最新の頁   »  短歌一般
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 2 東直子 VS 加藤治郎 

 加藤さんのなかではニューウェーブの歴史というのは、この4人の作品を考えるということですか。
加藤 はい、そうです。
 4人一人ひとりは違うのかなと思うんですが。
加藤 今の段階ではそうですけど、今後もっと議論すべきところですね。
 そうだと思います。穂村さんはどうですか。

 (『ねむらない樹』vol.1、80頁)


 この辺りは、当ブログの過去の記事に載せた私のメモと重複する箇所だが、比較してみるとそれぞれの言い回しが少しずつ違う。私のメモは当然、東や加藤の発言の一言一句を漏らさず拾えているわけではない。一方、『ねむらない樹』の記録の方もあちらこちらに細かな省略はあるようだ。座談会の記録とはそういうものだろう。

 加藤の「今の段階ではそうですけど」の「そう」は、文字で読み返してみると、その指示対象が何なのかが分かりにくいようだ。しかし、会場で聴いていたときにはそれほど分かりにくく感じなかった。「今の自分はニューウェーブ=四人と考えているが、今後も議論を続けるべきだ」といった意味なのだろう。

 なお、末尾の「穂村さんはどうですか」は司会の荻原の発言だった気がする。東がそこまで話の進行を取り仕切っていたわけではない。


 3 穂村弘 VS 東直子

穂村 冒頭にあったお話ではニューウェーブは同人誌「フォルテ」発で荻原さんが書かれた「現代短歌のニューウェーブ」経由という定義が先にあったんでしょう。そこにあげられた人たちが、偶然性に乗ってエスツープロジェクトをつくり、『岩波現代短歌辞典』に項目ができたという。だからこの質問はやっぱり、ニューウェーブの定義の問い直しってことだと思う。個別の人の価値評価に関しては、僕すごく一人ひとり論じているよね。
 そうですよね。
穂村 でもこれらをニューウェーブと呼びましょうと誰かが言っても、いままでの歴史的な経緯から見直さないと変になるんじゃない? ニューウェーブ世代を私は「わがまま」という言葉で捉え直そうとしたけど、それは一人ひとり信じているものが違いすぎて運動体ではありえない、という意味合いを持っていたと思う。

 (同頁)


 『ねむらない樹』の記録で、実際の発言と最も大きく違っているのはこの場面の穂村の言葉だろう。当ブログの記事に掲載済みの私のメモを再掲しておこう。

 穂村 ここで言っているニューウェーブって、先に荻原さんの新聞記事発の定義があったんでしょ? それで、そこに推された人たちが偶然性に乗って……。だから、その質問は何となくニューウェーブの定義返しみたいなところがあると思うんだけど。今名前が出た一人一人の女性の価値評価に関しては、僕、すごく論じてるよね。でも、じゃあそれをニューウェーブと呼びましょう、と僕らの間で言っても、今までの歴史的な経緯があるから、それは変になるんじゃないの?


 ここは、私のメモの方が実際の発言に近いはずだ。『ねむらない樹』の記録は、校正段階でかなり加筆されたのだろう。主な変更は四点。

(1)「荻原さんの新聞記事発の定義」→「同人誌「フォルテ」発で荻原さんが書かれた「現代短歌のニューウェーブ」経由という定義」

(2)「定義返し」→「定義の問い直し」

(3)「いままでの歴史的な経緯があるから、それは変になる」→「いままでの歴史的な経緯から見直さないと変になる」

(4)末尾「ニューウェーブ世代を私は」以下を追加。


 元々の発言の主旨は明確だった。つまり、荻原の記事がニューウェーブを定義した。それ以後、同時期の女性歌人はニューウェーブとは呼ばれてこなかった。だから、今になってそれら女性歌人をニューウェーブと呼ぶのも変だ——といったところで、ニューウェーブは荻原・加藤・西田・穂村の四人との説を肯定しているのだ。

 ところが、まず(1)記録に「フォルテ」の名を追加したことで、ニューウェーブの定義の根拠はいくらか曖昧になった。次に(2)「定義返し」は再定義の意で、東を「従来の定義を否定する者」、つまり従来の定義を肯定する自分にとっての論争相手と見なしていたのだが、「定義の問い直し」はせいぜい再定義の検討程度の意味だ。東との対立の度合いは弱まった。さらに(3)元々の発言は「歴史的な経緯があるから定義の変更は不可能」との意味だった。記録の方は「歴史的な経緯から見直すなら定義の変更も可能」との含意があるように思われる。

 (4)は「ニューウェーブの再定義は変になる」ということの論拠であるべきだが、それにしては飛躍がある。その飛躍を埋める作業は不可能ではなさそうだが、それをするのはひどく面倒に感じられる。なんだかよく分からない話にしてしまうのが真意ではないかと勘ぐりたくなる。

 いずれにせよ、ニューウェーブ四人説から穂村はひそかに離脱しようとしているのではないか。一方でニューウェーブの人数を増やして考える立場とも距離を置いている。自分の見解を巧妙にぼやかそうとしているように私には見える。


(2018.8.16 記)

 知人にすすめられて高島裕の時評に対する北村早紀の反論を読んだが、反論としてはうまく成立していない気がした。双方の話題の中心は、前財務次官のセクハラ疑惑である。高島「抵抗の拠点」(『未来』7月号)の主旨をごく簡単にまとめると、次の三点。

