穂村弘『シンジケート』(1990年)
この一首は、歌集刊行直後からよく引かれていた記憶がある。穂村の「初期の代表作」(『世界中が夕焼け:穂村弘の短歌の秘密』新潮社、2012年、152頁)という山田航の評価は妥当だと思う。
ただ、「現代の相聞歌でもっとも知られている歌の一つ」(同書同頁)とまで言うのは、大げさな気がしないでもない。教科書によく載っているのは「回れよ回れ」「七月四日は」。「もっとも」という言葉を、もっと大事に使ってほしい。
§
……「雪のことかよ」だけが主体の言葉で、そこまでは女性の描写だってことが伝わらないんじゃないかという危惧があったんだけど、意外と伝わっている。なんか短歌って(略)なかなかそのへんの見通しがつかないんですよね。(穂村の発言、同書154頁)
日本語の表現として、「私はさわぐ」とはあまり言わない気がする。だから、読者は間違えないのだと思う。
§
突拍子もないことを言う女性に出会ったことはあるが、妖精性なるものを持つ女性に出会ったことが一度もない、自分は。
僕は女性のエキセントリシティというか妖精性みたいなものに対する執着が強いので(略)突拍子もないことを言う女性像というものを繰り返し歌っています。(穂村の発言、同書154頁)
次のように発言する穂村は、フェミニストではない。
そういう女性が突拍子もない世界のカギを持っていると考えていて、そして、そっちに真実があるという発想だから。僕には男性が構築した株式と法律と自動車とコンピュータの世界に対する違和感があるから。だから、女性がいつも自分を違うところに連れていってくれる、そして、そのカギになるのはエキセントリックな発言だ、ということです。(穂村の発言、同書同頁)
たとえば株式とコンピュータの世界とは異なる世界がある、という考え方は私にも分かる。そちらの世界のカギを持っている人も、きっとどこかにはいると思う。ただし、その人は男だ。男でない可能性も大いにあるが。
§
吐き飛ばすガムの標的 金曜の警官(ポリ)人形は勲章まみれ
(『ドライ ドライ アイス』)
『ドライ ドライ アイス』(1992年)では、自動車を運転する「私」が祝福されていた。自動車はまるで魔法の道具だった。「私」が幼児期の全能感を取り戻すには、自家用車が必要だった。いつから自動車の世界に違和感を?
§
『シンジケート』では、女はときに「私」の期待通りに行動し、ときにその期待を裏切る。たとえば、
「クローバーが摘まれるように眠りかけたときにどこかがピクッとしない?」
パレットの穴から出てる親指に触りたいのと風の岸辺で
は前者だが、
何ひとつ、何ひとつ学ばなかったおまえに遥かな象のシャワーを
「まだ好き?」とふいに尋ねる滑り台につもった雪の色をみつめて
は後者だ。「ゆひら」の一首を、穂村自身は前者と見なしている(前掲書、155頁)。それが正しいかどうか、私にはよく分からない。
§
金曜日 キスの途中で眼を開けて「巣からこぼれた雛は飛べるの?」
(『ドライ ドライ アイス』)
『シンジケート』には他者がいた。続く『ドライ ドライ アイス』には、その他者がいない。「私」の期待を裏切る女はすでに去り、戻って来なかった。
(2017.8.21 記)
穂村弘『シンジケート』(1990年)12頁
会津八一の家にいた九官鳥はひねくれ者で、人が「こんにちは」と呼びかけると「さようなら」と返してきたそうだ。コミュニケーションが成り立っているのかどうか、よく分からない相手だ。
そんな九官鳥すらしゃべりかけてこない朝、ダイレクトメールだけが郵便受けに入っていたという。この「ダイレクトメール」は、素性のしれない業者が怪しげな商品を宣伝する類のものと解したい。個人情報保護法の施行以前、またネット通販の普及以前はその手の郵便物がしょっちゅう届いた。高校の卒業アルバムに卒業生全員の住所と電話番号が載っていた時代だ。
