模した表現だが、こちらも作中では意味を成さない。入力の簡単さがその無意味な表現を可能にしたのだと思う。

 「1001」の歌は、意味のある私という存在(二人のふるい恐怖をかたり)が無意味なもの(1と0)に侵食されていく。しかし、意味とは何だろう? 私とは?

 シンポジウムの資料として事前に配付された大辻隆弘「ニューウェーブ、やや回顧的に」によれば、『マイ・ロマンサー』の主題は「私の深化」だった。「1001」の歌に私はその典型を見る。


     §


 大辻の「ニューウェーブ、やや回顧的に」は、私がこれまでに読んだニューウェーブ論の中で最も説得力のある文章だと思う。

 三輪晃「ニューウェーブが指向したもの」は今回のシンポジウムのための新稿で、これがウェブ上ならニューウェーブに関する「まとめサイト」といったところだが、惜しいことに「ニューウェーブ、やや回顧的に」を紹介していない。そのため、「主体」についての三輪の理解は幾分浅く感じられる。


(2018.6.15 記)

(語り残されたこと)

 配付資料に西田選の

「ニューウェーブ30年」アンソロジー


と穂村選の

「ニューウェーブ」作品


が含まれていた。西田の方は荻原・加藤・穂村と西田自身の作、計十一首、穂村の方は同じ四人の計八首である。ここに他の歌人が入っていないことからも、ニューウェーブは四人以外にあり得ないというのが彼らの元々の考えであると分かる。

 残念だったのは、座談の中でこの資料が話題にならなかったことだ。時間の都合で省略されてしまったようだ。個々の作品に関して、「ニューウェーブは、何を企てたか」というテーマはほとんど探究されないまま残された。西田のシンポジウム後のツイートがこの点に言及している。

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 前半の進行に若干の緩さがあり、特に加藤と石井僚一の掛け合いなどは荻原から「居酒屋トーク」と評される程度の無駄話(加藤の責任だろう)だっただけに、あの時間がうまく使えていればと惜しまれる。

 ただ、「ニューウェーブは、何を企てたか」を考えるためには、まずニューウェーブ幻想を否定する必要があったという気もする。今回のシンポジウムで幻想が一旦否定され、本来のテーマを探究する準備がようやく整ったのかもしれない。

 ニューウェーブを運動として捉えるとき、議論は辞典の記述のように歌人たちの共通項を探る方向に進むと予想される。しかし、ニューウェーブを現象として捉えるなら、彼らがいかに違ったかを論じることもできるだろう。たとえば、『シンジケート』と『マイ・ロマンサー』はかなり違うじゃないか、とか。私見では、同じ穂村の歌集でも、『シンジケート』と『ドライ・ドライ・アイス』の間には他者の有無という重要な違いがある。こういった議論を経た後に本質的な共通項が浮かび上がってくるかどうか、私は知りたい。

 今回のシンポジウムを主催した書肆侃侃房は、記録を今夏創刊予定のムック『ねむらない樹』に掲載するとのことだ(花笠海月「2018年6月1日~3日の日記」)。西田・穂村本人による上記資料の詳細な解説も、併せて載せてほしい。書肆侃侃房の担当氏は、私のブログなど見ていないだろうけど。

 ちなみに西田の自選歌は、

地球ニハ**ナノネナノネノナノネミギナノネヒダリナノネ、ヨウコソ!

シーソーをまたいでしかも片仮名で話すお前は——ボクデスヲハリ


(『ストロベリー・カレンダー』1993年)


 穂村の自選歌は、

呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる

「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に


(『シンジケート』1990年)


 自選の理由は? ただこれだけでも、興味が尽きない。


(極私的な感想)

 西田政史の発言の一つ一つが思慮深く、知的に聞こえたことが印象深かった。『ストロベリー・カレンダー』の作者はこの人か、と私は静かな感動を覚えていた。司会役の荻原から「やり残したことは?」と問われて答えたのが西田の席上での最後の発言だったが、それはおよそ次のような言い回しだった。

 西田 ミッションということでもないし、自分をニューウェーブと思ったこともなかったし、あまり考えてなかったんですけれど、やり残したことは……ないですかね。


 こうして自分のメモを読み返すと、実際の発言の印象とか、それを取り巻く空気感とかがそこに全然保存されていないのがもどかしい。この歌人は常に自分の視点から等身大の自分の思いなり考えなりを語ろうとしている、そして語れないことは語らない、と私は感じたのだ。

 そもそも私がこのシンポジウムへの参加を申し込んだ動機は、これまでずっと露出の少なかった西田の姿をこの目で確かめたいということだった。私の好奇心はもちろん十分に満たされた。


(ひとまずヲハリ)


(2018.6.11 記)

(意義)

 思うに従来、歌人や歌の愛好者は漠然とニューウェーブ幻想のようなものを抱いていた。千葉聡は東直子・紀野恵・山崎郁子・早坂類を「ニューウェーブに近い存在」と見ていたと述べていたし、東本人はニューウェーブを一時代の「全体運動」のように捉えていたと語った。

 今回のシンポジウムの最大の意義は、その幻想を粉砕したことだ。登壇した四人は、東や千葉のようなニューウェーブ観を異口同音に否定した。加藤や穂村、荻原は彼らに西田を加えた四人だけがニューウェーブだと強調し、西田に至っては自身がニューウェーブの一員であるということも否定した。

 そうした発言に対する戸惑いを、嶋田さくらこの次のツイートは端的に示している。

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 一般に集会の規模は大きいことが喜ばれ、同志の人数は多いことが望まれる。ニューウェーブは「大きい潮流」で、多くの歌人を集めていた、と信じたい人が当日の会場のあちこちにいたようだ。東は自分の名が関連年表に載らなかったことに、遠慮がちながら異議を唱えた。シンポジウムの終了後、千葉は

