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 次に第二の点、内容の一部が不適切であったことを編集部が認めたことについて。佐藤弓生と川野芽生の発言に対して、同じ読者某が

『短歌とジェンダー』と題した特集内で作者の性別を特定する発言は不適切である


と主張したという。そして、編集部はその主張を全面的に認めたわけである。こちらはどう評価すればよいか。結論から言おう。私の考えでは、読者某の主張こそむしろ適切でない。その主張を認めてしまった編集部の判断は不当だ。

 ここで注意すべきは、佐藤と川野のやり取りの文脈だろう。佐藤の、

 男性の短歌からは今回、適切なサンプルが見つからなかったということでしょうか。


という質問は、川野の選歌における性別の偏りに焦点を当て、その選歌の意図を問うている。〈男性歌人にはジェンダー問題について考えさせられる短歌がないのか〉というのである。これは〈男性歌人はフェミニズムについて語ってこなかったのか〉という問いにまで繋がる、十分に意義深い問題提起であったように思われる。これに対して川野は、

 今回は特に女性が女性をエンパワーメントする歌を選んだ形になりました。


と返答した。「今回は……形になりました」との言い方で、男性歌人にも「ジェンダー問題について考えさせられる短歌」が存在すること、そうであるにも関わらず自分はそれを選ばなかったこと、を認めたのである。一瞬緊張が走ったのが感じ取れて、私にはこの座談会で最も印象深い場面の一つだった。

 ところが、読者某はこの問答を不適切だと言うのだ。私には不可解極まりない主張のように思える。読者某はフェミニストのように想像されるが、実のところその主張はフェミニズム嫌いを喜ばせるものだろう。それがどうにも腑に落ちないのだ。

 たとえ話をしよう。病院の外科に診察を受けに行く。診察室の扉に在室の医師のネームプレートが掲示してある。その医師の性別の表示はない。当然だ。しかし、医学部入試合格者の男女の比率の偏りを問題にする場合はどうか。受験者の性別を特定しなければ、そもそも議論自体が成り立たない。偏りを温存したい人のほくそ笑む顔が目に浮かぶ。

 国会議員、キャリア官僚、会社役員、映画監督……言うまでもなく、あらゆるところにこの男女の比率の問題は存在する。瀬戸夏子が指摘した通り、短歌の世界も例外でないようだ(『現実のクリストファー・ロビン』書肆子午線、2019年、326-327頁)。そして、原則として医師のネームプレートに性別を併記する必要性がないこと、すなわち当該分野で性別をことさらに特定する必要性がないことを再確認するために、この再確認の場では一旦性別を特定する必要があるのだ。

 繰り返しになるが、佐藤と川野の話題が男女の比率であったことに注意したい。「ジェンダー問題について考えさせられる短歌」の作者群における男女の比率である。山城周はこう述べていた。

 フェミニズムを話しているから女性だと判断するのは誤りであるし、フェミニズムの持つ可能性を狭めるものだ。(「中立はすでに(フェミニストの訂正)」)


 示唆に富んだ一文だと思う。男性歌人に「ジェンダー問題について考えさせられる短歌」はあるのか、ないのか。もしもあるとしたら、その歌を川野が選ばなかったのはなぜか。これらの話題を前にして歌人の性別の特定を禁じるのはナンセンスだろう。読者某の主張こそ不適切で、その主張を認めた編集部の判断は不当だ、と私が考える理由である。

 今回事実誤認の指摘があったことからも分かる通り、性別の特定は困難を伴うこともある。また、山城が

 私が何者であるかを語らせられたくはない。(同上)


と述べていたように、性別を特定されたくない人もいるだろう。それでも、した方がよい場合はある。様々に配慮しつつ、無理のない範囲でするのがよいと私は思う。


(2021.1.22 記)

 座談会「短歌とジェンダー」の各出席者は、事前に「ジェンダー問題について考えさせられる短歌」を五首ずつ挙げていた。問題視されたのは、川野芽生の挙げた五首に関わる次の二つの発言だ。

佐藤 (略)男性の短歌からは今回、適切なサンプルが見つからなかったということでしょうか。
川野 今回は特に女性が女性をエンパワーメントする歌を選んだ形になりました。


 まず第一の点、事実誤認の指摘について。川野の挙げた五首は、それぞれ大森静佳・本多真弓・水原紫苑・山城周・山中千瀬の作だ。佐藤弓生はこの五名の中に男性がいないと判断して発言した。川野芽生はその判断に反論せず、五名全員が女性であることを前提として発言した。ところが、読者某は、

作者の性別について事実誤認がある


と指摘した。編集部もまたそれを是認した。これらをどう評価するか。結論から言えば、私は読者某の指摘も編集部の対応も半分正当で、半分不当だと思う。

 作者五名のうち仮に誰か一人でも女性でないとしたら、「女性が女性をエンパワーメントする歌」という川野の発言は事実誤認。しかし、そんなことがあり得るだろうか。私は当初、半信半疑だった。だが、少し調べてみて分かった。一人は確かに女性でないらしい。

 『ねむらない樹』vol.5に「前号の特集におけるお詫びと撤回」が載る以前に、山城周がウェブ上(「中立はすでに(フェミニストの訂正)」2020年5月14日付)で自身が女性でないことを表明していた。すなわち、佐藤と川野の上記の発言を引いた上で、

私は今から言いたくないことを言う。/私は女性ではない。/この一文を、載せなければならない。とてつもなく嫌だ。気分が落ち込む。/私が何者であるかを語らせられたくはない。/だけど載せなければならない。/フェミニズムのためであるし、私のためである。


と記し、

少なくとも、佐藤と川野は私が女性であることを承服していると読み取れる。


と述べ、

とても良くないことだと思う。恐ろしい。情報の正誤など。


と抗議していたのだ。本人の言葉を疑う理由もない。「女性が女性をエンパワーメントする歌」という発言に対して、「事実誤認」という読者某の指摘は正当ということになろう。

 では、佐藤の「男性の短歌からは今回、適切なサンプルが見つからなかったということでしょうか」という発言はどうだろうか。こちらは川野の発言ほど簡単ではない。

 山城の文章で見逃すべきでないのは、「私は男性だ」とは決して言っていないということだ。これと全く同様に、佐藤の発言の仕方にも注意すべきだと私は思う。佐藤はただ川野が男性の短歌を選ばなかったと言っているだけであって、女性の短歌しか選ばなかったなどとは言っていない。少なくとも、言葉の上ではそう解するほかない。

 だから、山城が佐藤と川野の発言を一括りにして「私が女性であることを承服していると読み取れる」(同上)と速断したことは、不当だ。なぜこんな判断になったのだろう。不可解だ。山城以外の人間はことごとく旧来の男女二元論者で、その者の「男性ではない」との発言は必ず「女性である」ことを意味する、とでも言いたいのだろうか。山城は自身の言葉の使い分けには非常に意識的であると思われるのに、佐藤の言葉の使い方には注意を払わない。

 この私の不審は、読者某に対する私の不審とほぼ重なっている。五名の作者のうちの誰かが男性であると認定し得る根拠は、おそらくどこにも存在しないだろう。したがって、佐藤の発言まで事実誤認と決め付ける点においては、読者某の指摘もまた不当と言わざるを得ない。そうであるのにその指摘を編集部が無批判に受け入れたことは、佐藤の発言に興味を感じた別の一読者として残念だ。


(続く)


(2021.1.20 記)

 買っていなかった『ねむらない樹』vol.5(2020年8月1日)をようやく買って読んだのだが、編集後記と同じ頁に載っている短い記事「前号の特集におけるお詫びと撤回」に驚いた。前号掲載の座談会「短歌とジェンダー」(川野芽生・黒瀬珂瀾・佐藤弓生・山階基)の中の発言をめぐり、