誰とも言葉を交わさない無音の情景を描写して二月の季節感を表すのが掲出歌のテーマだろう。付き合いたくない相手からのメッセージがノイズとしてその情景に入り込んでくるところは、現代風だ。
ただし、そのノイズは、「凍って届く」設定により一定程度、美化される。美の世界の境界線を踏み越えそうで踏み越えないのは、『シンジケート』の特徴の一つではなかろうか。
なお、「しゃべらぬ」は、文語を使用して語調を整えている。こういった言い回しと「ダイレクトメール」のようなカタカナ語が共存しているのが『シンジケート』の文体である。
(2017.2.8 記)
穂村弘『シンジケート』(1990年)38頁
中学生だったころ、スティービー・ワンダーの「パートタイム・ラバー」がラジオでよく流れていた。自分はナマケモノで英語の授業中などいつもボーッとしていたので、このタイトルも全然ピンと来ず、あるとき母に「どういう意味?」と尋ねた。意味が意味だから母も困っただろうが、それでもすぐに、
「そのときだけの恋人、でしょう」
と答えてくれた。思い返すたびに、お母さん上手いこと訳したなー、と可笑しくなる。
§
鍵括弧で一首全体を括った場合は相手の発言だと穂村自身がどこかで解説していた。周知の通り、この手法は『シンジケート』にしばしば見られる。
掲出歌に深い意味を求める必要はないと思う。若くて自由な恋人が口にした、たわいない睦言の断片である。ただ、彼らの気分と、彼らをとりまく空気の感じが一首中によく封じ込められている。まるでタイムカプセルのようだ。
飲み口の先が曲がるストローがファミレスなどで広く使用されるようになったのがいつか、私の手元には正確な資料がないが、1980年代の初め頃ではなかったか。『シンジケート』の時期にはもう外食産業では当たり前のように使われていた。ただし、「飲み口を折り曲げられる」は説明がいくらか丁寧過ぎる気もする。特別なストローといったイメージが80年代後半にはまだ少し残っていたか。
穂村と同世代の読者のなかにはきっと、「臨時の恋人」からスティービー・ワンダーの曲名を連想した者がいただろう。マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス。洋楽が若者の身近にあった時代だった。
秘密の恋人、今夜だけの恋人、行きずりの恋の相手、許されない恋の相手。いろいろな恋の形があり、いろいろな言い方があるが、本来公的な事柄を表すことが多い「臨時」という語を「恋人」に付けると、その「恋人」にまつわる話が何か非現実的で非情緒的に感じられるようになる。だから、その言葉を使って、フルタイムの恋人に気楽な冗談を言うことができる。その言葉で無邪気に、あるいは無邪気を装って、恋人の気を引いている。
(2017.2.6 記)
穂村弘『シンジケート』(1990年)82頁
『シンジケート』の中でもとりわけよく知られた一首。山田航は、
甘やかな相聞歌である。(略)まさに幸福の絶頂にいるときの歌だ。
(穂村弘・山田航『世界中が夕焼け:穂村弘の短歌の秘密』新潮社、2012年)
という。確かに絶頂の後は下るのみであるし、山田は続けて、
……終バスの降車ボタンによってのみ照らされる。甘く美しいけれど、寂しい風景だ。終バスは、この先どこに行くのかわからないふたりの未来を暗示している。
と的確に述べてもいるが、そのことを承知した上でなお「幸福の絶頂」は違うかな、と私は思う。それは、私がこの歌を『シンジケート』の中で読んだからだろう。初めに一首単独で読んでいたら、また別の印象を受けたかもしれない。
この歌は、『シンジケート』後半の文脈のなかにある。
朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜(79頁)