(1)現時点ではセクハラを認定できない。
(2)次官を一方的に断罪する報道は課題解決にはつながらない。
(3)短歌は一方的な物語の生産・消費に抵抗する手段になる。


 このうち(1)は暗示にとどまり、(2)(3)が話の過半を占める。対する北村「「高島裕『抵抗の拠点』に思うこと 」(ブログ「「詩客」短歌時評、8月2日付)の主旨は次の二点だろう。

(a)現時点でセクハラを認定できる。
(b)高島の(3)には同意する。


 つまり、北村は(1)の暗示への反論に精力を傾け、(2)には言及しないのだ。例を挙げよう。高島は、

 報道は、次官本人と財務省を断罪し、麻生大臣の責任と不見識を言い立てるばかりで、テレビ局側が、かねてから嫌がっていたという女性記者をあえて次官の取材に差し向けた理由や、取材元である次官に無断で録音した音源を、他社に持ち込んで公開させたことの職業倫理上の是非を問う声はかき消されてしまった。「セクハラは許せない」という、誰にも反対できないお題目の前に、すべての疑問が封殺された形だ。こんな粗雑な手法が、ジェンダーとセクシュアリティをめぐるさまざまなコンフリクトを風通しの良い方向へ導きうるとは到底思えない。(「抵抗の拠点」)


と書いている。ここは、被害者とされる記者が「取材元である次官に無断で録音した音源を、他社に持ち込ん」だ後の新聞やテレビの報道について、(2)を主張していると見るのが自然だろう。ところが北村は、

 上記の文章からは高島さんが、今回の事件の対応は強引であったと考えていることがわかります。(略)今回の対応は確かに強引だったかもしれません。しかし、どんなことにも最初があり、続けていくうちに内容が洗練されていくのだと私は思います。むしろ、今回に関して言えば、強引な方法をとることでしか状況を動かすことができなかったのではないでしょうか。最初にこの事件について知ったとき、私も多少強引だと感じましたが、それ以上にこれは正当防衛だとも思いました。(「「高島裕『抵抗の拠点』に思うこと 」)


と記す。被害者である記者が「取材元である次官に無断で録音した音源を、他社に持ち込んで公開させた」行為は「正当防衛」だ、ということだろう。つまり、北村は高島の引用文をもっぱら(1)の主張と捉え、それへの反論として(a)を出すだけなのだ。これでは議論が噛み合わない。高島としては(2)を乗り越える一手段として(3)を述べているので、(2)とは無関係のまま(3)にだけ同意されても困るだろう。

「セクハラは許せない」ということを「お題目」と表現したことも気になります。(「「高島裕『抵抗の拠点』に思うこと 」)


と批判するくだりも同様だ。「お題目」の「お」は「皮肉やからかいの気持ちを表す」(大辞林)ものだが、高島は一方的な報道に反対する(2)の立場からことさらにこの「お」を使用しているのだから、(2)の中身を取り上げることなくその言葉遣いだけを取り上げても仕方がないと思う。

 ところで私自身は記者の職業倫理等は別に考えるべき問題だと思うものの、前次官のセクハラ自体は認定できるのではないかと思っている。では、高島とはどう対話すればよいのか。

 私なら(a)を表明しつつも、一旦は高島が(1)の立場に立つことを受け入れる。そうしなければ、(2)について議論する段階に進めないからだ。

 その上で、仮に前次官のセクハラを完全に認定すべき状況になったとしても(2)の立場を保持すること——すなわち多様な言葉を許容すること——が可能かどうか、それが可能であるとしたら、たとえばどのような言葉を想定できるか、を問う。

 そして、私もまた文芸の世界が一方的な言論によって覆い尽くされる事態は御免被りたいので、自分でもそれらの問いの答えを考える。


(2018.8.14 記)

 「ニューウェーブ30年」の記録で、ほかに気付いたことをいくつか挙げておこう。


 1 西田政史 VS 穂村弘

(佐々木朔の歌の「埠頭で鍵を拾った」という内容について、穂村が「いいところでいいものを拾いすぎている」と批判したところ、寺井龍哉から「そういう批評は今は無しなんですよ」と逆に批判されたという話題を受けて)

西田 いいところでいいものを拾いすぎというのはそもそも穂村さんがやっていたことじゃないですか。そんな人がどうしてこんなこと言うのかなと思いますけど。
穂村 うん。だから、これでもくらえって意識的な文体で書いてるつもりだったの。僕はさりげなくなんて拾わないもん。さりげなく埠頭で鍵を拾うみたいなのは、恵まれすぎてやしないかと。

 (『ねむらない樹』vol.1、76頁)


 西田のこの発言は、西田が穂村の初期の作風をどう見ていたかを窺わせる。加藤・荻原が穂村に切り込む場面が全然見られなかったこともあって、私には当日、最も印象深い場面の一つだった。

 私のメモでは、西田に答えた穂村の言葉は、

 いや、だから、この作者はさりげなく拾ってるんだよ。僕はさりげなくなんて拾わないもん。さりげなく埠頭で鍵を拾うみたいなのは、恵まれすぎてやしないか。僕、全然さりげなくないでしょ。