読者の方より「引用歌の作者の性別について事実誤認がある。また、『短歌とジェンダー』と題した特集内で作者の性別を特定する発言は不適切である」とのご指摘がありました。発行元として、編集の過程でチェックに甘さがありました。お詫びをして、上記発言を撤回させていただきます。


というのだ。私が驚いたのは、主に次の三点である。

 第一に、作者の性別について事実誤認があるとの指摘があったということ。また、編集部がその指摘を是認したこと。氏名の明らかな作者の性別を誌上の発言者が誤認し、それを読者に指摘されるなどというのは、ちょっとなかなか無い話ではないかと思う。

 第二に、内容の一部が不適切であったことを編集部が認めて謝罪していること。話は単に事実誤認を訂正するということにとどまらないのだ。これも短歌雑誌ではこれまであまり目にすることがなかった事例ではないかと思う。

 第三に、座談会の出席者の発言を編集部の名において撤回していること。これまた、従来あまり聞いたことがないやり方だ。

 しばし考えさせられた。第三の点については、編集部は非常にまずいことをしたと私は思う。編集の責任者はもちろん、当該箇所の掲載に対して謝罪することはできる。しかし、発言者を差し置いて発言自体を撤回する権利まで有するものではないだろう。

 一方、幾分検討を要するのは第一と第二の点である。


(続く)


(2021.1.18 記)

 NHK連続テレビ小説『エール』はここ二週間ほど、太平洋戦争の時代に入っている。内野光子さんの論考「古関裕而はだれにエールを送ったのか」(『現代短歌』2020年11月号)に、

 戦時下の古関をどう描くのか、注視したい。


とあった。古山裕一(古関をモデルとする主人公)が即日召集解除されたことに負い目を感じて戦争協力に傾いたとの設定は史実と異なるし、現代の視聴者に分かりやすい解釈を安易に採用した気がして私は不満だ。ただ、全体的に見て、『エール』の制作者たちは古関の戦中の活動を丁寧にドラマ化しようとしていると思う。10月8日放送回(第84回)などはテレビの画面から目が離せなかった。土浦海軍航空隊を見学して帰宅した際の、

「予科練の若者はね、すばらしかった。感動した!」


との台詞、あるいは内弟子だった五郎から「戦争に行く人が増えれば、無駄に死ぬ人が増えるだけです」と意見されて、

「命を無駄というな!!」


と激高する場面等々、軍歌の覇王と呼ばれた作曲家の一面をよく表現できていると感じた。


     §


 ところで、その『エール』9月30日放送回(第77回)に出てきた古山音の妹、梅の台詞、

「こんなときまで大好きな歌ができるなんて幸せなことじゃん。戦争がはげしくなったらできんくなるかもしれん。」


 音と梅は豊橋出身で「じゃん」と「できんくなるかもしれん」はその地方の言葉との設定だろう。注目したいのは「できんくなる」だ。これは、(a)1940年前後の当該地域でそのような言い方がすでに定着していたとの考証に基づく台詞、なのだろうか。それとも、(b)時代劇の登場人物の台詞が現代語であるのと同様に現代の方言を借用しただけ、なのだろうか。はたまた、(c)単に制作陣が時代ごとの方言の違いを知らずにうっかり作ってしまった台詞、であろうか。

 (a)なら前の記事の私見がちょっと揺らいでしまう。しかし……まあ、やはり(b)か(c)なのだろう。ツイッターでも同様の指摘が放送後間もなくあったと聞いた。

 この『エール』の例に限らず、映画やテレビドラマを観て同じような疑問を持つことは時々ある。ネットフリックス制作のドラマ『全裸監督』(シーズン1:エピソード7)の舞台は1980年代後半の東京だが、いかにもその時代の髪形・服装をした女の登場人物に次のような台詞があった。

「わたし、そろそろ会社もどらないとだ。」


 「そろそろ会社もどらないと——」だけならずっと昔からある話し言葉だが、そこに「だ」を付けると新たなニュアンスが生まれる。自分のあり方をもう一人の自分が俯瞰して説明するような、少し醒めた言い方とでもいえばよいだろうか。

 私は今から数年前、こういった言い方をする人がいることに初めて気が付いた。これには色々なバリエーションがあって、例えば「そうなるかもだけど」などと使う。この手の言い方がいつごろからよく使用されるようになったのか知らないが、少なくとも私が学生生活を送った1990年代の東京ではほとんど聞かれなかったはずだ。『全裸監督』の登場人物の台詞は原則として、制作された2019年現在の話し言葉を使用しているのだろう。

 しかし、1980年代後半の東京に「わたし、そろそろ会社もどらないとだ」といった言い方をする人が一人もいなかったかというと、それは断定できない。細々と一部の人たちが使い続けた言葉がある時点から一般的になったと考えるのが自然だろう。だから、『エール』の「できんくなるかもしれん」にしろ、『全裸監督』の「そろそろ会社もどらないとだ」にしろ、時代考証に疑問符を付けることはできるが、ありえない台詞とまでいうことはできない。


(2020.10.10 記)

 現代短歌社が歌集歌書の書評を対象とする「BR賞」を創設し、『現代短歌』11月号がその第一回の選考結果を発表している。応募三十一編中十三編が予選通過したものの受賞作なし、佳作七編とのこと。私は座談会の記録を読むのが好きなので、今回の選考座談会(選考委員の内山晶太・江戸雪・加藤英彦・染野太朗)の記録もおもしろく読んだ。

 その内容は全体的に応募者に厳しく、新しい賞の基準を高い位置に置こうとする選考委員たちの意識が感じ取れた。私はこれと佳作七編の本文をともに読んで、受賞作なしとの判断に納得するほかなかった。次回はその高い基準を超えて受賞する書評が現れるだろうか。今から楽しみだ。


     §


 佳作の一編、吉岡太朗『世界樹の素描』(2019年)を取り上げた石井大成「〈ほんまのこと〉への機構」が同歌集の一首、

なにひとつ画鋲に付着せんくても抜いたらそこにある暗い穴


を引き、次のように述べている。

 掲出歌の「せんくても」は標準語的な書き言葉にすると「しなくても」となるだろう。【shi-na】が【sen】となり、音節が少なくなると同時に発音のせわしなさも軽減される。標準語よりもするするとした韻律になるのだ。文法論的にいえば音便ともいえ、音便と方言の関係は、方言を「標準語が発話される過程で生じる変化」と捉えれば納得できる。


 選考委員の一人、加藤英彦は石井の文章に点を入れながらこの一節には批判的だ。いわく、

 明治以降、方言撲滅運動も含めて、国家による標準語政策が国策として強制されたわけですよね。そういった歴史を考えると、方言が「標準語が発話される過程で生じる変化」とはぼくには到底思えないのです。


という。また、これに江戸雪も賛同して「かなり引っかかった」と発言している。

 しかし、どうだろう。現代の日本語に関する学問を私は知らないが、「せんくても」に対する石井の理解は、少なくとも加藤のそれよりは適切なのではないか。「せんくても」は明らかに標準語ではないが、かといって多分伝統的な方言でもない。方言は方言でも、近年の若者言葉に分類すべきものだろう。

 それは例えば「せんでも」という伝統的方言と「しなくても」という標準語の併存状態の後に生まれた言葉と推測することが可能だ。したがって、「せんくても」を「標準語が発話される過程で生じる変化」の結果と見なし、その効用を「標準語よりもするするとした韻律になる」と捉える石井説はそれほどひどく間違ってはいないと思われる。

 ただし、この「せんくても」の効用が歌集の評価にどうつながるのかを石井は説明し切れていない。そういったところを説明できればもっとずっとおもしろい書評になると思う。


(2020.9.21 記)

 4月7日付「日々のクオリア」で吉田隼人が岸上大作の著名な一首、

意志表示せまり声なきこえを背にただ掌のなかにマッチ擦るのみ

 『意志表示』(1961年、角川文庫1972年)