 私は短歌ニューウェーブという流れには魅力があり、多くの人をひきつけてきたので、歌人を限定しすぎずに、「新しい方向をみんなで見つけていこう。志ある人はみなニューウェーブだ」くらい言っていただきたかったです。


と言い、秋月祐一も

 ニューウェーブとは荻原裕幸・加藤治郎・穂村弘・西田政史の4名のことという認識の上で、同世代の女性歌人や、後続の歌人を含めた「ニューウェーブ世代」という視点を提示できたら、さらによかったのではないかしら。


とつぶやいた(ともにツイッターでの発言)。

 会場の期待を受け入れる方が楽であるし、いくらかでも受け入れた方が和やかな祝宴になる。そして、四人がその会場の期待に気付かなかったはずはない。ところが、彼らは聴衆に迎合するそぶりも見せなかった。その点では四人は見事に一致しており、まるで事前に打ち合わせていたかのようだった。

 しかも、それだけではない。彼らは「現象」「偶然性」といった言葉を使い、彼ら自身にも一派としての自覚がなかったこと、一派であるかのように見られたのでそれを自身の活動に利用したということまでも告白した。

 ニューウェーブのブランド価値は、この「30年」の間に、短歌の世界で確固たるものになっていたはずだ。それを維持してゆくことができれば、今後も彼らの活動の場は一応保証される。しかし、彼らは自分たちのブランドを無難に守ろうとはしなかった。

 現に活動し続け、変化し続ける歌人としての誇りを、私はそこに見たような気がする。昨年西田の第二歌集『スウィート・ホーム』が第一歌集以来二十数年の空白期間を経て出版され、この五月には加藤の意欲的な新歌集『Confusion』、穂村の十七年振りの単行歌集『水中翼船炎上中』も出た。なるほど、彼らは現代の歌人だ。


(つづく)


(2018.6.10 記)

     §


(今後の議論に向けて)

 今回のシンポジウムには、議論のテーマになり得る話題が二つあったと思う。一つは、

 ニューウェーブに女性歌人が含まれるのか
 もし含まれないとしたら、それはなぜか


 これについては、やはり現象と運動を分けて考えるのがよいと思う。

 千葉の質問の射程は、現象としてのニューウェーブにとどまっていた。これまで(ことに90年代当時は)誰も女性歌人を「ニューウェーブ」として取り上げなかった、というのが荻原や穂村の回答だった。荻原・加藤・西田・穂村らの意図を超えた現象の話だから、それを四人の問題として取り上げることは一応できない。

 他方、女性歌人と運動としてのニューウェーブの関係については回答がなかった。こちらは意識的な運動の話だから、まずはその運動に参加した荻原・加藤・穂村の問題だろう。もしその運動としてのニューウェーブにも女性歌人が含まれていなかったとすれば、なぜ参加を求めなかったのか、と三人に対して問うことはできるかもしれない。

 なお、荻原・加藤・穂村の発言の端々から一面的な女性理解が窺われるのは、いささか気になった。加藤の不用意さにはすでに触れたが、荻原にも同様の発言があった。「常にそういう集団性は、短歌史的には男性の歌人のものなんです」というが、それは単にアララギとその支流がそうだったというだけだ。また、その短歌史の認識がもとになっているとはいえ、「ニューウェーブという括りをした瞬間に女性歌人は排除される」とするのも乱暴な感じがする。そもそも、「括りをした」責任の一端は荻原自身にもあるのだから、「排除される」などという他人事のような言い方はない。

 穂村が「そういうことをいつも男たちはする」という「彼女」の言葉を紹介するとき、穂村は「彼女」に共鳴し、男たちのニューウェーブを相対化しようとしている。しかし、穂村は彼女が女性の一人であって、女性全般でないことには言及しない。

 「この人たちが五人で並んでるところ、想像できない」というのは議論のすり替えのように感じられる。その女性五人が一つの運動をともにすることは想像できないかもしれないが、だからと言って女性が運動に不向きだと言えないことは当然だ。事実、東はニューウェーブの一員として認められなかったことを残念がっていた。

 穂村の今回の発言には独特の、偏った女性観が表れていたと思う。穂村は以前も、「男性が構築した株式と法律と自動車とコンピュータの世界に対する違和感」と女性の「妖精性」への憧れを語り、

 僕は(略)そういう女性が突拍子もない世界のカギを持っていると考えていて、そして、そっちに真実があるという発想だから。


と言っていた(山田航との共著『世界中が夕焼け:穂村弘の短歌の秘密』新潮社、2012年)。しかし、妖精と呼ばれて喜ばない女性もいるだろう。

 そして、議論のテーマになり得る話題のもう一つは、

 ニューウェーブの歌人は荻原・加藤・西田・穂村の四人だけなのか


 これについて実証的に研究することは、もちろん無意味ではない。しかし、最も重要なのは、荻原・加藤・穂村の三人がそう自認しているという事実ではないか。彼らの発言の当否を論じるよりも、今回彼らがそう発言したこと自体をニューウェーブ論のための一資料として扱う方が一層生産的だと私は思う。


(つづく)


(2018.6.8 記)

(内容5のつづき)

 東の問いかけに、まず加藤が答えた。

 加藤 女性というとまたややこしくなりそうなんですけど、私はむしろ、女性歌人はそういった括りの中には入らなくて、もっと自由に空を駆けてゆくような存在だと考えていて(会場笑)、つまり葛原妙子や山中智恵子を前衛短歌に入れる必要はないし、早坂類をニューウェーブの中に閉じ込める必要は全くないと思っています。

  要するに今いらっしゃる四人でニューウェーブが完成されている……(会場笑)ということでよろしいんでしょうか。

 加藤 はい、それはもう、四人……(会場笑)

