工兵の支ふる橋を渡るとき極まりて物をいふ兵はなし

  山口茂吉『赤土』(1941年)


 本書の口語訳は、

工兵が肩で支える橋を渡る時に思いは極まって、ものを言う兵は誰もいない。


 原歌にない「肩で」を補っているのが著者の工夫で、これ自体が適切な解釈の提示だと思う。鑑賞欄にも、

 昭和十二年七月の盧溝橋事件により始まった日中戦争は、八月の第二次上海事変以降、上海から南京にかけての揚子江下流のデルタ地帯が主な戦場となっていた。このあたりはクリークが多い場所として知られており、掲出歌はクリークを渡る際に工兵が仮橋を渡して、それを水の中に入って肩で支えている場面である。


とある。「肩で支えて」と解する根拠を示していないが、しかるべき史料を確認済みなのだろう。私などの想像の及ばない前線の模様だが、軍事の分野では「肩で」というのは常識的な事柄なのだろうか。また、当時の日本では「肩で」とことさらに説明しなくても通じたのだろうか。


(2019.5.12 記)


 一部の記述を改めました。全体の要旨は変えていません。(同日追記


 こととへば秋の日は濃きことばにてわれより若きガルシア・マルケス

   山中智恵子『神木』(1986年)



 鼓直氏が亡くなったと聞いた。例の通り、ウェブ上に知りたい情報は何もない。代わりに『伝奇集』の鼓訳を揶揄的に非難するページを見付けて、腹が立った。学問を批判の対象とすることは当然だ。しかし、篠田一士訳や鼓訳が存在しなければ、こやつはボルヘスの名すら知らないままだったに決まっている。先学への敬意を欠く者は常に下品だと思う。

 昨秋、鼓編『ラテンアメリカ怪談集』(河出文庫、新装版、2017年)収録のエクトル・アドルフォ・ムレーナ『騎兵大佐』をたいそうおもしろく読んだ私は、鼓氏にファンレターのような手紙を書いた。氏はその手紙を確かに読んでくださったそうだ。これも伝え聞くところによると、氏がラテンアメリカ文学の翻訳を志したのは、この『騎兵大佐』の原文に感銘を受けたのがきっかけだった由。

 山中智恵子の一首を当ブログの記事に引いたのは、ちょうど五年前のことだった。今、同じ四月に再びこの歌を思い、日本の伝統詩人と詩人気質だった翻訳家との縁を思う。というのは、山中もまた鼓訳の本で『百年の孤独』を読んだに違いないから。


(2019.4.6 記)


鏡なす月夜和多津美(つくよわたつみ)はてなくて翔(と)ぶ機の影ぞ澄み移るのみ

  穂積忠『雪祭』(1939年)


 日中戦争初期のいわゆる「渡洋爆撃」に取材した連作「月夜南京空爆之歌」のうちの一首。本書鑑賞欄には、

 満月の照らす海の上を飛んでいく飛行機の姿が美しく描かれている。(略)「鏡なす」「和多津美」「澄み移る」といった古風な言い回しを用いて、戦争を美しく詠んでいるところに特徴がある。


とある。「機の影」は字音語「機影」を大和言葉風に訓み下したものだろうし、機影の語意は「飛んでいる飛行機の姿」(大辞林)であるから、「海の上を飛んでいく飛行機の姿が美しく描かれている」という解釈も誤りとは言い切れない。ただ、月夜の海を「鏡なす」と表現していることを考えると、どうだろう。その設定を生かすには、海面に航空機の影が映っていて、それが移動してゆく、と解した方がよいと私は思う。

 ともあれ、上の引用箇所には重要な問題提起が含まれている。戦争に取材した詩歌の美をどう評価するか、である。当時の戦争記録画等の問題とも重なるものだろう。

 引用文の指摘の通り、掲出歌は美しい。一点の人工物を置くことで、月夜の海の美はより一層強調されていると思う。「和多津美」の表記の効果も見逃せない。これについて、引用文が「古風な言い回しを用いて……美しく」といった評価にとどめているのは、むしろ物足りなく思われる。『雪祭』は釈迢空の影響を受けた特異な文字遣いが散見される歌集ではあるが、万葉仮名の使用はこの一箇所だけだ。その一種異様な文字の連なりは、それが述べ表す情景にロマンチシズムの彩りを加える効果がある。

 ところで、なぜ夜間の飛行なのか。取材先が現実の戦争である以上、そこには明確な理由があった。戦史によれば、日中戦争における日本軍の都市空爆は当初中国軍の迎撃を受けて多大な損害を被ったので、より安全な夜間に高高度から行うことになったというのだ。しかし、そのような戦法を採りつつ軍事施設等の限定された区域に確実に目標を定めることは、当時の技術では困難だった。そのため、多数の民間人が死傷することとなったのである。

 本書鑑賞欄がこれも正しく指摘する通り、穂積忠は掲出歌のような光景を実際に「見たわけではなく、新聞等のニュースから想像した」のだった。そして、空襲にさらされた中国の各都市の模様を、当時の報道はもちろん正確には伝えていなかった。したがって、穂積が空爆の実態を作中に全然取り込まなかったのも、やむを得ないといえばやむを得ない。しかし、知識のある現代の読者がこの歌の美を美として享受することをためらうとしたら、それもまた自然な反応だろう。

 概念的で平凡な戦意高揚歌なら採らなければよいというだけだが、掲出歌は歌としておもしみがあるから困る。本書の筆者は必ずしもこの歌を高く評価しているわけではないだろう。ただ、それをアンソロジーの一首に選ぶことで一石を投じたのだと思う。


(2019.4.5 記)

