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ガンジスの河岸に貧しき農夫らの汗混りいん我が選る綿に

(大木恵理子「『燎火』は孤独の魂を照らす灯り」の引用歌)


 「ガンジスの河岸に」の「に」に確かな技術がみとめられる。この「に」の働きによって、農夫らの活動しているさまが見えてくるのだと思う。仮に「ガンジスの河岸の貧しき農夫ら」としてみると、その動きが止まってしまう。

 ところで、短歌を読むとはどういうことか、この歌を知ってあらためて思うところがあった。一首の大意は、

 日本の私がいま選別している綿に、ガンジス川の岸辺で働く貧しい農夫の汗が混じっているだろう——


 しかし、私はこの歌を読むとき、こんなふうには読まない。また、「日本の私がいま選別している綿に」を単純に倒置した形で読むわけでもない。

 どう読むかというと——まず、ガンジス川が見える。次に、その川沿いに綿花畑が見え、質素な身なりで汗を垂らして立ち働く農夫の姿が見えてくる。最後に日本の工場だか倉庫だかで人が綿を手にしているさまが見え、それとガンジス川辺りの農夫との関連が理解される——と、こんな感じ。読む途中で想起されるあれこれのイメージは、確かに文脈によって「今、ここ」を中心に再配置される。しかし、同時に、それらは再配置される以前のまま、互いに等価のイメージでもあり続ける。私はこの歌の文脈を追う一方で、それぞれのイメージをただ純粋なイメージとして味わい、楽しむのだ。


(2018.11.2 記)

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コメント
270
短歌の読みについての話、とても共感しました。
歌の鑑賞は、一首を読み終わって全体像を把握してから始まるのではなく、歌を読み始めた時点で既に始まっていますからね。だから語順が非常に大切なのでしょう。
短歌は喩えるなら「出来上がった絵」ではなく、「今、描かれつつある絵」なのだと思います。時々、美術館でも画家がそういうパフォーマンスをしますよね。


271
今回の記事にご賛同いただいたのは、とてもうれしいです! そう、「今、描かれつつある絵」ですよね。短歌は空間芸術でなく、時間芸術なんです。澤辺さんの掲出歌は、そのことをあらためて教えてくれる一首だと思います。

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Author:和爾猫
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