  では、加藤さんとしては、今日の「ニューウェーブ30年」は四人の作品を考える集まり、だと……

 加藤 はい……はい……そうですね……

  でも、それは多分一人一人捉え方が違うのかな、と思うんですけど……

 加藤 そこは今後の議論の、ポイントですね。(会場笑)

 荻原 今後じゃなくて、今でいいんですけどね。(会場笑)


 この辺りになると、私も周囲の人たちと一緒になって笑ってしまい、ほとんどメモを取るどころではなかった。そのため、会の後、矢場とんの店内でみそかつを待つ間に急いで記憶をたどらなければならなかった。それでも、やり取りの重要な部分は書き落としていないだろうと思う。

 女性歌人が「自由に空を駆けてゆくような存在だ」というのは不用意な発言のように思える。しかし、ニューウェーブの中に入る女性歌人はいないか、という千葉の質問がシンポジウム以前に公開されていたわけだから、「入らない」という回答自体は事前に用意されたものにちがいない。

 それに続く東の第二の問いかけが不思議だ。ニューウェーブの中に女性歌人が入らないということと「四人でニューウェーブが完成されている」ということは、直接はつながらない。ところが、論理に飛躍のあるこの発言を加藤はそのまま肯定してしまうのだ。東の言葉の勢いに気圧されたのだろうか。

 おそらくそうではない。これこそ荻原・加藤・穂村に共通の認識なのだ。その認識を提示させた東の問いかけはまるで一つの奇跡のようだった。加藤に代わり、穂村は次のように答えた。

 穂村 ここで言っているニューウェーブって、先に荻原さんの新聞記事発の定義があったんでしょ? それで、そこに推された人たちが偶然性に乗って……。だから、その質問は何となくニューウェーブの定義返しみたいなところがあると思うんだけど。今名前が出た一人一人の女性の価値評価に関しては、僕、すごく論じてるよね。でも、じゃあそれをニューウェーブと呼びましょう、と僕らの間で言っても、今までの歴史的な経緯があるから、それは変になるんじゃないの?

  ニューウェーブという概念の定義がだいぶ違うんだな、ということを認識したのが今日の大きな「収穫」かなと思います。ニューウェーブっていうのは、時代の全体運動のように私は捉えていたんですけれど、それはもっと狭いものとして捉えた方が……

 穂村 東さんのおっしゃってるのは、さっきから話題になっていたライト・バースに近いですね。そこには林さんとか、紀野さんとかが入っていたわけで……ほかの人たちは時代が後だから入ってないけど。文体は紀野さんが文語で、仙波龍英さんとかも文語だけど、ライト・バースと呼ばれていたんですよね。


 穂村は女性歌人とニューウェーブの関係について話しつつ、結局加藤の「四人」説を補強しているのだろう。千葉の質問に誘導されて、内容4の荻原は話題を女性歌人に限定していたが、あの回答の真意はここでの穂村の発言に近かったのかもしれないと思う。実際、この穂村発言の後、荻原は「ニューウェーブって、すごく狭い視野だっていうことを意識してもらった方がいいのかもしれない」と言い、加藤・穂村の発言を肯定した。それを結論のようにして、今回のシンポジウムは終了した。

 この内容5の間、西田は一言も発しなかった。自分をニューウェーブと思ったことはないという西田は、ニューウェーブの範囲をめぐる話題には関心を持てなかったのだろう。


(つづく)


(2018.6.6 記)

(内容4)

 ニューウェーブに女性歌人は含まれない、と荻原が明言した。

 順序としては集団性に関する穂村発言より前で、これが当日の山場を準備するもう一つの導火線になった。具体的にはこうだ。事前に千葉聡が次のような質問を出していた。

 ニューウェーブというと、男性歌人四人の名前があがりますが、女性歌人で、同じように論じられる人はいませんか。

 私は林あまりさん、東直子さん、紀野恵さん、山崎郁子さん、早坂類さんを、ニューウェーブに近い存在として読んできました。


 大井の質問と同様に、この質問も参加の申し込みをした者に一斉にメールで送られていたものだ。私もシンポジウム以前に知っていて、おもしろい視点だと思っていた。だから、シンポジウムでの荻原の司会の仕方はやや意外に感じた。

 荻原 論じられてきていないので、いません! 女性歌人がなぜニューウェーブの中で語られないか、っていう話はまたちょっと別ですので、これは今日の論旨の中ではちょっと無茶だと思いますね。千葉さんが名前を挙げた女性歌人は、それぞれライトバースだとか口語の表現だとかの切り口で加藤さんや穂村さんと並べて論じることができると思いますが、ニューウェーブという括りはまた別なので、これはちょっと、無茶ですね♡ はい、次の質問、行きます!


などと言って、他の三人に話を振らないまま、次の話題に移ってしまったのだ。「!」や「♡」はもちろん私の主観的な受け取り方に過ぎない。でも、本当にそんなふうに聞こえたよ。

 荻原の発言の主旨は、これまで実際に女性歌人の誰もニューウェーブの一員として論じられてこなかった、その歴史を変えることはできない、ということなのだろう。

 それは必ずしも正確な歴史認識とは言えなかったかもしれない。1998年刊行の『新星十人』(立風書房)という合同歌集は、副題が「現代短歌ニューウェイブ」であるにも関わらず、著者欄に荻原・加藤・穂村と並んで紀野恵や林あまり、さらには坂井修一・辰巳泰子・水原紫苑・吉川宏志・米川千嘉子までが名を連ねていた。また、「歌の葉」では「ニューウェーブ」の名を冠して、もろもろの活動が行われていたのではなかったか。そうであるなら、「歌の葉」が発掘した新人も広義のニューウェーブではないのか。

「論じられてきていない」ことを実証するには、「ニューウェーブ」という言葉の用例を調べる必要があるのだろう。また、90年代中期までの現象としてのニューウェーブと90年代末からの運動としてのニューウェーブを分けて考える方がよいのかもしれない。