 『現代短歌』4月号の特集「花のうた」では、瀬戸夏子選のアンソロジーが楽しい。一歌人一首の決まりで、明治以降の個人歌集から花を詠み込んだ歌を二百首選んでいる。歌人二百人となると、正岡子規から私の知らない最近の新鋭まで、とにかく色々な人と色々な歌が集まる。かつては有名だったが今はほとんど言及されない歌人の一首があるかと思うと、つい二、三ヶ月前に出たばかりの歌集の一首がある。それらを隣り合わせるような、網羅主義と選者の個人的好みを掛け合わせたような、何と言えばよいか、大網羅主義で圧巻。

 こういった企画は選歌に偏りがあるとつまらなくなる。有名歌人の有名歌ばかりだと退屈。かといって選者の特殊な好みだけが目立つと、私などは「そう?よかったね」としか思わない。瀬戸選のアンソロジーはその辺りの匙加減がうまいのだろう。

 大御所を追ってゆくと、

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり

  釈迢空『海やまのあひだ』(1925年)


のように有名過ぎるのがある一方、

泡青と薔薇いろのあぢさゐの玉を配す花は配材のためにゆめみる

  葛原妙子『朱霊』(1970年)


はあまり知られていない一首。この「そうだよね」と「ほーーそうくるか」の行き来が楽しいのだ。選がしっかりしているから、その選に漏れた歌を探すおもしろみも出てくる。自分の気付いたところでは、

君こそ淋しがらんか ひまわりのずばぬけて明るいあのさびしさに

  佐佐木幸綱『群黎』(1970年)


とか、

サンチョ・パンサ思ひつつ来て何かかなしサンチョ・パンサは降る花見上ぐ

  成瀬有『游べ、櫻の園へ』(1976年)


とかがない。瀬戸さんはどちらにもよい評価を与えなかったということか。

もうゆりの花びんをもとにもどしてるあんな表情を見せたくせに

  加藤治郎『サニー・サイド・アップ』(1987年)


も選んでいない。近ごろの加藤さんの問題発言「女性歌人は……自由に空を翔けていくような存在」「水原紫苑は、ニューウェーブのミューズ」が影響したわけでもないだろうけど。

 会津八一も入ってないなー、と思いつつ『南京新唱』(1924年)を読み返してみると、奈良の歌篇には

はるきぬといまかもろびとゆきかへりほとけのにはに花さくらしも


以外にほとんど花の歌がないのだった。今まで気が付かなかった。選ばれなくて惜しいと自分が思う一首は、

みどりごの夜半(よは)おのづから眼をあきてポリアンサスの白きかがやき

  柴生田稔『春山』(1941年)


 これが選に入らないのは、瀬戸さんが「いつ読んでも新鮮に鳥肌が立つ」(「白手紙紀行」vol.12、同誌同号)と激賞する、

みどりごは泣きつつめざむひえびえと北半球にあさがほひらき

  高野公彦『汽水の光』(1976年)


と印象が幾分重なってしまうからか。しかし、柴生田の歌の方がずっと早い時期の作であるし、当時としては嬰児と花の取り合わせも、その花の幻想的印象も、またその印象を生み出している結句の句法も斬新な気がするので、やはり惜しい。

 私の知らない歌人が何人もいた中では、

水深をもらえば泳ぎだす犬に花降りそそぐ季節があるの

  宇都宮敦『ピクニック』


がよいと思った。「水深をもらえば」と「季節があるの」は限りなく無意味に近い。こういった、韻律に奉仕するような、はかない歌が好きだ。


(2019.3.24 記)

 加藤治郎がツイッターで水原紫苑を「ニューウェーブのミューズ」と呼んでいたという。そのことを批判する川野芽生の時評「うつくしい顔」(『現代短歌』2019年4月)を読んで、私は初めてそのことについて知った。川野によれば、加藤は

 水原紫苑は、ニューウェーブのミューズだった/穂村弘、大塚寅彦、加藤治郎、みな水原紫苑に夢中だった/凄みのある美しさが、彼らを魅了した


と記していたそうだ(「うつくしい顔」からの孫引き、元のツイートは加藤本人がすでに削除した由)。また、シュールレアリストたちの「ミューズ」を踏まえているといった付言もあったという。なるほど、いろいろと批判を受けそうな内容ではある。後の付言はみずから墓穴を掘っている気もする。ただ、川野の文章の一部が加藤の発言への批判にとどまらず、川野自身の信奉する思想の宣伝になっていること、には注意した方がよいと感じた。

 権力のある人間に容姿を評価されることと、それを利用させろと要求され(つまりは、性的に迫られ)、拒絶すれば多くのものを失う危険との距離はあまりに近い。容姿を褒められた瞬間にその相手の脳裏をよぎる恐怖を想像する手間を省きたいなら、他人の容姿になんか口出ししないことを強くおすすめする。


という箇所の前半はどこかの国の男性高級官僚と女性記者との関係には当てはまっても、加藤と水原の関係には当てはまらない。もちろん川野もそれはよく理解しているに違いないが、そうであるにも関わらずことさらに言い立てるのは川野の文章の主目的が思想の宣伝に移りかけているからだと思う。

 憧れるというのは、蔑んでも唾を吐きかけても殴っても、相手は痛みを感じない存在だから、なにかよくわからないすごいものだから、自分とは違って大丈夫なのだと思い込むことに過ぎない。


と主張する川野であっても、加藤が水原を「殴っても」いいと実際に思い込んでいるなどとはさすがに主張できない。当該箇所は「憧れる」行為一般を対象とした意見表明なのだ。

 さて、川野が引くホイットニー・チャドウィック『シュルセクシュアリティ』(PARCO出版局、1989年)の男性シュールレアリスト批判を加藤は未見だったと思われるが、その後、本を手に取ってみただろうか。


(2019.3.17 記)

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