 自分が「さりげなくない」ことを、穂村はたしか、このような言い方で強調した。「いや、だから」という受け方や「さりげなく」の連発は、虚を突かれてよろめいた姿勢を強引に立て直した、といった印象を与えた。会場は大いに沸いた。ライブのおもしろみが出た場面だから、当然の反応だったと思う。

 記録中の「うん。だから、これでもくらえって意識的な文体で書いてるつもりだったの」は、私の記憶にはない。『ねむらない樹』の校正中に追加したものなのだろう。その追加によって発言の意図まで変わるというわけではないようだ。ただ、ここでもやはりライブ感は失われた。「うん」「これでもくらえ」には虚を突かれた感じがない。

 ただ、記録を読んであらためて気付いたことがある。歌の傾向を判断する基準「さりげないか否か」は、この場面より前の穂村の「埠頭で鍵を拾った」評には出てこない。西田と穂村のこの問答中に初めて出てくるのだ。ただおもしろおかしいだけでない、意義のある問答だった。


(つづく)


(2018.8.12 記)

 今月1日創刊のムック『ねむらない樹』(書誌侃侃房)を買って、先々月のシンポジウム「ニューウェーブ30年」の記録を読んだ。編集部による前書きに、

 討議の内容は極力記載した……(『ねむらない樹』vol.1、62頁)


とあるのは本当だ。まず、全体の構成は組み直すことなく、当日の流れのまま記している。また、個々の発言も、大半は省略せずに収めている。ことに女性歌人をめぐる加藤治郎・荻原裕幸・穂村弘の発言をカットしなかったことは、この記録の、記録としての価値を保証するものだと思う(それはいかにも批判を招きそうな内容だったから、カットした方が無難との考え方もあったはずだ)。

 ただ一つ残念なことは、当日の現場のライブ感が誌上の記録からは失われていることだ。たとえば、加藤の発言「女性歌人は(略)自由に空を翔けていくような存在なんじゃないかと思う」に対して、東直子が

 空を翔ける天女のような存在ということですか。(同、80頁)


と返す場面。文字で読むと、東が静かに問い質しているかのようだ。しかし、「天女のような」は、私の記憶では一オクターブ上の笑いを含んだ声で、その場では「エエッ、加藤さん、そんなこと言うの!?」という東の気持ちがよく感じ取れた。

 また、このシンポジウム屈指の重要な問答、

 (略)4人でニューウェーブは完成されているということでよろしいんですか。加藤さんのなかではということなんですけど。
加藤 はい、それはもう4人です。

 (同頁)


 これも文字で読むと、加藤が冷静に言い切っているように感じられる。しかし、実際の加藤の発言は「はい……それはもう……4人……」というような具合で、東に責め立てられてしどろもどろ(?)な様子が会場の笑いを誘っていた。私などはむしろ加藤の無防備さに好感を持ったほどだ。その感じを誌上に再現するのが難しいことは分かるが、残念。


(2018.8.11 記)

 このように考証をしてみると、田中の「四十町という具体に感銘がある」との評価はやはり誤読に基づいているような気がする。掲出歌の下句で重要なのは四十町の実体などではなく、四十町という言葉そのものだ。その言葉の選択が掲出歌の眼目なのだ。

 そして、そう考えてこそ田中の

 ……「立ち」「砂町」の「chi」の連続から、さらに近似の「四十町」の「chyo」へ伸びて調べを形成している。これは隠れた修辞と言える。


との見解も生きると私には思われる。


(2018.7.29 記)


 砂町四十町について、土屋文明本人は、

 あれは砂町四十町という地名なんです。実際の、区役所に載った正式の行政区画じゃないかもしれませんがね、あのへんの俗称なんですね。(『歌あり人あり:土屋文明座談』片山貞美編、角川書店、1979年)


と説明している。その後、近藤芳美はこの一首の鑑賞文中で、

 砂町は東京湾につづく城東区の一地劃の地名。(『土屋文明』、おうふう、1980年)


とだけ記して「四十町」には触れていない。

 新貝雅子も上記の文明の発言を引くだけで、それ以上に詳しい考証に踏み込んでいない(「土屋文明短歌研究」12、『アララギ』1992年10月)。

 鎌田五郎『土屋文明秀歌評釈』(風間書房、1999年)は「模範新大東京全図」(九段書房、訂正29版、1936年)を見たものの、

 " 四十町 " の地名は発見し得なかった……


という。

 さて、砂町は元々南葛飾郡下の町だった。それが1932(昭和7)年10月に東京市に編入され、城東区となった。同時に大字も再編されて四十町の区域は南砂町七丁目となり、地図上から四十町の名が消えたのである。

 次の地図1は、1931年5月発行の高岡正次「東京近郊地図」(訂正八十二版、龍王堂、部分)。旧葛西橋の南側に「四十町」の三字が見える。

 (地図1)
IMG_1125.jpg

 一方、次の地図2は、1934年8月発行の小林又七「大東京市地図」(川流堂、部分)。前の地図の四十町を含む区域に「七丁目」とある。

 (地図2)
IMG_1129.jpg

 掲出歌の初出は『短歌研究』1933年1月号。城東区の新設直後の作で、砂町四十町はすでに「正式の行政区画」ではなくなっていた。だが、土地の言葉はそう簡単には変わらない。住民は従来通り、その区域を「四十町」と呼び続けていたのだった。