 そのことを確認した上で荻原を擁護すれば、90年代半ばに林や紀野、早坂類、東直子、山崎郁子がニューウェーブの一員とは見なされていなかったというのは、実感としてうなずけるところがある。私は当時、すでに『短歌』や『短歌研究』を買って読んでいたが、それらの歌人が誌上で取り立てて話題になっていたという記憶がない。対して西田の

シーソーをまたいでしかも片仮名で話すお前は——ボクデスヲハリ

(『ストロベリー・カレンダー』1993年)


などは紛れもない問題作として扱われていた。『短歌研究』の座談会だったか、年長の歌人から西田の歌について問われた穂村が「自分も分からない」と答えていたことを覚えている。


(内容5)

 いよいよ山場だ。ニューウェーブは今回登壇した四人だけだと加藤が主張し、穂村もそれを認めた。西田は何も発言しなかった。

 詳細はこうだ。前の記事にも引いた穂村のこの言葉、

 穂村 彼女は別に僕ら個々を否定してるわけじゃなくて、ニューウェーブっていう集団制が多分嫌なんだと思うんだよね。


を受けて、荻原が次のようなことを言った。

 荻原 語弊があるかもしれないですけれど、常にそういう集団性は、短歌史的には男性の歌人のものなんですよね。千葉さんの質問に「女性歌人は?」とありましたけれども、ニューウェーブという括りをした瞬間に女性歌人は排除されるようなところがあって、だから語れないんだし、そもそもそういう文学運動と相性が……


 これに対して穂村は「この人たちが五人で並んでるところ、想像できないもんね」と応じ、半ば肯定した。「この人たち」とは、千葉が挙げていた五人。

 ここでのやりとりには注目すべき点がいくつかあるが、まずは先を急ごう。ここからだ、予想を超える急展開になったのは。ニューウェーブに女性歌人はいないと断言し、加藤や穂村、西田に一言のコメントすら求めなかった荻原が、どういう思い付きか、聴衆の側にいた東直子に発言を促したのだ。これこそライブの醍醐味だった。

 そして、東は期待を裏切らなかった。

  自分はニューウェーブには入らないだろうと思ってはいたんですけど、配付資料の「ニューウェーブ関連年表」に自分の名前が入っていないのを見て、ちょっと外されたかな、と正直感じたところがあるんです。ニューウェーブという短歌史の認識に対しては、なんで林あまりさんとか早坂類さんとか、私の好きな干場しおりさんとかが議論の俎上に上がってこないのか、疑問に思って、千葉さんの質問に共感して聴いていたんですけど、サラッと荻原さんに流されてしまって、あれ?と思ったのは私一人ではないと思います。加藤さん、穂村さん、西田さんにその辺のことを一言ずつでも聞けたらと思うんですが。(会場拍手)


 幾分長い発言だったのですべてを聴き取り、書き取ることはできなかったが、要旨はこれで間違いないと思う。また書き取った言葉については、細かな言い回しも大体こんな感じだったと思う。


(つづく)


(2018.6.5 記)

 2018年6月2日(土)、栄ガスビル(名古屋)にて。登壇者(壇はなかったが)は荻原裕幸・加藤治郎・西田政史・穂村弘。宣伝チラシのタイトルは「現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年」。テーマは、

ニューウェーブは、何を企てたか


 3月半ばに告知があって早々に参加を申し込んだものの、前日まで出掛けるのを億劫に感じていた。熱烈な信奉者を大勢集めてニューウェーブを自画自賛する、予定調和の会になりそうな気がしていた。昼にしら河のひつまぶし、夜に矢場とん本店のみそかつを一人で食べることに決めて、それを楽しみに何とか会場にたどり着いた感じ。

 結果は、予想と全然違った。短歌の世界で、これほど刺激的で有意義だったシンポジウムを私は知らない。会場で取ったメモをもとに、この会の概要を私なりにまとめておく。なお、会場での発言の再現も私のメモによるので、一字一句正確なものではない。


     §


(会の形)

 形式としては「公開座談会」だった。シンポジウムと銘打っていたが、一人一人のまとまった報告はなかった。パネルディスカッションと呼べるほど明確に四人の立場の違いを打ち出すわけでもなかった。


(時間配分)

 前半は四人による総論的な座談で、司会担当は加藤。休憩をはさんで後半は、あらかじめ受け付けていた質問に対する四人それぞれの回答。司会担当は荻原。


(内容1)

 西田が「自分のことをニューウェーブと思ったことはない。今日の会に出るのも、最初は嫌だった」という意味のことを言った。会が始まってすぐに発せられたこの西田の言葉が自画自賛の流れを断ち切った。そして、その影響は会の最後まで継続した。この会の方向性を決定付けた重要な発言だった。

 会は加藤の司会で始まった。「ニューウェーブ」の項が1999年版『岩波現代短歌辞典』にはあるが、2000年の三省堂版『現代短歌大事典』にはないという。加藤は「今から考えると、信じられないですよね」というようなことを言った。荻原・加藤・穂村は岩波版の方の編集委員だったが、加藤の発言を受けた荻原が岩波版でも「ニューウェーブ」の立項には異論があったことを暴露した。他の編集委員の無理解を印象付けることを意図した発言で、ここまでは自画自賛が濃厚に感じられた。

 そこに西田の発言があり、穂村がその「ニューウェーブ」の捉え方に賛同した。西田と穂村の発言をまとめると、

・ニューウェーブは共通の方法意識をもった運動ではなく、結果としてそう見える「現象」だった。

・ニューウェーブという用語の初出とされる荻原の朝日新聞(1991年7月23日付)のコラムにしても、単に新しい動きという意味でその言葉を使ったに過ぎない。

・ところが、歌壇がこれをかつての「前衛短歌」のような自覚的な運動の名称として誤認した。穂村によれば、その誤認は穂村たちの歌を流布させるのに「都合がよかった」。


 これらの意見に、加藤と荻原も同意した。


(内容2)