シャボン玉鼻でこわして俺以外みんな馬鹿だと思う水曜(80頁)
といった歌のすぐ後に、この歌は現れるのだ。
紫のランプにわずかに照らされた二人の眠りは、決して幸福の絶頂にはいない二人にほんの束の間もたらされた安息である。彼らは間もなく目を覚まし、バスを降りるだろう。
(2016.8.1 記)
穂村弘『シンジケート』(1990年)70頁
『シンジケート』のなかで註釈を要する歌の一例。プルトップは「缶詰で、つまみ(プル-タブ)を引き起こして開ける方式のふた」(『大辞林』)、ここでは缶ビールや缶ジュースの蓋のことだろう。
缶の蓋の一部分を開いて飲み口にするのは、昔も今も変わらない。ただ、今の缶ビールや缶ジュースはその蓋の一部分を缶から切り離さないが、以前は引いて切り離す方式が一般的だった。掲出歌の「プルトップ」は後者で、切り離されたものが銀色の小さな楕円形なので「うろこのように」という比喩になる。
日本の飲料メーカーがその切り離す方式に代えて切り離さない方式を本格的に採用するようになったのは、1990年だという(「空き缶のリサイクルと缶飲料の飲み口改善をめざして」六郷生活学校)。『シンジケート』の刊行年である。
この歌集は刊行時からすでにレトロな雰囲気を醸し出していた。収録歌の素材の多くは時代の先端でなく、むしろ後方の文化文明だったように思う。そして、当時は気付かなかったが、缶から切り離すプルトップもまた、時代の後方の技術だったのだ。
「床」は、ワンルームマンションのフローリングの床などと想像しておこう。「散る」とあるからには、うろこのようなプルトップはいくつも床に散らばっている。幾分すさんだ生活の一場面に缶ビールははまり過ぎのようだが、かといって缶ジュースではお話にならないので、やはり缶ビールなのだろう(まさか缶チューハイ?)。
停止中のエスカレーター降りるたび声たててふたり笑う一月(11頁)
悪口をいいあう やねにトランクに雲を映した車はさんで(20頁)
といった無邪気な日々も過ぎて、恋人たちの心はときにすれ違うようになる。歌集中盤以降の
俺にも考えがあるぞと冷蔵庫のドア開け放てば凍ったキムコ(44頁)
馬鹿はずっと眠っていろと温野菜にドレッシングで描く稲妻(73頁)
「まだ好き?」とふいに尋ねる滑り台につもった雪の色をみつめて(77頁)
などの歌であり、掲出歌もこの文脈に連なる一首と読みたい。
(2016.7.29 記)
2016年の若者はそもそもそのような自販機の存在を知らず、甘酸っぱい気分の元になる原体験を共有していない。彼らはこの歌を、かつて私が楽しんだようには楽しめないだろうと思う。
などと書いたが、この推測を裏付けるようなブログ記事(「巣/人生の意味/植毛」http://axetemple12.hatenablog.com/entry/2014/12/05/214535)を見付けた。私の見方とはやはりずいぶん違う。
(2016.7.27 記)
穂村弘『シンジケート』(1990年)
昨日横浜の元町の通りを歩いていて、昔なつかしいコカ・コーラの自動販売機を見かけた。「おっ」と思う人も多いようで、後でウェブ上で検索してみると写真が何枚も載っていた。月遅れで恐縮だが、それで掲出歌を思い出した次第。
壜入り炭酸飲料の栓抜き付きの自販機がどこの町にもあったのは、1980年代までだったろう。掲出歌は甘酸っぱい気分を呼び起こす、やや時代遅れの小道具としてこの自販機のイメージを用いているとおぼしい。だが、2016年の若者はそもそもそのような自販機の存在を知らず、甘酸っぱい気分の元になる原体験を共有していない。彼らはこの歌を、かつて私が楽しんだようには楽しめないだろうと思う。『シンジケート』も、いつの間にか註釈が必要な古典になってしまった。