を取り上げて、

 わかりにくい歌である。代表歌でありながら雰囲気に流されて、一首の意図するところが必ずしも明確でない。


と述べていた。どのあたりが「わかりにくい」というのだろうか。続きを読んでみると、

 「意志表示せまり」と連用形(引用者注ー原文は「連体形」だが、誤記だろう)なのがわかりにくくさせている。声なき声は意志表示を迫っているのではないのか。一首中の「われ」が意志表示を誰かに迫っているのであれば、なぜ自分は掌にマッチを擦るだけで何の行動にも出ないのか。寺山修司が岸上の没後、「いい歌なんか一首もないではないか」と悔やみの罵声を浴びせたのが思い出される。


とのことである。つまり——「声なきこえ」が意志表示を迫っている、といった意味に取らせるなら「意志表示せまる声なきこえ」としなければならない。原歌のままでは「私は人に意志表示を迫り、声なきこえを背にただ掌のなかにマッチをするだけだ」といった意味になってしまう。これでは文脈が通らず、よい歌とは言いがたい——ということだろう。

 こういった見解は以前からあって、私はそれに反論したことがある(『日本語 文章・文体・表現事典』朝倉書店、2011年、当該歌の鑑賞欄)。ただ、うまく反論できたかどうか、今ひとつ自信は持てなかった。この機会にあらためて私見をメモしておこう。

 「意志表示せまり」は確かに違和感を与えるところがあると私も思う。しかし、全く無理な言い回しというわけでもない。「得点力があり、守備にも隙がない選手」「事故に巻き込まれ、怪我をした人」など、連用形・連体形・体言と続く例文はいくらでも作ることが可能だ。ただ、一方で「意志表示をせまり、甲高い声」などとはあまり言わない気がする。その違いはどこから来るのか。

 「得点力があり」と「守備にも隙がない」は並列関係。「事故に巻き込まれ」と「怪我をした」は因果関係、あるいは時間の前後の関係だ。どちらの例文も、そのように関係している二つの事柄の描写や説明を連用形で繋いでいる。

 ところが、「意志表示をせまり」と「甲高い」は、本来繋げられないところを強引に繋いだ感じがする。その二つの事柄は次元が異なっていて並列関係にはならないはずだし、時間の前後の関係でもない。分かりやすい因果関係でもない。「意志表示せまり」と「声なき」も当然、これに同じ(「意志表示をせまり甲高くなる声」や「意志表示をせまり声なき声になる」なら因果関係とも時間の前後の関係とも見なし得るが、単に「甲高い声」「声なき声」だけでは苦しい)。これが違和感の正体なのだろう。

 だからといって、「私は人に意志表示を迫り、声なきこえを背に」云々といった珍妙な解釈を採るわけにもいかない。違和感は承知の上で、連用形・連体形・体言と続く構文として解するしかないのだ。口語訳は「意志表示を迫って、しかも無言のままの、その圧力を背中に感じつつ私はただ掌のなかにマッチをするだけだ」とでもすればよいだろう。

 そこで私が問いたいのは、原歌「意志表示せまり声なきこえ」と改作例「意志表示せまる声なきこえ」のどちらが歌の表現として優れているかということだ。私はあえて原歌の方を推す。

 なぜか。改作例は「意志表示せまる」が「声なきこえ」に掛かる。違和感のない言い回しだ。他方、原歌は「意志表示せまり声なき」が一塊の修飾句となって「こえ」に掛かる作りになっている。

 思うに、原歌の言い回しの要点は二つある。第一に、改作例の「声なきこえ」が慣用句の単純な借用と見えるのに対し、原歌の「声なき」と「こえ」は表現の上で一旦切り離されていること。それに伴い、慣用句の印象が後退すること。そのため、「声なき」をその場で起こった一回限りの現象の記述として受け取りやすくなること。つまり、そこに迫真性があること。

 第二に、違和感のある言い回しがむしろ臨場感と切迫感を生んでいて、まるで慌てて口走った言葉のようにも感じられること。意志表示を迫られる場面の表現として、それが効果的であること。つまり、表現と内容がよく一致していると思われること。表現がよく整理された改作例では、逆にそういった効果が薄くなってしまうこと。

 ここに一首、よい歌があることを私は疑わない。


(2020.6.7 記)

 ここは国の緊急事態宣言がまだ解除されていない地域だが、商店街の飲食店は先週から一足先に店内営業を再開したようだ。夕刻、居酒屋の前を通ると狭い店内に人が混み合っていて、楽しそうに大声でしゃべっている。これでよいのかどうか知らないが、町全体が解放感に充ち満ちている感じ。


     §


 『現代短歌』7月号が届いた。私はまだ前の5月号を読み終わらない。加藤英彦・染野太朗・松村由利子の座談会についても、感想はまだいくらかある。ただ、ここまでもう回を重ねてしまったから、とりあえずこの座談会の分は最後にしよう。

 この会は2月5日に行われたものだという。ちょっと不思議に思ったのは、染野の発言の中にすでにコロナウイルスへの言及があることだ。

 概括する言葉は本当に今、繊細に考えなきゃと思うんですよ。思考停止につながると思うんですよね。(略)それで終わるものが何かあって、そうやって例えばコロナウィルス関連で差別に走ったり、バーッと戦争に向かったり……


 「コロナウイルス関連の差別」とは何か。ここ最近の話なら見当が付く。例えば、4月17日付朝日新聞の社説の見出しは「コロナと差別」だ。内容を見ると感染者への差別、および医療従事者とその家族への差別の二つを挙げている。また、4月3日付朝日新聞デジタル「なぜ風俗業は支援対象外」を見ると、

 新型コロナウイルスの感染拡大で小学校などが休校したため、厚生労働省は子どもの世話で仕事を休んだ保護者向けの支援のしくみをつくった。ところが、性風俗や、キャバクラなど客の接待を伴う飲食業で働く人は対象外。ツイッターなどで「職業差別だ」「命を選別するのか」と批判が噴出している。


とある。しかし、2月5日の時点での言及はかなり早い。

 厚生労働省の発表や新聞の報道を追ってみると、日本国内で新型コロナウイルスに関係する肺炎患者が初めて報告されたのが1月16日。海外からの帰国者でない患者が初めて報告されたのが同28日だ。

 ダイヤモンド・プリンセス号の横浜港到着は2月3日。国内で初めてコロナウイルス陽性患者が死亡したのは、そこからさらに十日後、同13日である。同4日付読売新聞に「ネットでマスク「2箱8万円」、店頭で品切れ」という記事があるものの、この頃、私たちにとってコロナウイルスはまだどこか他人事だったのだ。

 当然、「コロナウイルス関連の差別」もそれほど広がったり、深刻化していたりしたわけではなかった。朝日新聞デジタルで「コロナウイルス 差別」で検索すると、1月31日付の「新型肺炎、広がるデマにどう向き合う」という記事が出てくる。ネット上に「中国人旅行客4600人を乗せたクルーズ船が博多港に到着」といったデマのツイートが拡散しており、中国人への差別につながりかねない、などと書いている。

 翌2月1日以降、国が中国湖北省に二週間以内に滞在歴のある外国人と、湖北省発行の中国旅券を所持する外国人の来日を拒否。やがて外国人旅行客の来日も激減して、この「差別につながりかねない」動きは終息するのだが、染野が言及したコロナウイルス関連の差別とはこういったデマのツイートを念頭に置いたものだったと推測される。

 ところで、先ほど触れたように、「差別につながりかねない」動きに代わって差別そのものが生まれたのは、その後のことだ。行政の「性風俗や、キャバクラなど客の接待を伴う飲食業で働く人」に対する職業差別。世間の感染者に対する差別、医療従事者とその家族に対する差別。松村は座談会の終盤に、

 対立する他者がいなくなったときに、新たな他者を内部に発見してそれを排除していく。


といった発言を残しているが、その後の世間の風潮を予言していたかのようで恐い。

 ともあれ、特定の被害者が存在する点で、それらの差別は2月5日時点で知られていた問題とは水準の異なる問題だった。そうであるなら、同じ顔ぶれでもう一度座談会を開くのも一案かと思う。明らかな差別を伝え聞いたり、身近に体験したりした直後は、あるいは議論の方向も変化するかもしれない。

