加藤治郎がツイッターで水原紫苑を「ニューウェーブのミューズ」と呼んでいたという。そのことを批判する川野芽生の時評「うつくしい顔」(『現代短歌』2019年4月)を読んで、私は初めてそのことについて知った。川野によれば、加藤は

 水原紫苑は、ニューウェーブのミューズだった/穂村弘、大塚寅彦、加藤治郎、みな水原紫苑に夢中だった/凄みのある美しさが、彼らを魅了した


と記していたそうだ(「うつくしい顔」からの孫引き、元のツイートは加藤本人がすでに削除した由)。また、シュールレアリストたちの「ミューズ」を踏まえているといった付言もあったという。なるほど、いろいろと批判を受けそうな内容ではある。後の付言はみずから墓穴を掘っている気もする。ただ、川野の文章の一部が加藤の発言への批判にとどまらず、川野自身の信奉する思想の宣伝になっていること、には注意した方がよいと感じた。

 権力のある人間に容姿を評価されることと、それを利用させろと要求され(つまりは、性的に迫られ)、拒絶すれば多くのものを失う危険との距離はあまりに近い。容姿を褒められた瞬間にその相手の脳裏をよぎる恐怖を想像する手間を省きたいなら、他人の容姿になんか口出ししないことを強くおすすめする。


という箇所の前半はどこかの国の男性高級官僚と女性記者との関係には当てはまっても、加藤と水原の関係には当てはまらない。もちろん川野もそれはよく理解しているに違いないが、そうであるにも関わらずことさらに言い立てるのは川野の文章の主目的が思想の宣伝に移りかけているからだと思う。

 憧れるというのは、蔑んでも唾を吐きかけても殴っても、相手は痛みを感じない存在だから、なにかよくわからないすごいものだから、自分とは違って大丈夫なのだと思い込むことに過ぎない。


と主張する川野であっても、加藤が水原を「殴っても」いいと実際に思い込んでいるなどとはさすがに主張できない。当該箇所は「憧れる」行為一般を対象とした意見表明なのだ。

 さて、川野が引くホイットニー・チャドウィック『シュルセクシュアリティ』(PARCO出版局、1989年)の男性シュールレアリスト批判を加藤は未見だったと思われるが、その後、本を手に取ってみただろうか。


(2019.3.17 記)

みいくさにこよひ誰が死ぬさびしみと髪ふく風の行方見まもる

  石上露子、『明星』1904年7月号


 佐々木幹郎による評伝『河内望郷歌』(五柳書院、1989年)を高校時代に手に取って以来、石上露子の名は私の心に刻み付けられ、掲出歌も早くから暗唱していたが、その歌碑があることは『戦争の歌』を読んで初めて知った。ということで富田林まで出掛けて、実物を見てきました!

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 碑の前に雑草が生い茂って、字が読みにくい。それほどきちんと管理はされていない感じ。左横に説明文を刻んだ碑も並び、そこに

 この戦いに大阪第四師団が参加、富田林及びその周辺の村落にも多くの戦死者を出した。この時、戦死者とその遺族の身の上を按じ、国の行末を思い、言い知れぬ深い不安と悲しみにおそわれて詠まれた……


などとある。露子の唯一の歌碑になぜこの一首が選ばれたのか、やや不思議に思っていたのだが、地域の慰霊碑としての意味もいくらか兼ねているのかも知れない。

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 こちらは歌碑が立つ本町公園から徒歩数分のところにある露子の生家(国の重要文化財、旧杉山家住宅)。裕福な造り酒屋だったという。この界隈は、国が重要伝統的建造物群保存地区に指定している。私が訪れた週末はちょうど「じないまち雛めぐり」というイベントが開かれ、よく賑わっていた。


(2019.3.10 記)

 『ねむらない樹』vol.2(2019年2月)の特集「ニューウェーブ再考」の白眉は何と言っても平岡直子「ほかでもなく」である。この一頁の批評文だけでも、ムック一冊の定価千四百円を差し出すのに値する。

 昨年6月のシンポジウム「ニューウェーブ30年」で荻原裕幸や加藤治郎、穂村弘がニューウェーブの歌人に女性は含まれないとか、彼ら自身を含む「四人」だけがニューウェーブだとか断定したのだったが、平岡の文章の目的はそれへの異議申し立てにほかならない。その一番言いたいところは結局、

 会場から東直子が挙手をして、東自身を含め、年代や作風の傾向を同じくするはずの何人かの女性歌人を挙げながら、彼女たちが「ニューウェーブ」に入らない理由を質問した。むろん愚問であり、ファンクラブなのだから年齢が近いからといって誰でも彼でも入れるわけがない。