ちなみに穂村弘・山田航『世界中が夕焼け』(新潮社、2012年)によれば、同じ歌集の一首、
「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
に引用されている着ぐるみ劇「ブーフーウー」は「今や忘れられかけていて」、穂村自身が
代表歌を一つ失おうとしている
と述べていたそうだ。
言うまでもないが、「栓抜きに突き刺すスプライト」は青年期の無粋な性的行為の隠喩である。それをそのまま投げ出したのでは陰惨きわまりないので、「警官も恋する」メルヘンのオブラートに包むわけだ。わざわざヴェンダーなどという気取った読み方をさせるのも、同じ理由にちがいない。
コカ・コーラではなくてスプライトであることにも、意味がある。コカ・コーラは、優雅にくびれた壜の形はもちろん、赤茶色の液体もむしろ女性的で、これを男根に見立てるのは無理なようだ。
掲出歌は『シンジケート』が1990年の青春歌集であることを証明するような一首だと私は思う。
(2016.7.24 記)
§
この本でもっとも嬉しかったのが、初期の穂村の活動を間近で見ていた中山明が文章を寄せていること。二人の若かりし日のエピソードの紹介が貴重だ。黄色いフォルダを詰めた大量の封筒を赤い車で運び、赤い夕日のなか、赤い郵便ポストに片っ端から投函していく話が素敵。
§
中山によれば、『早稲田短歌』32号のインタビュー記事で、穂村は
青春歌集でしょ、『シンジケート』って。
と発言しているという。ああ、これ以上端的に『シンジケート』の特徴を言い当てた言葉があっただろうか。
§
アンケート欄がおもしろい。「穂村弘のイメージは?」に対して俳人の小澤實の回答は「やさしくてちょっとつめたく頭がいい」。私なら、もっとストレートに「頭がいい」とだけ答える。
§
「穂村弘の短歌で好きな一首をあげて下さい」に対して回答が分かれるなかで、水原紫苑・井辻朱美・斉藤斎藤の3人が一致して、
呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる
を挙げている。私も好きな歌だが、従来それほど多く引用されていた印象がないので、ほぉと思う。高野公彦が「嘘つきはどらえもんのはじまり」を挙げているのもなんとなく意外な感じ。もっとも、高野は講談社学術文庫『現代の短歌』に水原や加藤治郎を採り、穂村のことは採っていないので、元々穂村を高く評価しているわけではないのだろう。
§
「穂村弘に聞きたいこと」に対しては、「お元気ですか」とか「最近驚いたこと」とか、どうでもいい問いもあるなかで、吉川宏志の
次の歌集はいつでるのでしょうか、なぜ長期間歌集にまとめていないのかを知りたいです。
という直球の質問が目を引く。私もそれを聞いてみたい。ただ、一方で、答えは聞かなくても分かっている、という気もする。穂村は『シンジケート』『ドライ・ドライ・アイス』以降の自分の歌に不満なのだろう。新歌集をまとめても、『シンジケート』を超えるものには到底ならないことを知っているのだろう。それ以外にどんな理由があるだろう。『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』はおそらく、1度きりの実験的なコンセプト歌集として、例外的に出すことができたのだ。
§
口絵の「穂村弘アルバム」も貴重だが、1985年の「大学サークルの合宿」の写真はもっと大きく載せてほしかった。人物が小さすぎて、写っている2人のどちらが穂村なのか分からない。『かばん』35号(1987.2)表紙の「歌人集団ペンギン村」って……。アラレちゃんからの借用だが、いかにも80年代っぽいネーミング・センスで、見ているこちらが気恥ずかしくなる。でも、今はもうこれも一周して、むしろ新鮮なのかな?
§
高柳:では、穂村さんに肯定感を最初に与えたのは?