 私自身、先月辺りからコロナウイルス関連の差別の存在を伝えるいくつかの新聞記事を読んで、気付いたことがある。性風俗関連の職業差別は論外だ。しかし、感染者を差別する人、および医療従事者とその家族を差別する人のことは、少なくとも私個人は全面的に非難するのを躊躇する。その人たちの多くは多分、元々の差別主義者ではない。差別主義者でなくとも、恐怖を感じれば、人は自分の身を守るために差別に走る可能性がある。私は、私自身が差別する側の一人になる可能性を完全には否定することができない。

 このように感じてしまうとき、差別をなくすためにそれを倫理違反として(つまり、差別はよくないことだと)糾弾したり、啓蒙したりすることは有効だろうか。無効だとは思いたくないし、実際に無効ではないだろう。しかしまた、別の方法もあるように思う。この点で、4月30日付朝日新聞に掲載された与那覇潤のコラムが参考になる。

 1カ月でこの国から追い出すべき病気なら、誰だってうつされたくないと思うだろう。そうした政策を煽りながら、帰結としての風評被害(引用者注—医療従事者やその家族への差別)に対してだけ「同情」を寄せるあり方は自作自演だと気づくべきだ。/(略)日本ではコロナの死亡率は低く、体が弱って危険な人を防御できれば、大勢にとっては「かかっても治せばよい」普通の病気になる。そう認識することだけが、差別をなくす方法である。(与那覇潤「差別するなと言いながら」)


 差別をただ非難するのでなく、差別を生む元となる認識を改めることが有効だという。この考え方に従うなら、文学作品の差別表現に対しても、ただ差別だと言い立てるのとは別の批評の仕方を考えることができるのではないか。例えば、同じ5月号掲載の「明治・大正・昭和期の秀歌にみられる差別語の使用例」の中にある一首、

花はあかく塗ると決めゐる童女あり混血のくらき肌(はだへ)を持ちて
  斎藤史『密閉部落』(1959年)


は「混血」が差別語とされる言葉で、かつそこに負の印象を与える「くらき肌」という表現をつなげたために「差別語の使用例」とされたものに違いない。この歌の表現を「差別的」と非難するのは簡単だ。しかし、生物学的に純血の日本人などどこにも存在せず、日本国内に住むすべての人が「混血」であるという事実を指摘するなら、この歌の作者の認識が時代の制約を受けて不十分であったことは一層明確になるだろう。


(2020.5.24 記)

 義父は仕事の性質上、リモートワークができない。そして、連休中も出勤している。高齢だから心配。


     §


 この座談会では、染野太朗が発言すると必ず刺激的な議論になっている。「われら」という言葉をめぐる問題もそうだ。この人がいるのといないのとでは、話の展開が大きく違っていたはずだ。

東北で良かつたといふ大臣に踏みにじられるわれらの土は
  本田一弘『磐梯』(2014年)


 松村由利子がまずこの一首を挙げ、次のように言うところから話が始まる。

 もうしばらくしたら「われら」も使わなくなるんじゃないか。それくらい一人ひとりがバラバラになっていく。(略)若い世代は決して「われら」とは歌わないんじゃないか。本田にとっては「われら」が生きてるんで、そういう共同体とか郷土というものをもてるひとは幸せだな、とも思います。


 個々人が「バラバラ」に分断された現代社会では「われら」という言葉も使われなくなるだろう、という。ただ、本田の一首は時の大臣の失言に対する憤りがモチーフになっているから、「幸せだな」という感想はやや言い過ぎのようでもある。そこで、加藤英彦が次のように発言して軌道修正を図ることになる。

 東日本大震災が起きてハッとさせられたのは、梶原さい子の『リアス/椿』です。そこには「われら」や「わたしたち」がとても自然に生きている。それは、かつての思想的な共同体ではなくて、もっと原初的な土地の共同体なんですね。


 批評家による状況分析の応酬である。よくある誌上座談会なら、ここでこの話題は終わっていたことだろう。ところが、この会では、ここから染野が発言して議論が始まるのだ。

 なぜここが「われら」になったのかをすごく考えます。(略)原発事故があったから、この「われら」が出てきたと言われればそれまでだけれども、「わたし」ではなく「われら」を選ぶこの感性は、「われらの国は」に容易にスライドしませんか、とひとこと言いたくはなる。


 「われら」をここで選ぶ感性は右派のそれにも通じるとの主張だろう。なるほど、右派の人々にこそ共同体への信奉があり、正義の意識があり、現状への憤りがある。それを思えば、染野の言うことももっともだ。ただ、現代人一般の心情としては、本田の一首には共鳴しやすいが、例えば国家主義に対してはそう簡単には行かない。だから、両者を同一視することに抵抗を覚える人は少なくないだろう。案の定、松村は、

 自分たちが弱い立場にあることがひしひしと感じられるから出てきちゃった「われら」ではないですか。


と言い、加藤は、

 そもそも、あの大臣の発言がひどかったですよね。(略)言われたのは「われ」一人ではないわけで、ここは「われら」じゃないとだめでしょう。


と述べ、いずれも染野に同調しない。これに対して染野は、

 ぼくは、排除されるのはこの場合、東北の外部のひとというより東北の内部のひとじゃないかと思うんですよね。(略)「われら」と言われて「われら」以外も弾かれているけど、東北の内部のひとたち一人ひとりの意思は奪われませんか。


と反論を返した上で、さらに、

 例えばぼくが一九七七年生まれで、超就職氷河期をまさに経験したけれども、同い年の誰かが超氷河期を代表して「われら」と言った瞬間にぼくは嫌悪感を催すわけです。


と言葉をつなぐ。この一連の染野の発言はカテゴライズ批判の延長だろうが、私の胸中にも強い印象を残したことは確かだ。「わたし」の視点の重要性をまさしく自分一人の視点から語ったところには、迫力も感じた。加藤も松村も結局説得されたようだ。座談会の意義を再確認させてくれる場面だった。

 ともあれ、「われらの土」と「われらの国」に間には、内部の人々を疎外する可能性も含めて同質性がある、と私も思う。また、他のカテゴライズ批判と比べ、この「われら」批判には何か異なる要素がある気がする。

 難民でない者がただ「難民」云々と発言するだけなら、その者は自分一人の発言であることを隠していない。一方、「われら」云々と発言する者は、「われら」全員の感情、意見、生活状況等を確認していないときでも、まるで「われら」全員のそれを代弁するかのように振る舞うことになる。そこにもしかすると倫理的な問題が存在するのかもしれない。

 そのことを認めた上で、私は染野の主張に対して疑問を二つ出しておきたい。第一に、「われら」を排して「わたし」を選ぶことを徹底すれば政治的には敗北を繰り返すはずだが、染野はそれを甘受するのか。染野と意見の対立する者は染野の選択を喜ぶだろう。それでいいの?