 「場のニューウェーブ」をめぐる四人の発言から、加藤と荻原がニューウェーブを「現象」から「運動」に発展させていったさまが浮かび上がった。

 事前に大井学が次のような質問を出していた。

 いわゆる「ニューウェーブ」の特徴の一つが、新しい「場」を作ったことだという印象があります。(略)ニューウェーブの皆さんには、既に90年代には歌壇的な作品発表の場や、機会が相応にあったはずですが、なぜ、こうした新しい「場」を開拓していったのでしょうか。その時の皆さんの「思い」(それぞれの関与の仕方なども含めて)を教えていただければと、思っています。


 これに対して、加藤が「場のニューウェーブ」という言葉を使って、「エスツー・プロジェクト」や「歌の葉」の活動の流れを説明した。荻原は、

・加藤が「若い人が作品をまとめて発表できる場がない」と言い、荻原が「じゃあそういう場を作りますか」と応じたところからそうした活動が始まった。

・穂村を誘って活動に参加してもらったが、常に穂村は積極的ではなかった。


ということを明らかにした。穂村も「自分から何かをしたことはない」と明確に認めた。西田は「その時代のことは全く知らない」と言った。

 配付資料の一つ、荻原と加藤の対談記録「場のニューウェーブ」(『未来』2001年7月)を見ると、荻原は次のように発言していた。

 SS-PROJECTは、私見を端的に言ってしまえば、ニューウェーブの文学運動です。短歌を核に据えた、新しいコミュニケーションスタイルを模索する運動です。結成以後三年ですが、加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸が、作品レベルで個々に展開していた文体・方法での「ニューウェーブ」を、場のレベルで実践してきたんじゃないでしょうか。


 ニューウェーブは元々は「作品レベルで個々に展開していた文体・方法」の呼び名だったが、それを加藤と荻原が「文学運動」に発展させたと見てよいようだ。


(内容3)

 穂村がニューウェーブの集団性に疑問を提出した。

 穂村 水原紫苑としゃべってると「ニューウェーブって何?」とか言われるの。俵さんがいればいいじゃんって。……どう思う、これ。(会場爆笑)そうだねって僕、言うしかなかった。それでね、「いつもあんたたちはそうなんだよ」みたいに言うんだけど、そのいつもの例として彼女が挙げたのはね、「晶子がいればそれでよかったのに、その後で男たちが晶子の開いた扉を通っただけなのに自分たちが開いたように言う。そういうことをいつも男たちはする」って。


 穂村の語りは間の取り方が絶妙で、それが会場を爆笑させたわけだが、発言内容自体は重要な問題提起を含んでいると感じられた。そして、穂村は次のように話を続けた。

 穂村 彼女は別に僕ら個々を否定してるわけじゃなくて、ニューウェーブっていう集団性が多分嫌なんだと思うんだよね。


 水原紫苑の真意は想像するしかない。ただ、穂村がここで水原の言葉を借りて言おうとしたのは、詩人が徒党を組むことによって詩から遠ざかってしまう危うさではなかろうか。しかし、それを認めれば、文学運動としてのニューウェーブの意義が否定されかねない。司会役の荻原(会は後半に入っていた)が「大事な問題なので後に回しましょう」などと言って話題を変えたのは、座談を空中分解させないためには致し方ないことだったと思う。

 だが穂村の発言は、実は裏にもう一つ、別の問題提起をひそませていた。女性歌人とニューウェーブをめぐる問題である。今回のシンポジウムの山場は、この後に出現することになる。


(つづく)


(2018.6.3 記)

 「数値からみる『サラダ記念日』」は、

 形態素解析など計量的手法を活用した検証を行う。


と宣言していた。文語を識別する浅野基準は「形態素解析」の結果をもとに作成したものと思われる。私は言語学を知らないので、形態素解析という用語自体を聞いたことがなかった。だからこの「計量的手法」に関わる問題かどうかは分からないが、浅野基準は、ある言葉を使用しない、という現象に注意を払わない。たとえば、浅野の調査で『サラダ記念日』より文語の使用率が低いとされている穂村弘『シンジケート』に、

台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し


という一首がある。「来ることを」などとあるべきところを「来るを」とするのは、「古典語の特徴があり現代の話し言葉で一般に使用されない」規則に従っているという意味で紛う方なき文語だが、浅野基準ではこれを文語に数えることができない(もっとも、この歌の場合は「熱し」が条件(4)に該当するから、浅野の調査でも文語の歌として数えることになる)。

泣きながら試験管振れば紫の水透明に変わる六月


 同じく『シンジケート』より(以下も同じ)。助詞を使用せずに「水」という主語を出す言い回しは古典にならったもののように見えるが、浅野基準ではこれも文語に数えない。主語に助詞を付けない例は『シンジケート』に少なからずあり、それらを文語に数えれば、文語の使用率の値は跳ね上がる。

 なお言えば、助詞を使用せずに「試験管」という目的語を出す言い回しも古典和歌や近代短歌にならった文語の一種と見なせるかもしれない。『シンジケート』にはこのように目的語に助詞を付けない例も多数ある。

 ただし、この「水透明に」や「試験管振れば」を文語に認定する作業が簡単ではないことも確かだ。

街じゅうののら犬のせた観覧車あおいおそらをしずかにめぐる


 この「観覧車」を「めぐる」の主語と取れば、主語に助詞を付けない一例になる。だが、もしかすると「街じゅうののら犬のせた観覧車——。あおいおそらを……」なのかもしれない。