穂村:親でしょう。
(対談「もっとキラキラ」)
穂村弘『シンジケート』(沖積社、1990)
山田航によれば「この歌のポイントは三つある」(穂村弘・山田航『世界中が夕焼け』。以下も穂村・山田の発言の引用は同書から)。
まず「嘘つきは泥棒のはじまり」と「どらえもん」との掛詞である点。次に「どらえもん」が「ドラえもん」ではなく平仮名表記である点。最後に日本語的には不用とも思える「ハーブ」のリフレインである。
さて、山田のこの的確な指摘の後では蛇足のようになってしまうが、私には別にもう一つ気になる「ポイント」がある。第3句の「春の夜の」である。
これは、ハルノヨルノ、と読むのだろうか。それとも、ハルノヨノ、だろうか。前者なら口語風、後者なら文語風。いまの穂村ファンはどちらで読んでいるのだろう。
私の読み方は文語風の、ハルノヨノ、である。初めて『シンジケート』を手に取ったときからとくに意識することなくそう読んできたのだが、あらためて検討してみても、ハルノヨルノ、と読む気にはならない。
理由はいくつかある。(1)わざわざ字余りで読む気になれないこと。(2)第4、5句の句またがりを句またがりとしておもしろく感じるためには、他の句は定型どおりであってほしいこと。(3)直前の「つつ」が文語と口語の中間のような語であり、夜(ヨ)も同様であって、両者のつながりが自然。(4)『シンジケート』のところどころに伝統的な主題や語法が残存しており、ここもその一例と見られること。
このうちで私が強調したいのは(4)である。
糊色の空ゆれやまず枝先に水を包んで光る柿の実
同じ歌集中のこの歌について穂村自身は、「写生をやろうと」したのが「微妙に色気が出ていて」「やっぱりできてない」、と言う。自身の歌について、また写生の本質について、おそろしいまでによく見通すことができている人の言で、これが穂村の穂村たる所以なのだろう。それはともかくとして、この歌をみれば、写生を主題としたことは分かる。語法の点でも、「空ゆれやまず」の助詞の省略の仕方や助動詞の使い方が文語風だ。
古典和歌や近現代短歌から「春の夜の」という表現の例を探すと、
春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる
(凡河内躬恒、『古今和歌集』)
照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき
(大江千里、『新古今和歌集』)
背のびして口づけ返す春の夜のこころはあはれみづみずとして
(中城ふみ子『乳房喪失』)
というように無数にあり、それらの読み方は、ハルノヨノ、だ。穂村の「春の夜の」もまた、その伝統を受けたものと見た方がよいだろう。
穂村はこの歌について、
この歌のテーマって季節感なんです。言いたいのは春の夜ってこんな感じっていうこと。
春の夜の感覚は、ドラえもんのポケットからは何でも出てくるというその全能感。
まったりした空気感みたいな。
と言っている。私が引いた躬恒・千里・中城ふみ子の歌の主題は、いずれも「春の夜ってこんな感じ」。そして、それがどんな感じかは結局、躬恒から穂村まで変わらないように思われる。
言うまでもなく、穂村本人が「穂村弘の磁場」(山田航)のなかで短歌を作り始めたわけではない。穂村は穂村以前の文芸の影響を受けていた。「穂村弘の磁場」に引き寄せられて短歌を作り始めた近年の若手歌人は、その伝統をも受け継ぐものだろうか。
穂村弘『シンジケート』(沖積社、1990)
私は、この初句から第4句「むかえる」までを「朝」にかかる序詞風の表現と取り、一首全体としては、
「脱走兵が鉄条網にからまったまま息絶えようとしている、その同じ朝の私の自慰は薔薇色の快楽だ——」
というほどの意味に解しているのだが、これは無理な読み方だろうか。
以前、歌人や研究者が集まった会で、この歌が話題にのぼったことがあった。私の読み方を話してみたら、誰の賛同も得られなかった。皆、「脱走兵の自慰」と解していたのだ。
確かに、序詞などという古風な修辞は、『シンジケート』にはそぐわないようだ。ただ一方で、瀕死の脱走兵の自慰とはあまりに荒唐無稽な図ではないか、との疑問もぬぐい去れない。
しかし、さらによくよく考え、記憶をさかのぼってみると、私も初読の折りには脱走兵の自慰として読んでいたようにも思うのだ。そして荒唐無稽こそ、この歌の生命である、と。
実際、この歌はどう読めばよいのだろうか。