 第二に、弱者であったり少数派であったりするから「われら」を選ぶしかないと加藤も松村も考えていたようだが、むしろ逆ではないか。強者であり、多数派であり、加害者側であるときに「われら」の立場を引き受けるほかない、ということがないだろうか。例えば、東京や大阪の住民が「私は自宅の屋根にソーラーパネルを設置して必要な電力を確保している」と発言するのと、「私たちの地域に必要な電力の大部分は他県の原発が供給している」と発言するのとでは、どちらが誠実なのか。


     §


(つづく)


(2020.5.5 記)

 近所の喫茶店、定食屋、居酒屋はどこも店内営業は自粛。その代わりにそれぞれの店の前に長机を出し、持ち帰り用の弁当や総菜を売るようになった。この週末の昼間、小さな商店街は人通りも多く、むしろお祭りのような高揚感に包まれている。


     §


 染野太朗のカテゴライズ批判の続きをもう少し見ておこう。小佐野彈『メタリック』(2018年)の

(いだ)きあふときあなたから匂ひ立つ雌雄それぞれわたしのものだ

男同士つなげば白いてのひらに葉脈状のしみがひろがる


といった歌について、染野は次のように主張している。

 小佐野彈の歌はかなり素朴なジェンダー感をもっているのが見えて、性はグラデーションだと言われ続けているのに、「雌雄」の二つでしか見てないんですよね。(略)自分の性についてごく単純に「男」としか思っていない感じがある。素朴すぎると思う。


 一方、加藤英彦はこの見解に理解を示しつつも、

 かれらは、つねに男性性/女性性という枠組みで差別されてきたので(略)、歌としてはグラデーションのほうに回収せずに、抱き合うときに匂い立つのは、あなたの男性性であり女性性であるのだというところで掬いとる。その両極を〈私〉は抱きとめるのだと。一首としてはそこにこだわらざるを得なかったと思います。


などと述べ、これらの歌を擁護している。世間の方が初めに小佐野に「男性性/女性性という枠組み」を強要したのであり、そこに小佐野の歌の方法が選び取られる契機もあったとの意見だろう。ところが、これに対する染野の返答は「彼が苦労したとかいうことと、言葉として何を発しているかは別だから」云々というもので、加藤説に正対できていない。この座談会の中では残念な場面の一つだった。

 (1)で触れた松村由利子の場合とはやや異なり、染野は「誰が」という視点を欠いてはいない。ただ、その視点を幾分軽んじていると私は思う。上の一首目は本人が本人の性的指向に、二首目も同じく本人が本人の性自認と性的指向に言及する。この彼が自身の性を「ごく単純に」男と思っていようが、自身の性的指向を男女二元論的に捉えていようが、第三者はそれについて倫理面から「素朴すぎる」などと非難する権利や資格を持たない。当然だろう。それなのに、染野はそこで非難してしまうのだ。いわく、

 われわれには男と女に二分できないグラデーションがあるし、年齢によっても環境によっても、あるいは日々のそのつどの時間の中でも、ジェンダー的な何かをグラデーションで抱えながらひとと接しているはずなのに、「男」と言っちゃうことによって、生物学的あるいは性的指向におけるある典型に押し込めてひとのことも自分のことも理解しているように見えるんです。


 染野が自分一人の性をめぐって「年齢によっても環境によっても、あるいは日々のそのつどの時間の中でも、ジェンダー的な何かをグラデーションで抱えながらひとと接している」と認識するのは自由だ。染野以外の誰にもそれを否定する権利はない。私なども、もちろんそれを尊重するものだ。ただ、染野が他者の性をもそのように認識するとしたら、どうか。その他者は自身の性に限って、染野の認識を肯定する権利とともに、否定する権利をも無条件に持つだろう。

 同様に、小佐野の歌の「わたし」が自身の性を「ある典型」風に認識しているとしても、染野にはそれを否定する権利はない。ただ、小佐野の歌の「わたし」が「あなた」の性をも「ある典型」風に認識するとき、「あなた」だけはその認識を肯定する権利とともに、否定する権利をも無条件に持つだろう。

 さて、世間が人に「男性性/女性性の枠組み」を与えてきたことに、染野は批判的な意見を持っていると推測される。そうだとすると、染野が他人の性自認と性的指向に「男と女に二分できないグラデーション」の枠組を押し付けることは、その自身の意見と矛盾していないか。小佐野の歌の「男」が

 みずからに対するレッテルであったとしても、なんか嫌だな、と思ったんですよね。


と染野は言うのだが、「レッテル」という言葉からして他者のアイデンティティに対する侮辱であることを染野には分かってもらいたい。そして、「なんか嫌だな」と思ったときでも、他者のアイデンティティをまずは尊重してもらいたいと私は思う。


     §


(つづく)


(2020.4.26 記)

 しばらく在宅勤務だ。この記事はもちろん勤務時間外に書いているのだけど。


     §


 座談会の話題が現代の短歌に移ってからも染野太朗は同じ問題を根気強く追及する。

 カテゴライズするまなざしの危うさですが、ここ一、二年に出た歌集をひもとくと、近代からそれは地続きなんだと思えてしまう。


と言い、

ペヤングのお湯ごと麺を流すとき難民の子よ笑ってくれよ
  佐佐木定綱『月を食う』(2019年)


について次のように述べる。

 「難民の子よ」と言ったとたんに、その対象の個々人から難民以外の属性が奪われるんですよね。あえて大仰な言い方をしますけど、他の属性を剥奪してるんですよ。だから、「難民の子よ笑ってくれよ」というある種の自虐、自省に「難民の子」が利用されているとぼくは読んでしまう。


 「難民の子」について深く理解しようとせず、ただその外面だけを捉え、自身の自虐の歌の小道具に利用している、まるでちょっとしたアクセサリーでもあるかのように——などと染野は言っていないが、結局そういうことだろう。これに対して加藤英彦は、

 「難民の子よ」と言わないと、この一首は成り立たないでしょう。(略)「難民の子」は、明らかにわれわれとの関係性において提出されていますよね。それも、彼らとの差異を越えて〝対等な同質性〟を前提に歌われている。「笑ってくれよ」という呼びかけがまさにそうですね。


と発言し、染野の見解に納得していない。ただ、「笑ってくれよ」が「難民の子」への侮蔑や哀れみと無縁の表現であることは、染野も了解済みのはずだ。染野が問題にしているのはあくまで「難民の子」という言葉だから、異論を述べるなら、それについて述べる必要がある。なるほど、この一首は「難民の子よ」と言わないと成立させることが難しい。しかし、染野はむしろそれを理解しているからこそ、その表現が見逃せないのだろう。

 さて、前々回の記事に書いた通り、「それ以外の属性」を作品の上で消去することが倫理的な問題になるという染野の主張に私は疑問を持っている。「難民の子」の場合も同じだ。「他の属性を剥奪」とは巧みな修辞だと思うが、それだけで私の疑問が消えることはない。

 正直に言うと、私も実は佐佐木の歌を見て「難民の子」がウイークポイントだと思った。相手に実際に呼びかけるとしたら、「難民の」といった修飾句を付けるはずがない。それは観客向けの説明を兼ねた台詞のようで、どうも不自然だ。私にはそのことが物足りない。また、それが出来の悪い台詞風であるがゆえに、その台詞を作るのに社会的弱者を「利用」したようにも感じられてくる。

 なお、急いで付け加えれば、「お湯ごと麺を流す」ところなどは東京辺りの特におもしろくもない生活の一場面をうまく切り取っていると思われ、印象に残った。

 私がしているのは文学的価値の話だ。染野のいうカテゴライズは倫理でなく、文学の問題として取り上げる方がよいのでないか。


     §


(つづく)


(2020.4.24 記)


 前回の記事で取り上げた、北原白秋や吉井勇の歌に対する染野太朗の

 自分は外側に立って、社会的に弱いひとたちだからこそ輝かせる、みたいなところが嫌ですね。


という発言を受けて、松村由利子が石川啄木と若山牧水に話を広げている。この部分はどうもヘンな気がした。

小奴といひし女の/やはらかき/耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり
  石川啄木『一握の砂』(1910年)

しのびかに遊女が飼へるすず虫を殺してひとりかへる朝明け
  若山牧水『死か芸術か』(1912年)


の二首を挙げて、

 啄木にも、牧水にすらこういう歌があって、この時代、みんなそうだったのか、という驚きと再認識はありました。(略)こういう歌があることによって、廃娼運動が起こり、与謝野晶子がそれについて講演し……という時代が立体的に浮かび上がったりもします。