「唾と唾混ぜたい?夜のガレージのジャッキであげた車の下で」


 助詞を使用せずに「唾」という目的語を出しているが、これはもちろん形式張らない現代の話し言葉を再現したものだろう。鍵括弧の中にこの語法がある場合は、そのように解する方がよいようだ。だが、鍵括弧がない場合は、それが伝統短歌風の文語なのか現代の話し言葉なのかを、どうやって見分ければよいのか。その判断の基準を明快に示すのは難しい。誤認が一定数あることを受け入れつつ、全てを文語に数えるか、あるいは全てを文語に数えないかのどちらかにするのがよいのかもしれない。

 浅野基準が「水透明に」や「試験管振れば」を文語に数えないことは、『Tri』6号の浅野の論考ではやはり有効だったと思う。文語の使用率の高い歌人の場合、そのような語法の例は枚挙にいとまがないほど多くなると予想される。しかし、それらを文語に数えても、文語の使用率の値が100%に達してしまったら、それ以上は増えない。対して、穂村の場合は上に述べた通りだ。それらを文語に数えれば、穂村と他の歌人の文語の使用率の差が縮まり、他の歌人に比べ文語の用言や助動詞の使用が少ないという穂村の特徴が幾分見えにくくなっていただろう。

 一方、『シンジケート』と今日の二十代歌人の歌集とを比較する際には、試みに「水透明に」や「試験管振れば」を文語に数えることを私は提案したい。そこに明確な差が見えるかもしれないと思うのだ。


(2018.5.21 記)

 拙い感想の結論から先に言えば、浅野基準は『Tri』6号の浅野の論考では有効だと思う。しかし、調査対象が変われば、この基準が機能しない可能性もありそうだ。

 理由は基準の精度だ。浅野自身が認めるとおり、この基準は必ずしも「厳密ではない」。まず気になるのは、明らかに「古典語の特徴があり現代の話し言葉で一般に使用されない」文語であるにも関わらず、基準から漏れてしまうものがあることだ。『サラダ記念日』を見ると、

落ちてきた雨を見上げてそのままの形でふいに、唇が欲し


の「欲し」は、用言を対象とする条件(4)に当てはまらない。

消しゴムを八十円で新調す 時計のベルト変えて二学期


の「新調す」もまた条件(4)に当てはまらず、

ふるさとに住む決意して眼閉ずればクライクライとこっそり聞こゆ


の「閉ずれ」「聞こゆ」もしかり。要するにシク活用の形容詞の終止形、サ行変格活用の動詞の終止形、上二段活用や下二段活用の動詞の終止形、已然形などは、浅野基準では文語に数えられないわけだ。

 次に、現代の話し言葉で一般に使用されるものの古典で使用されていたときの語義が失われている言葉、も気になる。古典と同じ語義でもって使用されていれば、それを文語と見なしてもよさそうな感じがする。だが、「現代の話し言葉で一般に使用されない」ことを文語の必要条件とする浅野基準からは、やはり漏れてしまうようだ。一例を挙げれば、助詞の「ば」だ。同じく『サラダ記念日」に、

鳴り続くベルよ不在も手がかりの一つと思えばいとおしみ聴く


という歌がある。「鳴り続ける電話のベルよ、不在の事実も君について知る手がかりの一つと思うので、そのベルの音を愛おしんで聴くのだ」というほどの意味だろうから、第四句の「ば」はいわゆる原因・理由を表す「ば」。予備校生になじみの用法でもって使用されたこの「ば」が、助詞を対象とする条件(2)に当てはまらない。

 ちなみに、条件(2)が例示する助詞「ぞ」は、現代の話し言葉で一般に使用されるものの古典で使用されていたときの用法が失われている言葉、だろう。しかし、条件(2)はこれを単に「現代の話し言葉で一般に使用されない助詞」と見なしている。

 さて、『サラダ記念日』では、ここに挙げたような言葉の用例はごく少数にとどまる。仮にそれを文語に数えるとしたら、文語の使用率が高い歌人の場合、その使用率がさらに上がると予想される。俵万智の文語の使用率が同時期の他の歌人よりも相当低いとの結論は変わらない。ならば、基準の精度をそこまで高める必要もなく、浅野基準はむしろ簡潔で利用しやすい。

 しかし、比較対象を2018年の二十代歌人にするときはどうだろう。厳密な基準に比べ、浅野基準は俵万智の文語の使用率を低く見積もる。一方、そもそも「欲し」も「閉ずれ」も使用しない口語派の歌人の場合は、基準をどう取っても文語の使用率の値は変わらない。浅野基準では、両者の文語の使用率の差がいくらか小さく見えてしまうのではないか。


(2018.5.18 記)


 末尾の部分を少し書き換えました。


(2018.5.19 追記)


 浅野大輝「数値からみる『サラダ記念日』」(『Tri』6号、2017年11月)が俵万智らの文語の使用率を調べるにあたり、ある語が文語かどうかを判定する基準を立てていた。すなわち、

 ある語が現代の話し言葉に一般的に登場するかを検討することで、どのような言葉が使われている場合に「文語」の使用があると言えるのか考えることができる。


との立場から、次の条件のいずれかに当てはまるものを文語と判定するものだ。

(1)「ず」「ぬ」「き」「けり」「なり」「ごとし」など、古典語の特徴があり現代の話し言葉で一般に使用されない助動詞がある場合

(2)「ぞ」「や」など、古典語の特徴があり現代の話し言葉で一般に使用されない助詞がある場合

(3)「をり」「あり」など、古典語に特徴的な補助動詞の使用が見られる場合

(4)「行きて」「好みて」「働きて」など、現代では一般に音便化する動詞などの活用が音便化せずに残存している場合


 なお、名詞については「古典語に特有か/現代でも使用するかという判断」に「恣意性が生じやすくなる」とし、条件には含めていない。この基準に従って調査し、一首に一語でも文語がみとめられるものを「文語を使用」として分類した結果、俵万智・加藤治郎・穂村弘の三名は、同時期に『短歌』『短歌研究』の新人賞に応募した者の中で特にその割合が低かったという。