の「東自身を含め、年代や作風の傾向を同じくするはずの何人かの女性歌人」というところであり、それをわざわざ文章化した動機はもちろん、加藤によるところの、

 「女性は自由に天翔ける存在だから」という、神秘化の体で女性を疎外するほとんど典型的な性差別発言……


に対する反感だろう。

 瞠目すべきはこの異議申し立てをそのまま理屈っぽく述べるのでなく、怪しげな寓話仕立てでもってしたことだ。老いも若きも真っ正直な人たちが揃う(?)歌壇にあって、このような弁論術の持ち主は得がたい。しかも、その寓話を作り出す想像力や構想力が卓越している。

 荻原らは東直子やその他「何人かの女性歌人」をニューウェーブから除外した。それは実際のところ、ニューウェーブが秘密の「塚本邦雄のファンクラブ」だからだ——と平岡は言うのだが、このたとえ話はニューウェーブをまことにうさん臭く、滑稽な小集団として印象付けることに成功している。

 なるほど、荻原はニューウェーブを自称し始めた当時、塚本邦雄が主宰する結社玲瓏の会員であったし、穂村は塚本の影響を受けたことをたびたび公言してきた。このように虚構に真実を紛れ込ませるのもまた、虚構にもっともらしさを与える弁論術の一種であり、

 後進の才能も精力的に発掘し、枯らせたり咲かせたりした。


という一文や、

 次第に「ニューウェーブ」という名称は一人歩きをはじめ、それを政治集団だと思う者も、方法論だと思う者も(略)いたけれど、彼らはあえて誤解されるままに任せた。


という箇所もその類であって、その冴えた技巧は修辞の妙も兼ね備えて見事なものだ。

 彼らが開発した軽くあかるく空虚なポエジーは短歌史上にきらめく雲のようにぽっかりと浮かんでおり、それを目印にして多くの人が短歌の扉を叩いてきた。


というのも、平岡としては虚構の中の真実のつもりで書いたものだろう。そして、きわめつけが末尾の歌の引用である。

萬緑の毒の緑青なにゆゑにどの山もみな男名前か

  塚本邦雄


 正直に言えば、私はこの一首を知らなかった。塚本のちょうど九十年代の歌集か、あるいは何かの選集で目にした気もするが、とにかくはっきりとした記憶がない。いやもちろん、私がそうだというだけで、現代短歌の読者にはよく知られた歌なのかも知れないが、少なくとも私のような者に平岡の読書量のとてつもなさを恐れさせる役目をこの歌の引用は果たした。

 なおまた、塚本歌集では塚本歌集なりの文脈で読まれるに違いない一首を、それとは異なる自分一人の文脈に引き付けて利用し、しかもその字句との間に少しの矛盾もない点、本音は自分の言葉でなく他人の言葉に語らせる点も平岡の弁論術の一部であり、それをさりげなく使いこなすさまはほとんど老獪と言ってもよいほどだ。

 あの塚本邦雄のファンクラブとしては、装飾的な漢字の組み合わせによる煌びやかな、そしてどこか呪詛的な名前がもちろんふさわしかったけれど、「ニューウェーブ」という間延びしたカタカナの名称があえて選ばれたのは、それがファンクラブであることを世間の目から隠すためであった。表向きはほかの結社に所属し、ほかの前衛歌人に師事している隠れキリシタンのような会員もいたためである。


とは前半の一節。伝え聞くところによると、加藤が最近、ツイッターで「私は、岡井隆です/ファンクラブなんて生易しいものでもない」云々とつぶやいていたそうだ。平岡の文章への抗議だろう。しかし、全てはニューウェーブ四人説に皮肉を言うためのたとえ話であり、笑い話なのだ。加藤がニューウェーブ四人説を撤回できない以上、その抗議も無効に終わるほかないと思う。

 もちろん、肝心かなめの「東自身を含め、年代や作風の傾向を同じくするはずの何人かの女性歌人」なる主張の根拠は、平岡は全然示していない。その意味で、ここでの平岡の主張の中身は真偽不明の思い付きに過ぎない。また、彼女たちがニューウェーブに入れない理由のパロディーたる「ファンクラブなのだから年齢が近いからといって誰でも彼でも入れるわけがない」においては「作風」への言及が抜け落ちており、寓話の論理に若干無理が混じりかけてもいる。しかし、だからといってこの批評文全体に対しフェイクだなどと真っ当に過ぎる判定を下す人が仮にいるとしたら、平岡の弁論術と修辞に学ぶことを私はその人に奨めたい。

 終わりに一つ、私が納得の行かなかったところに触れておこう。西田政史は玲瓏の元会員ながら昨年のシンポジウムでみずから「塚本邦雄のファンクラブ」の一員であることを否定していたはずだが、その西田をも平岡が執拗にファンクラブの一員に数えようとするのはなぜなのか。