と言うのだ。「こういう歌」とは、要するに娼妓の客となった歌人の歌ということのようだ。座談会であって学術論文ではないから、染野の「社会的に弱いひとたちだからこそ輝かせる」批判から話題がずれてしまったのは仕方がないか。牧水の一首はたしかに「こういう歌」だ。私としては、これが染野の批判する白秋や勇の歌と同類なのかどうか、松村や染野の見解を聞きたかった。

 また、廃娼運動にまで話題を広げたいということなら、啄木の方は歌でなくて日記を挙げればよいのにと思った。「小奴」が芸娼妓の名らしいというだけで「こういう歌」だと簡単に断定できるのか。岩城之徳『啄木歌集全歌評釈』(筑摩書房、1985年)で該当歌を引くと、小奴について次のように書いてある。

 十勝国大津の伯父坪松太郎の養女となって坪ジンと名乗ったが、伯父が死んだため帯広の函館屋という小料理屋にあずけられて芸事を覚えた。その後釧路の近江屋旅館の近江善吉と再婚した母ヨリを慕ってこの地に来て、鶤寅という料亭の専属となり自前で左褄をとり十九歳のとき啄木を知った。


 「自前で左褄をとり」とは芸妓として独立営業していたことをいう。この記述の通りなら、小奴は前借金のための年季奉公ではなかったことになる。『一握の砂』でこの次に出てくる一首、

よりそひて/深夜の雪の中に立つ/女の右手(めて)のあたたかさかな


については、岩城は「釧路の知人海岸での小奴との思い出を歌った」として、1908年3月20日付啄木日記の

 十二時半頃、小奴は、送つて行くと云ふので出た。(略)手を取合つて、埠頭の辺の浜へ出た。月が淡く又明かに、雲間から照す。雪の上に引上げた小舟の縁に凭れて二人は海を見た。(手元に啄木全集が無いので、岩城の本から孫引き)


を引く。また、この数首後の

きしきしと寒さに踏めば板軋む/かへりの廊下の/不意のくちづけ


については、岩城自身が晩年の近江ジン(小奴)から聞き取った、

「そんなこともあったでしょうよ。石川さんは二十三歳。わたしは十九歳、おたがいに若かったんですものね……」


という言葉を紹介している。口述の記録に筆記者のフィルターが掛かっている可能性は考慮すべきだが、そうだとしても、小奴と啄木が松村の想像するような関係だったとは思えない。まして廃娼運動などと結び付けられる話ではない。芸妓にも様々な境遇があり、様々な芸妓がいるのだ。なお、啄木には遠く離れて暮らす妻子があったが、それはまた別の問題だろう。


     §


(つづく)


(2020.4.21 記)

 引き続き、同じ座談会の感想。

くろんぼのあの友達も春となり掌を桃色にみがいてかざす
  斎藤史『魚歌』(1940年)


 この一首について、加藤英彦が「差別性は感じない」と述べたのに対し、染野太朗は、

 ぼくはグレーだと思うんです。この歌は「くろんぼ」賛歌に(略)見えるんだけど、「桃色」との対比に使われちゃっているところがぼくは嫌な感じがします。


と反論している。私自身の感覚は、ここでは染野の方に近い。ただ、なぜ「桃色」との対比になると「嫌な感じ」がするのか、説明するのはなかなか難しいように思う。染野も「それはおいとくとしても」などと言ってすぐに論点を別に移していて、残念だ。

 「嫌な感じ」の原因は「桃色」自体ではなく、「みがいて」の方にあるのかもしれない。桃色は彼の掌の生来の色であるはずなのに、まるで磨いて桃色にしたかのような言い方だ。そこに人の肌の色を一般と特殊に分ける視線を私は感じてしまうのかもしれない。


     §


 ところで、染野もまた、「桃色」そのものよりもっと問題にすべきところがあると主張している。

 それはおいとくとしても、「くろんぼ」は問題がある。


 クロンボは要するに「黒の坊」で、その「坊」に黒人蔑視が表れている——といった見解かと思えば、そうではない。言い回しはどうあれ、黒人・黄色人種・白人などと「カテゴライズしてしまうまなざし」がいけないというのだ。この座談会中、最も先鋭的な問題提起だろう。染野は、

ふくれたるあかき手をあて婢女(はしため)が泣ける厨に春は光れり
  北原白秋『桐の花』(1913年)

円山の長椅子(ベンチ)に凭りてあはれにも娼婦のあそぶ春のゆふぐれ
  吉井勇『祇園歌集』(1915年)

二十(はたち)からしたの少女(をとめ)をわれは好きまつしろい雲を見おくつてゐる
  石川信雄『シネマ』(1936年)


といった歌をも挙げた上で、次のように述べる。

 われわれはこれだけ差別はいけないとか個々人が大切だとか言いながら、結局、相手をカテゴライズしたそのなかで見ている。なんらかの先入観があり、差別につながりうる「差異」をまず見ている。かつ、そのまなざしが現代にも続いている気がするから、まずいと思う。


 つまり、「くろんぼ」や「婢女」「娼婦」「二十からしたの少女」は何らかの先入観に基づくカテゴライズであり、それは差別につながりうる「差異」にまず目を付けることだ、というのだ。差別以前の行為まで批判の対象にしようというのだから、かなりの戦線拡大と見てよいだろう。

 私なりに色々と考えてみたが、結論から言えば、私は首肯できない。批判すべきカテゴライズの範囲が明確でないし、それを批判すべき理由もいまだ明快に説明されていないと私には思われるからだ。

 まず、範囲について。あらゆるカテゴライズが否定されるべきなのだろうか。染野が石川信雄の一首を引きながら、それについてほとんど何も解説していないことは、ここでの議論をいささか分かりにくくしている。「くろんぼ」「婢女」「娼婦」がそれぞれの作中に一人の人物として登場するのと違い、「二十からしたの少女」はそのようなカテゴリー自体を表す。カテゴライズを目的とする表現に対して「カテゴライズは駄目だ」と突っかかるのはナンセンスではないのか。

 もしかすると、「二十からしたの少女をわれは好き」の内容全体に問題を感じる人もいるかもしれない。その人はその内容全体を問題にすればよいと思う。ただそれだけのことではないのか。

はつなつのゆふべひたひを光らせて保險屋が遠き死を賣りにくる
  塚本邦雄『緑色研究』(1958年)


 こちらは「……差別語の使用例」に入っていた一首。編集部は「保險屋」の「〜屋」を問題視したと推測されるが、それは一方でカテゴライズの表現でもある。こういった表現をも染野は否定するだろうか。ここでの作者の意図は、保険販売に従事する一人の人物を描写することでなく、その業種・職種に象徴的な意味を担わせるところにあったと思われる。そういった表現意図に対して、カテゴライズ批判はやはり無効ではないか。

 次に、理由について。範囲に関する疑問は一旦保留にしておこう。染野は白秋の「婢女」の一首、および勇の「娼婦」の一首を批判する理由に関して、

 自分は外側に立って、社会的に弱いひとたちだからこそ輝かせる、みたいなところが嫌ですね。


と述べ、さらに、

 「婢女」とカテゴライズすることで、そのひとがもっていたはずのそれ以外の属性が消えることにもなる。


と述べてもいる。一つ目の発言は、私もほぼ同感だ。しかし、これは「社会的に弱いひと」に取材した歌を批判する理由としては成立しているが、カテゴライズ批判の理由としては成立していないと思う。

上海の煙草屋陳が陳荘はコンクリートに少し蔓かかりたり
  土屋文明『韮菁集』(1945年)


 「……差別語の使用例」の中の一首。前々回の記事で取り上げた「極道」もそうだったが、この「煙草屋」なども「社会的に弱いひと」ではなさそうだ。こういった歌にも当てはまるものでなければカテゴライズ批判の理由にならないだろう。

 では、二つ目の発言はどうか。カテゴライズによって他の属性が見えなくなるとの指摘は、確かにあらゆるカテゴライズに当てはまる。しかし、こちらの発言に私はより根本的な疑問を感じた。