 この浅野基準に対して、『Tri』のメンバーらは概ね賛同し(同号「つっこみ座談会+コメント」)、久真八志のウェブ上の記事「「数値からみる『サラダ記念日』」を読みました&計量的な文芸批評のすすめ」も「妥当」とした。

 これらの好評を受けて、浅野は最近ツイッターで、

 個人的な実感をベースにしているので、もっと良い基準の立て方はあるかもしれません。


と言いつつ、

 わりと有用なのかもしれないと思ったので、(略)よければご活用ください。


と呼びかけ、上の四条件をあらためて提示した(ツイッター上の発言は、知人のスマホの画面で確認した)。

 さて、この浅野基準は妥当だろうか。


(つづく)


(2018.5.16 記)

 同時代の歌集評では、収録歌の初出までさかのぼって論じることはほとんどない。特集「歌集の作り方」の一編、丸山順司「歌集編集の有り様を思う」は、松村正直『風のおとうと』(2017年)の収録歌と初出形を比較しているところがおもしろかった。

ランドセルにすすきを差してゆうぐれのいずこより子は帰りきたるか


 この歌の初出形(『塔』2013年1月)は、

ランドセルにすすきを差してのんびりといずこより子は帰りきたるや


だったという。「のんびりと」を「ゆうぐれの」に改めたことについて、丸山は

 「子」を距離を置いて描くことにより、「子」がまとう気配に奥行きをもたらしているかと思う。


と述べる。的確な読み取りだと思う。

 親が知らない子どもの領域への心寄せが一首のモチーフだろう。ただ、「のんびりと」した子はいつもの子であり、親はその子がどこですすきを取ってきたのかを知らないだけだ。この「のんびりと」が消えると、子の表情のイメージは不意にぼやけ始める。「子」自体が不可解な者のように感じられてくる。「ゆうぐれ」の時間がその不可解さを増幅する。子がまとう気配に「奥行き」が生まれるのだ。

足裏を子に踏まれつつ目つむれば身体の芯が遠くなりゆく


 この一首は、初出(『塔』2013年2月)では、

足裏を子に踏まれつつ目つむれば身体の芯は遠くなりゆく


だった由。助詞「は」を「が」に変えただけだが、丸山は

 「遠くなりゆく」感覚が、理屈ではなく実感的に受け止められる。


とする。これもまた穏当な理解だと思う。

 「身体の芯は」の方は、足裏を踏まれ目をつむった後に身体の芯がどうなったか、を述べ表す。その際、身体の芯はあらかじめ話題として選ばれている。このことは、出来事を後になって整理して記述したような印象を与える。つまり、「理屈」だ。

 一方、「身体の芯が」の方は、足裏を踏まれ目をつむった後にどうなったか、を述べ表そうとする。「身体の芯」はそこで突如、主語の位置に浮上する建て前だ。それが「実感」の表現と感じられる理由だろう。

 理屈を避け、現実味を尊ぶ写実派の伝統が『風のおとうと』にも生きているようだ。

メイもサツキもほんとは死んでいるんだと子はジャムパンを食べながら言う


の初出形(『塔』2013年7月)は、

メイもサツキもほんとは死んでいるんだと子がトーストを食べながら言う


であるとのこと。丸山は、

 「ジャムパン」となれば、上句が子供っぽい無邪気な思いつきのように感じられる。元の「トースト」だと、上句は「子」の確信めいた批評という気がする。


という。「ジャムパン」と「トースト」が喚起するイメージは、なるほど、確かにそれぞれ違う。丸山の指摘は、ここでも堅実だ。

 なお、初出形の「子が」が、歌集では「子は」になっている。前の引用歌では「は」を「が」に改めていたが、こちらはその逆だ。これについては丸山の言及がない。

 思うに、初出形は子の歌ではない。その折の作者の興味は、「メイもサツキもほんとは死んでいるんだ」という発言の内容に向いていた。あえて言えば、発言者は誰でもよかった。

 他方、歌集の形ならば、子の歌だ。まるで深遠な哲学のような、不思議な発言をしたのがほかならぬわが子であることに作者の関心は傾いていた。


(2018.5.13)

 『塔』今月号は読みどころが多く、一結社の機関誌の域を出ていると思う。すばらしい。

 特集は「歌集の作り方」。歌の作り方は商業誌に毎月のように載っているが、歌集の作り方の特集号は従来あまり無かった気がする。

 掲載されているのは花山多佳子さんを中心にした座談会、二頁ずつの文章三本、歌集出版経験のある会員の短文集。主な内容は歌集をまとめるきっかけ、編集の仕方、装幀の実際、これから歌集を出す人へのアドバイスなど、バランスがとれている。優れた編集スタッフがいるのだなと思う。

 梅﨑実奈「夢みる世界の構築法」はおそらく会員でない人の寄稿で、「紀伊国屋書店新宿本店」という肩書が短歌の専門誌には珍しい。同店の詩歌関係の棚が充実していることは、一部の読書家に知られている。『塔』編集部としては書店が歌集をどう取り扱っているか、書店員が歌集をどう見ているか、といった内容を期待して執筆を依頼したものだろう。ただ、その狙いは若干外れたようだ。「夢みる世界の構築法」は書物愛好家による哲学風の書物論といった趣で、それはそれでもちろん興味深いのだが、書店員という筆者の特殊性が今ひとつ強く押し出されなかったのは惜しい。