 しかし、その信仰の神聖さを説明する用意のなかった壇上の四人は慌ててしまい、いくつかの失言をした。


というのは「ほかでもない」平岡自身の言葉だが、平岡からして「四人」と決め付ける辺りに私はいささか気色の悪さを感じた。


(2019.3.9 記)

廟行鎮はきさらぎさむき薄月夜おどろしく三人(みたり)(は)ぜにたるはや

  北原白秋『白南風』(1934年)


 引き続き同じ歌。『戦争の歌』の鑑賞を読んであらためて思ったのは、連作中の一首だけを引いて鑑賞することの難しさだ。『白南風』では、掲出歌を含む十一首を「鉄兜」なるタイトルで括っている。その一連の文脈の中に置いてみると、掲出歌の印象もまた変わってくる気がするのだ。「鉄兜」冒頭歌は、

菜の花に眼のみうかがふ鉄兜童なりけり敵はあらぬに


 タイトルの「鉄兜」はこの歌から採っている。この歌が一連の中心をなすと見てよい。菜の花の間に小さな鉄兜と目だけが現れる構図が印象的で、美しい。子どもの目に焦点を絞り、背後はぼかした一枚の写真のようだ。それに加えて時代背景をよく取り込んでいて、よい歌だと思う。

 この歌の直後に「爆弾三勇士を憶ふ」との詞書が入り、これは残りの十首全てにかかるとおぼしい。その一首目が掲出歌。ほかに

ますらをはかねて期(ご)したれ行きいたり火と爆(は)ぜにけり還る思はず


突撃路あへてひらくと爆藥筒いだき爆(は)ぜにき粉雪ちる間(ま)


といった歌が並ぶ。これらを一首ずつ個別に見れば、そこに確かに「彼らの勇気を讃える心情」を読み取れるかもしれない。ただ、鉄兜の一首と関連付けて読むならどうか。菜の花畑で兵隊ごっこをして遊んだ子どももやがて成長し、本物の兵士となって出征し、戦死する。そのあわれさに主題が移ったように感じられないだろうか。

 一連の最後は次のような歌である。

兵士(つはもの)はしかく死すべししかれども煙はれつつその影も無し


 この歌意はやや読み取りにくい。兵士はこのように死ぬのが使命ではあるけれども、硝煙が次第に晴れてゆき、そこに兵士の生きた証は何も残らないのだ——というふうに、一応解しておく。軍国主義風の上句で擬装しつつも、下句で無常観を強調しているのは間違いないところだろう。そうだとすると、これ以前に置かれた掲出歌などは最後の一首の「しかく」につながり、それでもって「その影も無し」の思想に奉仕するもののようにも思われる。それを「軍国美談と同じく彼らの勇気を讃える心情が表れている」とだけ取るのは、やはり一面的な理解ではないだろうか。

 本書の鑑賞は、

 作者は大正期に「揺籃のうた」「ペチカ」「からたちの花」など今も人口に膾炙する童謡を数多く作詞したが、晩年は「万歳ヒットラー・ユーゲント」「ハワイ大海戦」「愛国行進曲」を作詞するなど、次第に時代の波に取り込まれていった。


と結ばれる。しかし、少なくともこの「鉄兜」十一首の白秋は詩人の心を失っていなかったと私には思われる。


(2019.3.5 記)

廟行鎮はきさらぎさむき薄月夜おどろしく三人(みたり)(は)ぜにたるはや

  北原白秋『白南風』(1934年)


 1932(昭和7)年の第一次上海事変のいわゆる「爆弾三勇士」を取り上げた一首。本書は三人の兵士の戦死が新聞報道等によって「たちまち軍国美談」にされたことに言及しつつ、

 掲出歌もそうした報道をもとに詠まれたものだろう。


とし、

 「三人爆ぜにたる」という直接的な表現には、軍国美談と同じく彼らの勇気を讃える心情が表れている。


と解している。著者のいう「よい歌」の条件——「その時々の作者の心情」をよく表現している——を備えているということになろうか。

 しかし、「軍国美談と同じく」云々ということは、報道に影響されて戦死を美化した歌と言い換えることもできるわけだ。今の私たちの常識に照らして、それを「よい歌」に認定することはなかなか難しい。結局、掲出歌もまた「歴史を知る」ための一首として本書に採られていると私は推測する。

 ところで、本書は各歌をおおむね初出順に排列しているが、白秋の一首より後にはその「よい歌」に認定しがたい歌が見えない。言うまでもなく、日米開戦以降にこそ戦争を賛美する歌はおびただしく作られた。本書はそれらを採ることはしないのだ。今日に至ってなお太平洋戦争は歴史として取り扱うには近すぎる過去であり、それに触れるのには一定の配慮を要するからだろう。


(2019.3.3 記)

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