 『短歌研究』同号の企画「大東京競詠短歌」は、東京市の周辺五郡編入を記念したものだった。変貌する大東京の現在を歌に詠ませる意図が編集部にはあったことだろう。しかし、文明は現代的な風物とともに、旧来の風物や言葉も歌に取り込んだ。「砂町四十町」はその一例だ。

 ついでに言えば、同時に発表された歌に次の一首がある。

砂村の火葬場近くなりてより葱に漬菜に青き家したし
  (歌集本文とは異同がある)


 この「砂村の火葬場」は四十町の北に位置しており、地図1にも載っている。旧砂村が砂町に移行したのは大正年間の1921年。ところが、火葬場はその後も変わらず「砂村」と呼ばれていた。この古い呼び名もまた文明によって記録されたことになる。


(つづく)


(2018.7.28 記)

 『短歌往来』7月号掲載の田中教子「短歌と修辞の本来の関係」が土屋文明の高名な一首、

小工場に酸素熔接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす
  (『山谷集』1935年)


を引き、

 「小工場」「溶接」のウの連続、「立ち」「砂町」の「chi」の連続から、さらに近似の「四十町」の「chyo」へ伸びて調べを形成している。これは隠れた修辞と言える。


と記しているのは穏当な指摘だと思う。しかし、

 この歌は、近代科学の発達から機械化の進む町と、人の営みを壮大なアングルから捉え、今しも夕闇の手が砂町の四十町めに届いたことをあらわしている。アングルと四十町という具体に感銘がある。


としているところはよく理解できなかった。「壮大なアングル」というほど、これは壮大な景色の表現だろうか。

 小市巳世司もかつて「上句の鮮明な微視的な影像と、それを包み込む下句の巨視的な大らかな影像」と発言していた(「土屋文明短歌研究」12、『アララギ』1996年10月)。「微視的」も「巨視的」も「壮大」も大仰に過ぎるように、私には思われる。

 「四十町という具体」なる評言も難解だ。実在する町に取材しているのだから「具体」には違いないが、ことさらに「四十町」の語を抜き出してそのように言う理由が分からない。

 もし私の勘違いだったら申し訳ないことだが、ひょっとして田中は江戸八百八町というのと同じように、「四十町」を多数の街路くらいに解しているのではないか。「砂町の四十町め」の「め」も衍字のようで衍字でなく、実は四十番目の街路というほどの意味で使っているのではないか。それなら、「壮大」の一語も腑に落ちる。

 ただ、もちろん「四十町」はそんな意味の言葉ではない。それは砂町の大字の名に過ぎない。しかし、少し調べてみて、気が付いた。先行研究も案外この「四十町」の考証に手を付けていないようなのだ。


(つづく)


(2018.7.27 記)


 鈴木竹志氏の6月29日付のブログ記事「島成郎のこと」

島成郎の母親は、高安綾子という。
こう書けば、誰しも高安国世の縁戚ではないかと思うだろう。
実際に高安綾子は、国世の長姉である。
つまり、島は、高安国世の甥である。
このことは、
松村正直の『高安国世の手紙』にも書かれている。


とある。私は島成郎という人物のことをよく知らないが、短歌界隈では松村正直『高安国世の手紙』(六花書林、2013年)が初めて高安国世とこの島成郎との関連をきちんと指摘したのではないのか。

『高安国世の手紙』にも書かれている。


といった言い方(にも、って何さ!)は、研究の場でのプライオリティーを軽視しているように聞こえる。また、当該記事には

松村は島について、
「全学連の書記長」と書いているが、
私は、ひょっとして、
松村は、島がブント(共産主義者同盟)の指導者であったことを
知らないのではないかという気がしてきた。


との記述もある。しかし、『高安国世の手紙』の参考文献(405頁)に

島成郎記念文集刊行会編『ブント書記長 島成郎を読む』情況出版 二〇〇二


があり、その一節を本文でも引用している(315頁)のだから、松村さんは「島がブント(共産主義者同盟)の指導者であったこと」を知っていた、と見るのが自然だろう。鈴木氏はさらに、

私の説は、
高安は、甥の島がブントの指導者として、
安保闘争に中心にいることを当然承知していた。
だから、「塔」に高安にしては、
珍しい政治的な内容に関わる歌も文章も載せたのではないかというものだ。


とも書くが、「高安は、甥の島が」「安保闘争の中心にいることを当然承知していた」というのは松村さんがすでに推測していたところであるし、「だから」以下の思い付きは『高安国世の手紙』の論証の堅実さとは比べようもないと思う。


(2018.6.30 記)

 ウェブ検索したところ、佐々木朔の歌の一首全体を引いているページが複数見つかった。『羽根と根』という同人誌の第六号に載っている由。その原本は未見だが、

消えさった予知能力を追いかけて埠頭のさきに鍵をひろった


という歌であるらしい。「いい所で、いい物を」とまでは私は感じなかった。

 それより「鍵」の解釈が気になった。これは何通りか出そうだ。「予知能力」は取り戻せないままだが、代わりに鍵を拾った、と私は読んだ。失ったものを取り戻すよりも新たに何かを得る方が希望がある。そうであってほしい。

 私はやはり「基本的歌権」なるものを認めないことにしよう。この歌は読みどころがあって、楽しい。


(2018.6.20 記)