 なお、編集後記にこの筆者の紹介がないのは、今号の唯一の瑕疵かもしれない。


     §


 座談会「歌集をまとめる」では、花山さんの第一歌集『樹の下の椅子』に関する発言が印象に残った。

花山 (略)ただもう自分が勝手に選んで、すごく歌数を削り過ぎちゃったのね。その頃の一連の中から二首、三首だけみたいな格好で取ってきた。
 それは未だに後悔ね。つまり膨らみがないわけ。


花山 一連からいいのだけ引いてくるみたいな作り方をしちゃうと、すごく痩せちゃう。歌集がつまらない感じになるんですよ。


 次の発言も似たことを言おうとしている。

花山 (略)コンクールの特選歌みたいなのを並べても全然よくないんだよね。反対に普段目立たないのに、歌集にしてみるとその人の世界が立ち上がってくる歌っていうのはあるのよ。


 近現代の個人歌集にはたいてい目立つ歌と目立たない歌が併存している。それは歌集の読者が体験的に知っていることだ。歌集がそのように編集されていることの効能がここでの話題だろう。これについては以前、東郷雄二氏も次のように書いていた。

 連作には秀歌ばかりが並んでいるということはない。それは当たり前だ。他の歌より優れている歌が秀歌なのだから、秀歌の隣にはつまらぬ歌がなくてはならない。ではつまらぬ歌には存在価値がないのかというとそうではなく、秀歌を秀歌たらしめているのはつまらぬ歌である。だから一冊の歌集には少数の秀歌と大多数のつまらぬ歌があることになる。(略)
 歌集を読み始めた頃の私にはそのことがわからなかった。だからどの歌も同じように力を込めて読んでいたので、そのうち疲れてしまい一冊を読み通すことができなかったのである。歌集を読むときには、集中力を6割くらいに下げて並んだ歌に目を走らせる。秀歌センサーはオンにしてあるので、センサーに引っかかる歌が出て来たときに集中力を一挙に上げて秀歌をしばし味わい付箋を付ける。これが正しい歌集の読み方である。(「歌集の読み方」)


 花山さんと東郷氏では、目立たない歌の評価がいくらか違う。専門家の花山さんには、目立たない歌から「その人の世界」を読み取る能力がある。しかし、普通の読者は多分、東郷氏の言う「集中力を6割くらいに下げて並んだ歌に目を走らせる」読み方に賛同するだろうと思う。

 問題は、目立たない歌が歌集内に多数あることの効能だ。花山さんは積極的にそれを認めているようであり、東郷氏もまた効能自体は否定していないようだ。しかし、その仕組みについては、まだ議論の余地があると思う。私などは、効能の有無もまだよく分からない。


(2018.5.4 記)

 昨日、西村美佐子さん企画のシンポジウム(「短歌」はどういう「詩」か 第3回)に出掛けてきた。テーマは「玉城徹」、報告者は小池純代・永井祐・西村美佐子。質疑応答の時間に私も一つ質問したが、ほかにも尋ねてみたいことがあった。忘れないうちにメモしておこう。


     §


夕ぐれといふはあたかもおびただしき帽子空中を漂ふごとし
  (『樛木』1972年)


 著名な一首が話題に出たのはよかった。だれも知らない歌ばかり引かれるのは困る。ただ、永井さんはこれを簡単に「比喩」の歌と紹介したが、どんなことの比喩と解しているのかは説明しなかった。それを尋ねてみたかった。また、比喩とは解さないことも可能では? 夕暮れというのは、人々の姿が闇に紛れ、ただ皆の帽子だけが空中に浮かんでいるように見えるものだ——私はこちらの読み方が好きなのだが、そうすると地味な歌になってしまうか。


     §


春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるる横雲の空


 玉城は定家のこの歌について、

 「とだえして」から「峯にわかるる」と変化する、その継ぎ目のところが、いかにも軽薄に、繊弱にできています。(『短歌実作の部屋』1983年)


と批判する。一方、

よし野山さくらが枝に雪散りて花おそげなる年にもあるかな


という西行の歌については、

 「雪散りて」の「て」がきっぱりとよくはたらいているのが、定家の前掲歌と大違いなところ…… (同)


と好意的だ。二首の調子の違うことは、私も感覚的に理解する。しかし、「軽薄、繊弱」とは具体的にどんなところを指しているのか。きっぱりとよくはたらいている、とはなぜ言えるのか。小池さんに尋ねたい。


     §


 私は勉強不足で、森鷗外への玉城の讃辞は「晩年になるほど加速する」ということを西村さんの報告で知った。ただ、鷗外の歌は内容が明確で、玉城の歌論とは相容れないような感じもする。


     §


それぞれに生きこし方を言ふなれど面ざしはわが少年少女
  『香貫』(2000年)


 教職を退いた老人が同窓会に呼ばれた際の感慨だろう。理屈抜きに気持ちよく読める、こういった歌も玉城にはあるが、それがシンポジウムという場の話題から外れてしまいがちなのはやむを得ない。ただ、フラストレーションは溜まる。全体的に議論の内容が難しくなり過ぎるのは、何とかならないか。私など、後半の議論はほぼ理解できなかった。真摯に、熱心に傾聴を続けた参加者の知性の高さに私は驚嘆した。


     §


 『香貫』が刊行されたばかりのころに私は一冊購入して、楽しく読んだ。そのころ、玉城徹の歌文をテーマに論じようなどという人は稀だったと思う。敬して遠ざけるといった傾向が歌壇にあった気がする。

 生前歌壇の中心にいた人も、没後はあまり語られなくなるのが通例だろう。ところが、玉城の場合はむしろ没後によく語られるようになった。なぜだろう。シンポジウムの間、そのことをぼんやり考えていた。現代短歌とは一見距離のある玉城の歌を、今回のように皆で読んで語り合おうとする。他の忘れ去られる歌人と、何が違うのだろう。


(2018.4.8 記)

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