 「そのひとがもっていたはずのそれ以外の属性」を作品の上で消去することは、差別表現がそうであるように、倫理的な問題になる——のだろうか。染野は倫理的な問題になると考えているわけだが、一連の発言でその根拠になりそうなのは結局元に戻って、それが「差別につながりうる」というところだけだ。ところが、その発言がいみじくも示している通り、ある人の一つの属性だけに注目して他の属性に注目しないことは、ある人を差別することと同じではない。それは差別につながるかもしれないが、つながらないかもしれない。そうだとすると、それを倫理的な問題と見なすべき根拠を染野はまだ提示できていないのではないか。


     §


(つづく)


(2020.4.19 記)

 引き続き、加藤英彦・染野太朗・松村由利子の座談会の感想。

 加藤によれば、角川文庫版の『寺山修司青春歌集』や岸上大作『意志表示』の初版本と改版本を比較すると、どちらも前者に収録されながら後者では削除された歌が複数あるという。興味深い指摘だと思う。文庫本の各版の異同まで調べている研究者はそうはいないのではないか。加藤が挙げている歌は次のようなものだ。

作文に「父を還せ」と綴りたる鮮人の子は馬鈴薯が好き
  『寺山修司青春歌集』1972年版(2005年版で削除)


豚を飼う朝鮮部落の朝餉する汁の香りが匂う清しき
  『意志表示』1972年版(1991年版で削除)


 また、講談社学術文庫『寺山修司全歌集』(2011年)は無削除で、「故人である作者の芸術表現であること、作品の時代背景に鑑み」云々の添書きがあるとのことだ。時代によって言葉の取扱いが変わった一例ということになろう。削除版について加藤は、

 でも、そうした出版社の対応を〝事なかれ主義〟と批判するのは少し酷な気がする。(略)当時の社会状況ではなかなか難しかったろうと思います。


と述べているが、私もそう思う。


     §


(つづく)


(2020.4.17 記)

 近所の公共図書館も三月以来館内閲覧休止で、館外貸出だけやってくれていたのだが、先週からとうとう休館。仕方がない。家にある未読の本を毎晩、順に読めばよいわけだ。


     §


 加藤英彦・染野太朗・松村由利子の座談会「短歌と差別表現」は種々の論点を提示しつつ、具体的に歌を挙げて議論していて充実していると思った。内容を私なりに簡単にまとめると、次の通り。

(1)加藤による論点の提示その1
 差別語に反対することと表現の自由との葛藤について。「作品のなかに一つの世界を描き切ろう」とするとき、そこに日常生活の言葉の場合とは異なるモラルをどう組み直すか、と問う。

(2)加藤による論点の提示その2
 短歌が差別と向き合うことへの期待について。差別的思考は自分の中にもあると認めつつ、「自身の差別意識と向き合う歌」が少ない現状に触れて、もっとあってもよいのではないかという。

(3)松村による論点の提示その1
 言葉の意味が時代により変化することについて。一つの言葉に後から差別的な意味合いが追加される、といったことを松村は想定しているようだ。

(4)松村による論点の提示その2
 短歌が一人称詩型であることの難しさについて。作中の差別的な表現が「反語表現」であっても「作者の本音」と誤解されることがあり、インターネットによって不特定多数の人がすばやく作品にアクセスできる現代ではそのように誤解される可能性が高くなっているという。

(5)松村による論点の提示その3
 言語感覚が個々人により異なることについて。ある言葉に差別的な意味を認めるかどうかは個々人の感覚によって変わってくる。その感覚の違いが現代では特に人それぞれになっていて「言葉のモラルの問題をむずかしくしている」という。

(6)染野による論点の提示その1
 差別を語ることの二面性について。差別について語ることは問題を解決に導くこともあれば助長することもあり、そのジレンマを心に留めるべきだとする。

(7)染野による論点の提示その2
 差別への応対に以前よりも一層の繊細さが要求されることについて。インターネットによって他人からアクセスされやすくなったため、自分の物言いに差別的な意味合いがないかどうか、慎重に考えるようになったのはよいことだが、自分の「知的体力」との兼ね合いで悩むこともあるという。

(8)染野による論点の提示その3
 ある歌が「差別構造」を含む場合の難しさについて。それを差別と捉えるかどうかは世代、個々人の「バックグラウンド」によって変わってくるという。

(9)個々の歌の差別表現をめぐる検討
 近代、および自作を含む現代の短歌作品を挙げて、その差別表現を検討する。


     §


 (1)から(8)は短歌と差別表現の問題の諸相をバランスよく取り上げていて、勉強になった。しかし、何と言っても刺激的だったのは(9)だ。自分の知らなかった事実を教えられてありがたく思ったり、どうしても納得できないところに頭を悩ませたりした。以下はすべて(9)に対する感想。

畑山夕空かぎるてつぺんに猶百姓のくろぐろとゐる
  木下利玄『紅玉』(1918年)

「百姓は」とおほらかに詠みし殿様の利玄を思ふ百姓われは
  石川不二子『さくら食ふ』(1993年)

てのひらの左右均等ならざるはつまり百姓であるといふこと
  時田則雄『みどりの卵』(2015年)


 松村は利玄の歌における「百姓」という語の使用について、

 屈託がない。差別性があろうことなど予想だにしていない。


とする。また、石川の歌について「誇り」もあるが「屈託」もあるとする一方、時田の歌については「自信と誇り」に満ちていると指摘し、上記(3)すなわち「同じ言葉でも時代によって変わる」実例と見なす。

 百姓という語が本来賎称でなかったのに、時代が下って賎称になったとはしばしば指摘されるところだ。しかし、松村の歌の引き方は適切でないと私は思う。差別語について考えるときに一つ押さえておく必要があるのは、誰がその語を使用したかだ。松村は「部落」を話題にした際にも加藤から、

 ただ、その「部落」という言葉を誰がどのように使うのかという問題はある。


と返されていて、その「誰が」の視点が弱いらしいのが気になる。時田のように農業に従事する人がみずから「百姓」を名乗るとき、その「百姓」が差別語として機能しないのは当然ではないか。

 たとえば、「彼は元々九州だから」などというのは一種の偏見で(もちろん「関西」や「関東」も同様)、なるべくしない方がよい発言だろうが、「私は九州人です」と当の本人が発言することはあり得る。それは時代の変化の問題ではないし、個々人の感覚やバックグラウンドの問題でもない。


     §


(つづく)


(2020.4.15 記)

 コロナウイルスのために図書館もずっと閉まっている。拙ブログの記事の大半は図書館の資料を頼りに書いているので、こうなるともうお手上げ……。自分の貧しい教養と乏しい知識だけでもって何かを書くのは不安だし、おっかない……。


     §


 ある歌について「差別的だ」と指摘することは、その歌の作者の態度、思想、場合によっては人格まで非難するに等しい。したがって、そういった指摘自体が妥当かどうかは厳しく検討されるべきだろう。本誌特集では、編集部編「明治・大正・昭和期の秀歌にみられる差別語の使用例」及び加藤英彦・染野太朗・松村由利子の座談会「短歌と差別表現」がさまざまな歌を挙げて、そこに差別表現があると判定している。以下、その当否に関する検討材料を出しておこうと思う。

 前の「……差別語の使用例」は石川啄木『一握の砂』(1910年)から吉村睦人『吹雪く尾根』(1983年)まで計五十五首を挙げて、それぞれ「職業」「人種・民族」「地域・地方」「心身の障害・病気」「子供」「性」に分類している。末尾に次の注が付く。

 差別語を意識して使用した例、発表当時は差別語とされていなかった例、また文脈において差別語として機能している例等が混在している。


 作者に差別意識があったかどうかは必ずしも問わないで掲出したということだろう。ところが、最も肝心な差別語の判定基準、すなわち何をもって差別語と見なすかということはどこにも書いていない。いま、参考資料として小林健治『最新 差別語・不快語』(にんげん出版、2016年)を見ると、差別語とは