 これも事前に公開されていた寺井龍哉の質問、

 後続の世代との関係をどうお感じになりますか。


に対し、穂村弘は「経験則では、基本的に若い人の方が考え方が正しい」と答えた上で、寺井本人の登場する話を披露した。

穂村 佐々木朔さんの歌で「埠頭で鍵を拾った」っていう下句、僕は大井さんや寺井さんとの雑談の場で「いい所でいい物を拾い過ぎてない?」って言ったんだよね。つまり、埠頭という特別感のある所で鍵という素敵な物を拾うのは、道路で紙屑を拾うのに比べて詩的ハードルを言語レベルで上げちゃってるから、これを回収するのは難しくないか、という意味で言ったんだけど、寺井さんが「そういう批評は今は無しなんです」って言うんですよ。(会場笑)

 なぜそういう批評が「無し」かというと、歌一首一首には「基本的歌権」があって、「基本的人権」を大事にするように歌を最大限リスペクトして批評しなければいけないからだと。つまり、「そう書かれたんだから、そう書くだけの理由がある」、それが批評の前提だ、ということだと僕は理解した。

 どっちの考え方が正しいんだろう? 寺井さんに訊いてみよう。


 会場の座席に座っていた寺井が指名されて立ち上がり、次のように答えた。

寺井 「そういう批評は無しです」っていうほど強い語気で言ったつもりはなかったんですけど……。(会場笑)作品の中には読者が見通し切れない必然性が秘められているはずで、それをある程度尊重するのが「今風」なんじゃないか、と考えているんですけど、お答えになっているでしょうか。


 この返答にはもう少し枝葉もあったはずだが、そこまで書き取れなかった。それにしても、口頭で自らの考えを説明しようというとき、話をこんなに短くまとめて切り上げられる人はまずいない。寺井の仕事について私はわずかに『Tri』掲載論文を知っているだけだったが、この発言を聞いて、とても優秀な人だと思った。

 「基本的歌権」というのは、寺井の「そういう批評は今は無し」云々の発言を穂村が自分流に解釈して作ったタームのようだ。若い世代にそういった共通理解が広がっているとは、興味深い。

 『未来』の朽木祐がシンポジウムの後、

 基本的歌権と観念されるような事態は、作者が作品の全権を支配するという観念の復活の兆しに思える。


とツイートした、と知人に教えてもらった。しかし、私は「作者が作品の全権を支配するという観念の復活」などとは思わなかった。『テクストはまちがわない』は日本文学研究者、石原千秋の著書のタイトルだが、「基本的歌権」という考え方はむしろそういったテクスト論的立場に近いのではないかと感じた。ひとたび歌が作者の手を離れ、公表されたからには、作者本人であってもその歌自体の有する権利は侵害できないだろう、ということだ。

 ともあれ、どの歌にも「基本的歌権」が備わっているとすると、批評はどこまで許されるのか。色々と考えてみたが、歌の内容が「歌権」より上位の「人権」に関わらないかぎり、その歌はあらゆる負の評価を拒否できるのではないかと思う。

 ところで、負の評価が無効である場合、正の評価もまた無効であるはずだ。褒めるに決まっているなら、褒めることの重みはない。そもそも、まともな作者なら、そのような場で褒められても特にうれしくもないだろう。だから歌会の参加者の発言は常に分析にとどまり、評価には踏み込まないことになる。つまり、穂村がしたような批評だけが不可能になるのでなく、一切の批評が不可能になるのだと思う。

 だが、分析のための分析をすることに何か積極的な意義があるのだろうか。私にはそれが分からない。褒められることもない、けなされることもない歌会……。

 原理主義的に「基本的歌権」を振りかざすと歌会がつまらなくなると思う。一方で、寺井の考えていることも何となく分かる気がする。評価を一旦保留にして、もう少し深く読んでみよう、というのでは駄目だろうか。


(2018.6.17 記)

 他に興味を引かれたところなど、思い出した順にいくらか追記する。


     §


 加藤治郎『マイ・ロマンサー』の一首、

1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0


を、今回のシンポジウムの最中に加藤本人が

イチゼロゼロイチ


と音読した。そこで止めて、後は読み上げなかった。

 それで私は初めて気付いた。この歌はそのまま音読すると三十一音をはるかに超過する。字余りどころではない。

 ところが、「二」「恐」をそれぞれ仮名の二字相当、計四字相当として数え、「0」や「1」はそれぞれ無音の一字として数えると、ちょうど定型の三十一文字ということになる。


     §


 同じく『マイ・ロマンサー』の著名な一首、

言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン!


はどう音読すればよいか。シンポジウムでの加藤の発言によれば、加藤自身は「言葉ではない」の後に一拍置いて「ラン」、と読むそうだ。

 この歌が空白一字分も含め三十一文字で表記されていることは、歌集刊行時から指摘されていたと記憶する。しかし、「言」を仮名の二字相当として数えると、全体では字余りの三十二字相当になってしまう。


     §


 これらの歌はみなモニターに表示させて作ったのか、と荻原裕幸が加藤に尋ねた。加藤の回答はイエス。それを受けて荻原が言うには、『あるまじろん』のこれも著名な、

▼▼雨カ▼▼コレ▼▼▼何ダコレ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!

