考えられる可能性はただ一つ。私たちが「ても」にいまだ辞書に採用されない意味を付与したということだ。その意味とは、順接の仮定条件の提示だ。例えば、「煮たり焼いたりしたら食える」という、何の芸もない成語もどき。「煮たり焼いたり」の仮定条件を受けて、あまりに当然の「食える」が来る。これが順接で、「たら」は順接の仮定条件を提示する役割を担っている。注意すべきは、このとき既定の事柄と仮定条件に対して予想される結果とが逆になることだ。元々は「食えない」のに対して、「煮たり焼いたりしたら」の予想は「食える」のだ。

 この「たら」と同じ意味を「ても」にも与えるというのだから、にわかには信じられない。しかし、そうとでも考えないと、私たちの言語感覚を説明することはできないだろう。「花水木の道があれより」長かったり短かったりしたら——順接で「愛を告げられなかった」。このとき、既定の事実は? そう、仮定条件に対して予想される結果とは逆の「愛を告げることができた」だ。花水木の道が愛を告白するのにちょうどよい長さだったから、「私」は肩を並べて歩く人に愛を告白できたのであり、その道がもう少し長かったり、もう少し短かったりしたら別の結末になっただろう、というわけだ。

 そして、もう一つ注意すべきこと。今のように考える場合、「ても」の意味は逆接と順接の二つから選択できることになる。個々の読者は自分が日頃どちらの意味に慣れ親しんでいるか、そのときどちらの意味を期待して読んでいるか等々の個人的事情に依拠して選択権を行使することも可能になる。掲出歌の解釈をめぐって、「愛を告白できた」と主張する人がいたり「いや、できなかった」と主張する人がいたりする原因である。


     §


 奇妙なことに、「ても」を繰り返す場合に限って、その「ても」は新しい意味で取っても違和感がない。つまり、「ても」を一度だけ使用する文では、その「ても」は新しい意味には取れない。「花水木の道があれより長くても愛を告げられなかった」という例文ならば、道の長さがどうであれ私は結局愛を告白できなかった、との解釈に反対する人はいないだろう。「ても」を繰り返す場合、「も」が並列を意味するように感じられ、逆接の意味が後退するのかもしれない。

 そして、「ても」を繰り返すようには「たら」や「なら」を繰り返すことはできない。「あれより長かったら短かったら」とは、日本語の話者は言わないのだ。どうしても言いたければ、「あれより長かったら、もしくはあれより短かったら」などと言うことになるが、どうもくだくだしい。「ても」の繰り返しの方が簡潔で、短歌定型に載せやすいことは明白だ。

 なお、「ても」を繰り返すとき、それを新しい意味と従来の意味のどちらで使用しているかを判断する根拠は、文脈以外に何かあるか。少し考えてみたが、よく分からない。例えば、「泣いても笑っても最後の勝負だ」はどういう結果になろうが最終決戦というわけで、従来の意味。西濃運輸の荷札の画像を貼ったツイートを見たが、これもおもしろい。

 必ず12/18〜12/21までに配達してください。早くても遅くてもだめ!!


と書いてあるのだが、新しい意味の「ても」だ。二者の間に表現上の違いはあるだろうか。もし何かあるのだとすると、読者が逆接か順接かを選んで解釈する自由は全然ないか、あるいはかなり狭まることになる。


     §


 新説のように解すべき歌であるなら、「愛を告げられなかった」でなく「愛は告げられなかった」であってほしい、という意味のことを寺井龍哉がツイートしていた。私も同様に感じるが、それはなぜだろうか。説明しようとすると、これも難しい。なお、この一首の場合は、「私は」を省略していると考えれば、「は」の疑問を回避できる。この疑問だけで新解釈を否定することはできないはずだ。


     §


 掲出歌の「ても」を通説が新しい意味で取っており、新説が従来の意味で取っているのは不思議だ。素朴に考えるなら、若い人こそ新しい意味で言葉を取り扱いそうなものだ。ところが、掲出歌の解釈ではそれが逆になっているという。そうであるなら、ここに現代やら若い世代やらの特徴を見ようとすることも一概に否定すべきでないという気がする。


(2020.1.14 記)

 花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった

   吉川宏志『青蟬』(1995年)