 他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性をもつ言葉のことです。しかも、もっぱら自己選択できない自然的・社会的属性を差別の対象とされた人や集団を卑しめていう賎称語です。


とある。また、本誌収録の木下長宏「差別表現と芸術 序説」は、

 メッセージを伴う表現体が、そこで、扱っている対象を、蔑んだり、侮辱したり、心的に傷つける形を見せ、個人であれ集団であれ、その対象を社会的にあるべき位置に居られなくする(あるいは居られない気持ちに追い込む)働きをしている場合のことを「差別表現」と呼んでいるようである。


としている。「……差別語の使用例」はこのような基準を示していないのだ。結果、何首かの歌については、それらがなぜ差別語の使用例として選ばれているのか、私には不審に思われた。もちろん、

人の来るゆふべの寺のくらがりに乞食をり中世のごときその声

  佐藤佐太郎『冬木』(1964年)


閉鎖せしパチンコホールの階上に犬つれて若き鮮人が住む

  中城ふみ子『乳房喪失』(1954年)


なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす

  前川佐美雄『植物祭』(1930年)


といった歌に含まれる「乞食」「鮮人」「きちがひ」が差別語とされることは理解できる。たとえば、キチガイという単語がマスメディアで使用されなくなったきっかけは、座談会で加藤が言及する通り、1974年に関係団体が出した要望だという。『最新 差別語・不快語』に引かれている全国精神障害者家族連合会の申入れ書には、

 すべての障害者とその家族は、心身障害にかかわりのある表現が、興味本位やその欠陥を無能悲惨な状態を示すものとしてあつかわれることに対し、被差別者としての憤りを感じている。(略)不用意に『きちがい』という用語がもちいられると家族は萎縮し、回復期にある患者にはショックを与える結果を招いている。どうか被差別者の心の痛みを、みずからの痛みと感じとってほしい。(前掲書から孫引き)


とある。これを見れば、小林の提示した差別語の基準にキチガイという単語が該当することは明白だ。作者前川佐美雄の意図を問わないのであれば、「きちがひのやうに」を差別語使用例のうちに入れることは今日の社会通念に反していないだろう。しかし、「……差別語の使用例」に並ぶのは、このように理解しやすい歌ばかりではない。

(も)しあらば煙草恵めと/寄りて来る/あとなし人と深夜に語る

  石川啄木『一握の砂』(1910年)


 「あとなし人」は今でいうところのホームレスの古語。その人と深夜の路上で語り合ったというのだから、一首全体に差別の意図が無いことは確かだ。同義語の「浮浪者」は昭和の後期まで一般に通用していたと記憶するが、現在は放送局の禁止語のリストに入っているらしい。しかし、古典の用語までそれと同一視するのはどうか。「あとなし人」がいけないというなら「ホームレス」も駄目なはずだが、そもそもその存在に言及することすら許さないのか。

飴売のチヤルメラ聴けば/うしなひし/をさなき心ひろへるごとし

  同上


 チャルメラの音に追憶を誘われているわけで、これも一首全体に差別の意図はない。「……屋」もまた放送局の禁止語リストに入っていると聞くが、「飴売」がその同類ということか。しかし、アメウリを言い換える単語が私には思い当たらない。菓子販売業? まさかね。しかも、ここでは目前の一個の人格を指してアメウリと呼んでいるわけでもない。それは単にチャルメラの旋律の種類を指しているだけだ。

あだ名して樊噲と呼ぶ極道もしみじみとしてあそぶ秋の夜(よ)

  吉井勇『祇園歌集』(1915年)


 「極道」を差別語と見なしたのだろうが、その判断の基準がやはり判然としない。明治大正の時代には悪口で使われることが多かった言葉だが、悪口すなわち差別語とはならないだろう。同じ歌集の一首「円山の長椅子(ベンチ)に凭りてあはれにも娼婦のあそぶ春のゆふぐれ」を染野が座談会で取り上げて、

 自分は外側に立って、社会的に弱いひとたちだからこそ輝かせる、みたいなところが嫌ですね。


と発言している。しかし、樊噲に似る極道者の場合は弱者とも言いがたい。

琉球語が日本方言の一つなる事実だにせめて人よ忘るな

  柴生田稔『麦の庭』(1959年)


 この歌には、これを差別語と見なしたのだろうと推定できる語が見当たらない。あるいは、琉球語を日本語の一種に分類する文脈全体を、日本に沖縄を従属させる差別思考の表れと見たものか。しかし、琉球語を日本語の方言とする学説は現に存在し、柴生田はそれに拠ったに過ぎない。しかも、文脈に注意するというなら、柴生田の意図する文脈は沖縄を犠牲にして本土が復興することへの抗議ではないのか。

幼くてめしひし鶏は晩春のこの日頃卵うみつぐあはれ

  佐藤佐太郎『帰潮』(1950年)


 先に言及した全国精神障害者家族連合会の申入れ書などもメクラという単語への憤りを表明しており、「めしひ」という古風な名詞もメクラと同様の差別的な意味を含んでいると考えてよいかもしれない。しかし、この歌の「めしひ」は「目をしい」、つまり「視力を失い」という意味の目的語と述語だ。こういった言い回しまで差別的だとする意見があるのかどうか、私は知らない。

かにかくに祇園はこひし寝(ぬ)るときも枕の下を水のながるる

  吉井勇『酒ほがひ』(1910年)


 祇園の白川沿いに歌碑も立っている有名歌。それらしい語も見えないので、一首全体の内容が差別的だというのだろうが、一体どんな点にどんな差別をみとめたのかが私には分からない。なるほど、当時の芸妓や娼妓の多くが人身売買の被害者であることに作者は特に関心がないように見える。編集部はその態度を女性差別と判定したか。あるいは、「寝るとき」を娼妓相手の買春の場面描写と解し、買春に寛容な表現と判断しつつ、そこから女性差別の意識を読み取ったものか。

 前者においては、人身売買が重大な人権侵害であることは言うまでもない。しかし、それへの無関心がそのままただちに被害者に対する差別だ、とも言えないように思う。後者については、それを買春の場面と解してよいのかどうか、疑問を提出したい。「寝るときに枕の下を」でなく、「寝るときも枕の下を」だ。これは、いつでも常に家のすぐ外を、の意ではないか。つまり、祇園の芸妓たちの日々の暮らしに想像を広げた言葉ではないのか。

あかるきは娼家の明り筑波ねの夜ふけの町にわれつきにけり

  古泉千樫『屋上の土』(1928年)


髪こまかに巻きて爪紅(つまくれ)夕されば永安公司(こんす)に立つにやあらむ

  土屋文明『韮菁集』(1945年)


 この二首がなぜ差別的だというのか。娼家や娼婦を詠み込んだことについて女性差別と判定した、としか考えられない。しかし、どちらの歌も旅先のごく素朴な嘱目詠であって、それ以上の意味を持つものではない。作中主体が娼婦の客となったわけでもない。人権侵害の現状を棚上げしたままではセックスワーカーに言及すべきでないということなのか。

 これに関連して注目したいのは、座談会における染野の発言だ。

 差別語は、見ればわかる。差別意識もわりとわかりやすく見えるかもしれない。けれども、短歌が含みもっている差別構造、あるいはまなざしみたいなもの、それを捉えられるかどうかは、世代によってもちがうし、読者の個別のバックグラウンドによっても変わると思っています。


 ここでいう「短歌が含みもっている差別構造」とは、歌の言葉自体に差別的な社会構造が入り込んでいる場合について述べようとしたものだろう。たとえば、そうした構造のもとにある一光景を無批判に描写する歌である。「……差別語の使用例」は染野のこの問題意識を参考にしているように思われる。

 いずれにせよ、「……差別語の使用例」に対する私の不審は、編者が差別語の判定基準を開示しないことから始まっている。議論をもっと生産的なものにするために、編集部は次号にでもその判定基準を載せてはどうか。


(2020.4.11 記)


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Author:和爾猫
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