(引用者注—本来、縦書表記を前提にした歌。「▼」は当然下向きに連なって、その記号の形自体が爆弾の落下を想起させる。)


などを、荻原は当初、横書き一行分のモニターしか付いていないワープロ専用機に入力したそうだ。その一行は二十字ほどであったはずで、つまり一首の歌の全体を表示することはできない。そこで荻原は、紙に印刷して表記の効果を確かめるということを幾度も繰り返し、ようやく歌を完成させたという。

 興味深い証言だと思う。九十年代の初めのころ、加藤と荻原の歌をひとまとめに「記号短歌」などと呼ぶ向きもいたが、この両者の歌における「記号」の働き具合は実は対照的だったのではないか。

 荻原の歌の「▼」は落下物をかたどったアイコンとして機能する。手間のかかるその入力の作業の間も作者の頭脳は休みなく動き続け、元々は無意味だった記号に様々な意味を付与してやまなかったのだろう。歌の題材が重大事であるにも関わらず、「▼」はどこか手作業のぬくもりと懐かしさを感じさせるようだ。

 一方、加藤の歌の「!」には特に意味がない。「1001」や「10100」はもちろんコンピューター用の二進数を模した表現だが、こちらも作中では意味を成さない。入力の簡単さがその無意味な表現を可能にしたのだと思う。

 「1001」の歌は、意味のある私という存在(二人のふるい恐怖をかたり)が無意味なもの(1と0)に侵食されていく。しかし、意味とは何だろう? 私とは?

 シンポジウムの資料として事前に配付された大辻隆弘「ニューウェーブ、やや回顧的に」によれば、『マイ・ロマンサー』の主題は「私の深化」だった。「1001」の歌に私はその典型を見る。


     §


 大辻の「ニューウェーブ、やや回顧的に」は、私がこれまでに読んだニューウェーブ論の中で最も説得力のある文章だと思う。

 三輪晃「ニューウェーブが指向したもの」は今回のシンポジウムのための新稿で、これがウェブ上ならニューウェーブに関する「まとめサイト」といったところだが、惜しいことに「ニューウェーブ、やや回顧的に」を紹介していない。そのため、「主体」についての三輪の理解は幾分浅く感じられる。


(2018.6.15 記)

(語り残されたこと)

 配付資料に西田選の

「ニューウェーブ30年」アンソロジー


と穂村選の

「ニューウェーブ」作品


が含まれていた。西田の方は荻原・加藤・穂村と西田自身の作、計十一首、穂村の方は同じ四人の計八首である。ここに他の歌人が入っていないことからも、ニューウェーブは四人以外にあり得ないというのが彼らの元々の考えであると分かる。

 残念だったのは、座談の中でこの資料が話題にならなかったことだ。時間の都合で省略されてしまったようだ。個々の作品に関して、「ニューウェーブは、何を企てたか」というテーマはほとんど探究されないまま残された。西田のシンポジウム後のツイートがこの点に言及している。

180610-2.jpeg

180610-3.jpeg

 前半の進行に若干の緩さがあり、特に加藤と石井僚一の掛け合いなどは荻原から「居酒屋トーク」と評される程度の無駄話(加藤の責任だろう)だっただけに、あの時間がうまく使えていればと惜しまれる。

 ただ、「ニューウェーブは、何を企てたか」を考えるためには、まずニューウェーブ幻想を否定する必要があったという気もする。今回のシンポジウムで幻想が一旦否定され、本来のテーマを探究する準備がようやく整ったのかもしれない。

 ニューウェーブを運動として捉えるとき、議論は辞典の記述のように歌人たちの共通項を探る方向に進むと予想される。しかし、ニューウェーブを現象として捉えるなら、彼らがいかに違ったかを論じることもできるだろう。たとえば、『シンジケート』と『マイ・ロマンサー』はかなり違うじゃないか、とか。私見では、同じ穂村の歌集でも、『シンジケート』と『ドライ・ドライ・アイス』の間には他者の有無という重要な違いがある。こういった議論を経た後に本質的な共通項が浮かび上がってくるかどうか、私は知りたい。

 今回のシンポジウムを主催した書肆侃侃房は、記録を今夏創刊予定のムック『ねむらない樹』に掲載するとのことだ(花笠海月「2018年6月1日~3日の日記」)。西田・穂村本人による上記資料の詳細な解説も、併せて載せてほしい。書肆侃侃房の担当氏は、私のブログなど見ていないだろうけど。

 ちなみに西田の自選歌は、

地球ニハ**ナノネナノネノナノネミギナノネヒダリナノネ、ヨウコソ!

シーソーをまたいでしかも片仮名で話すお前は——ボクデスヲハリ


(『ストロベリー・カレンダー』1993年)


 穂村の自選歌は、

呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる

「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に


(『シンジケート』1990年)


 自選の理由は? ただこれだけでも、興味が尽きない。


(極私的な感想)

 西田政史の発言の一つ一つが思慮深く、知的に聞こえたことが印象深かった。『ストロベリー・カレンダー』の作者はこの人か、と私は静かな感動を覚えていた。司会役の荻原から「やり残したことは?」と問われて答えたのが西田の席上での最後の発言だったが、それはおよそ次のような言い回しだった。

 西田 ミッションということでもないし、自分をニューウェーブと思ったこともなかったし、あまり考えてなかったんですけれど、やり残したことは……ないですかね。


 こうして自分のメモを読み返すと、実際の発言の印象とか、それを取り巻く空気感とかがそこに全然保存されていないのがもどかしい。この歌人は常に自分の視点から等身大の自分の思いなり考えなりを語ろうとしている、そして語れないことは語らない、と私は感じたのだ。

 そもそも私がこのシンポジウムへの参加を申し込んだ動機は、これまでずっと露出の少なかった西田の姿をこの目で確かめたいということだった。私の好奇心はもちろん十分に満たされた。


(ひとまずヲハリ)


(2018.6.11 記)

(意義)

 思うに従来、歌人や歌の愛好者は漠然とニューウェーブ幻想のようなものを抱いていた。千葉聡は東直子・紀野恵・山崎郁子・早坂類を「ニューウェーブに近い存在」と見ていたと述べていたし、東本人はニューウェーブを一時代の「全体運動」のように捉えていたと語った。

 今回のシンポジウムの最大の意義は、その幻想を粉砕したことだ。登壇した四人は、東や千葉のようなニューウェーブ観を異口同音に否定した。加藤や穂村、荻原は彼らに西田を加えた四人だけがニューウェーブだと強調し、西田に至っては自身がニューウェーブの一員であるということも否定した。

 そうした発言に対する戸惑いを、嶋田さくらこの次のツイートは端的に示している。

180610.jpeg

 一般に集会の規模は大きいことが喜ばれ、同志の人数は多いことが望まれる。ニューウェーブは「大きい潮流」で、多くの歌人を集めていた、と信じたい人が当日の会場のあちこちにいたようだ。東は自分の名が関連年表に載らなかったことに、遠慮がちながら異議を唱えた。シンポジウムの終了後、千葉は

 私は短歌ニューウェーブという流れには魅力があり、多くの人をひきつけてきたので、歌人を限定しすぎずに、「新しい方向をみんなで見つけていこう。志ある人はみなニューウェーブだ」くらい言っていただきたかったです。


と言い、秋月祐一も

 ニューウェーブとは荻原裕幸・加藤治郎・穂村弘・西田政史の4名のことという認識の上で、同世代の女性歌人や、後続の歌人を含めた「ニューウェーブ世代」という視点を提示できたら、さらによかったのではないかしら。


とつぶやいた(ともにツイッターでの発言)。

 会場の期待を受け入れる方が楽であるし、いくらかでも受け入れた方が和やかな祝宴になる。そして、四人がその会場の期待に気付かなかったはずはない。ところが、彼らは聴衆に迎合するそぶりも見せなかった。その点では四人は見事に一致しており、まるで事前に打ち合わせていたかのようだった。

 しかも、それだけではない。彼らは「現象」「偶然性」といった言葉を使い、彼ら自身にも一派としての自覚がなかったこと、一派であるかのように見られたのでそれを自身の活動に利用したということまでも告白した。

 ニューウェーブのブランド価値は、この「30年」の間に、短歌の世界で確固たるものになっていたはずだ。それを維持してゆくことができれば、今後も彼らの活動の場は一応保証される。しかし、彼らは自分たちのブランドを無難に守ろうとはしなかった。

 現に活動し続け、変化し続ける歌人としての誇りを、私はそこに見たような気がする。昨年西田の第二歌集『スウィート・ホーム』が第一歌集以来二十数年の空白期間を経て出版され、この五月には加藤の意欲的な新歌集『Confusion』、穂村の十七年振りの単行歌集『水中翼船炎上中』も出た。なるほど、彼らは現代の歌人だ。


(つづく)


(2018.6.10 記)

     §


(今後の議論に向けて)

 今回のシンポジウムには、議論のテーマになり得る話題が二つあったと思う。一つは、

 ニューウェーブに女性歌人が含まれるのか
 もし含まれないとしたら、それはなぜか


 これについては、やはり現象と運動を分けて考えるのがよいと思う。

 千葉の質問の射程は、現象としてのニューウェーブにとどまっていた。これまで(ことに90年代当時は)誰も女性歌人を「ニューウェーブ」として取り上げなかった、というのが荻原や穂村の回答だった。荻原・加藤・西田・穂村らの意図を超えた現象の話だから、それを四人の問題として取り上げることは一応できない。

 他方、女性歌人と運動としてのニューウェーブの関係については回答がなかった。こちらは意識的な運動の話だから、まずはその運動に参加した荻原・加藤・穂村の問題だろう。もしその運動としてのニューウェーブにも女性歌人が含まれていなかったとすれば、なぜ参加を求めなかったのか、と三人に対して問うことはできるかもしれない。

 なお、荻原・加藤・穂村の発言の端々から一面的な女性理解が窺われるのは、いささか気になった。加藤の不用意さにはすでに触れたが、荻原にも同様の発言があった。「常にそういう集団性は、短歌史的には男性の歌人のものなんです」というが、それは単にアララギとその支流がそうだったというだけだ。また、その短歌史の認識がもとになっているとはいえ、「ニューウェーブという括りをした瞬間に女性歌人は排除される」とするのも乱暴な感じがする。そもそも、「括りをした」責任の一端は荻原自身にもあるのだから、「排除される」などという他人事のような言い方はない。

 穂村が「そういうことをいつも男たちはする」という「彼女」の言葉を紹介するとき、穂村は「彼女」に共鳴し、男たちのニューウェーブを相対化しようとしている。しかし、穂村は彼女が女性の一人であって、女性全般でないことには言及しない。

 「この人たちが五人で並んでるところ、想像できない」というのは議論のすり替えのように感じられる。その女性五人が一つの運動をともにすることは想像できないかもしれないが、だからと言って女性が運動に不向きだと言えないことは当然だ。事実、東はニューウェーブの一員として認められなかったことを残念がっていた。

 穂村の今回の発言には独特の、偏った女性観が表れていたと思う。穂村は以前も、「男性が構築した株式と法律と自動車とコンピュータの世界に対する違和感」と女性の「妖精性」への憧れを語り、

 僕は(略)そういう女性が突拍子もない世界のカギを持っていると考えていて、そして、そっちに真実があるという発想だから。


と言っていた(山田航との共著『世界中が夕焼け:穂村弘の短歌の秘密』新潮社、2012年)。しかし、妖精と呼ばれて喜ばない女性もいるだろう。

 そして、議論のテーマになり得る話題のもう一つは、

 ニューウェーブの歌人は荻原・加藤・西田・穂村の四人だけなのか


 これについて実証的に研究することは、もちろん無意味ではない。しかし、最も重要なのは、荻原・加藤・穂村の三人がそう自認しているという事実ではないか。彼らの発言の当否を論じるよりも、今回彼らがそう発言したこと自体をニューウェーブ論のための一資料として扱う方が一層生産的だと私は思う。


(つづく)


(2018.6.8 記)

(内容5のつづき)

 東の問いかけに、まず加藤が答えた。

 加藤 女性というとまたややこしくなりそうなんですけど、私はむしろ、女性歌人はそういった括りの中には入らなくて、もっと自由に空を駆けてゆくような存在だと考えていて(会場笑)、つまり葛原妙子や山中智恵子を前衛短歌に入れる必要はないし、早坂類をニューウェーブの中に閉じ込める必要は全くないと思っています。

  要するに今いらっしゃる四人でニューウェーブが完成されている……(会場笑)ということでよろしいんでしょうか。

 加藤 はい、それはもう、四人……(会場笑)

  では、加藤さんとしては、今日の「ニューウェーブ30年」は四人の作品を考える集まり、だと……

 加藤 はい……はい……そうですね……

  でも、それは多分一人一人捉え方が違うのかな、と思うんですけど……

 加藤 そこは今後の議論の、ポイントですね。(会場笑)

 荻原 今後じゃなくて、今でいいんですけどね。(会場笑)


 この辺りになると、私も周囲の人たちと一緒になって笑ってしまい、ほとんどメモを取るどころではなかった。そのため、会の後、矢場とんの店内でみそかつを待つ間に急いで記憶をたどらなければならなかった。それでも、やり取りの重要な部分は書き落としていないだろうと思う。

 女性歌人が「自由に空を駆けてゆくような存在だ」というのは不用意な発言のように思える。しかし、ニューウェーブの中に入る女性歌人はいないか、という千葉の質問がシンポジウム以前に公開されていたわけだから、「入らない」という回答自体は事前に用意されたものにちがいない。

 それに続く東の第二の問いかけが不思議だ。ニューウェーブの中に女性歌人が入らないということと「四人でニューウェーブが完成されている」ということは、直接はつながらない。ところが、論理に飛躍のあるこの発言を加藤はそのまま肯定してしまうのだ。東の言葉の勢いに気圧されたのだろうか。

 おそらくそうではない。これこそ荻原・加藤・穂村に共通の認識なのだ。その認識を提示させた東の問いかけはまるで一つの奇跡のようだった。加藤に代わり、穂村は次のように答えた。

 穂村 ここで言っているニューウェーブって、先に荻原さんの新聞記事発の定義があったんでしょ? それで、そこに推された人たちが偶然性に乗って……。だから、その質問は何となくニューウェーブの定義返しみたいなところがあると思うんだけど。今名前が出た一人一人の女性の価値評価に関しては、僕、すごく論じてるよね。でも、じゃあそれをニューウェーブと呼びましょう、と僕らの間で言っても、今までの歴史的な経緯があるから、それは変になるんじゃないの?

  ニューウェーブという概念の定義がだいぶ違うんだな、ということを認識したのが今日の大きな「収穫」かなと思います。ニューウェーブっていうのは、時代の全体運動のように私は捉えていたんですけれど、それはもっと狭いものとして捉えた方が……

 穂村 東さんのおっしゃってるのは、さっきから話題になっていたライト・バースに近いですね。そこには林さんとか、紀野さんとかが入っていたわけで……ほかの人たちは時代が後だから入ってないけど。文体は紀野さんが文語で、仙波龍英さんとかも文語だけど、ライト・バースと呼ばれていたんですよね。


 穂村は女性歌人とニューウェーブの関係について話しつつ、結局加藤の「四人」説を補強しているのだろう。千葉の質問に誘導されて、内容4の荻原は話題を女性歌人に限定していたが、あの回答の真意はここでの穂村の発言に近かったのかもしれないと思う。実際、この穂村発言の後、荻原は「ニューウェーブって、すごく狭い視野だっていうことを意識してもらった方がいいのかもしれない」と言い、加藤・穂村の発言を肯定した。それを結論のようにして、今回のシンポジウムは終了した。

 この内容5の間、西田は一言も発しなかった。自分をニューウェーブと思ったことはないという西田は、ニューウェーブの範囲をめぐる話題には関心を持てなかったのだろう。


(つづく)


(2018.6.6 記)

ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031