 土岐友浩のウェブ上のコラム「リアリティの重心」(1月1日付)が掲出歌の解釈の問題を紹介していて、おもしろく思った。一方、このコラムの内容がウェブ上で話題になっていることは、花笠海月がツイッターの関連ツイートをまとめているのを見て知った。そこに転載されている無数のツイートを私は一応読み通したが、こちらは一種の苦行だった。私の知りたいことの大方は誰も教えてくれないのだが、もしかしてこの後誰かが教えてくれるかも知れないと思うと、途中で読むのを止めるわけにもいかなかったからだ。


     §


 土岐によれば、この一首の内容は従来、花水木が立つ道で愛を告白したと解されてきた。ところが、「いまの若い人」は正反対の解釈、つまり愛を結局告白できなかった歌として受け取るのだという。土岐自身はやはり通説の通りに解していたようで、次のように述べている。

 告白の場面と読んで誰も疑わなかった吉川の歌に、そもそも「愛を告げていない」という新しい解釈が登場し、広まりつつあるのはなぜか。/それは「若者」の読解力の問題だろうか。/そうでなければ、何か大きな、とても大きな変化が、短歌に起きているのではないだろうか。


 実を言うと、私もまた、これまで通説のように読んでいた。『青蟬』は刊行直後に読んで大いに刺激を受けた本だが、以来二十五年、私は新解釈のような読み方が成立し得ることに初めて気付かされたのだ。非常におもしろいと思った。

 では、花笠が採集したツイートは、どのようなものだったか。多くの発言はその客観的根拠を示しておらず、そういう読み方をする人がいるというサンプルとして貴重ではあるものの、一首の解釈の当否を考える上で参考になるものではなかった。その中で、救済(さちこ)と中島裕介の発言が数少ない例外と思われた。

 前者のツイート、およびnote「花水木の歌の意味論」は論理学の知見を用いて解釈の揺れる原因を説明しようとするものだった。私は論理学の知識を持たないので、その論旨を正確に理解できているか、今一つ自信がない。ただ、あくまで一編の説明文として読むとき、「運動会は中止だった」が偽になる文例の説明を済ませる前に「愛を告げられなかった」が偽になる結論に移るのは相当強引なように感じられた。読者のほとんど全員が論理学の門外漢に決まっているのだから、説明の手順を省かないでほしいと思った。

 後者はただ一人、原歌の言葉の辞書的意味に言及しつつ、それを解釈の基礎とする手法を示唆したものだった。その手法自体はもちろん初歩的かつ一般的ではあるが、ここでは非常に有力であるように私には感じられた。ただし、

 文法的には「ても」が事実的逆説(告げた。「長かったら/短かったら」)と仮定的逆説(告げられなかった。「煮ても焼いても食えぬ」的な、「長かろうが短かろうが」)の両方に用いられる点が大きそう。


という発言のうち、「ても」の用法を「事実的逆説」と取って「愛を告げた」との解釈を肯定するところは、国語辞典の誤読だろう。中島がリンクを貼ったコトバンクの「ても」の項を全て読んでみたが、そのような解釈を許容する記述はどこにもない。したがって、この発言内容の全体について首肯することはできなかった。


     §


 辞書に載る語意の通りに読むとしたら、おそらく——驚くべきことに通説は誤りで、新説の方が正しい。接続助詞「ても」は、

 逆接の仮定条件を示す。(『日本国語大辞典』第二版)


とあらゆる国語辞典が説明する。例えば、「煮ても焼いても食えない」という成語。そのままでは食えないものを煮たり焼いたりしたら——普通は「食える」となるところを「食えない」につながる。逆接とはそういうことだ。そして、注意すべきは、このとき既定の事柄と仮定条件に対して予想される結果とが一致することだ。元来「食えない」のであり、「煮たり焼いたりしたら」の予想も同じく「食えない」のだ。

 「ても」がこのような言葉だとすると、掲出歌はどうか。「花水木の道があれより」長かったり短かったりしたら——「愛を告げることができた」となるべきところを、逆接で「愛を告げられなかった」。そして、このとき、既定の事実は? そう、仮定条件に対して予想される結果と同じ、「愛を告げられなかった」だ。「私」は肩を並べて歩く人に愛を告白できなかったのであり、その花水木の道がもう少し長かったらとか、もう少し短かったらとか想像してはみるが、結局のところ、その場合も同じ結末になったとしか思えない、というのだ。


     §


 ところで、日本語を母語として使用してきた私の言語感覚は、通説に抵抗を覚えない。それもまた確かなことだ。私だけではない。土岐が引用する東直子の文章も、土岐本人も、通説の側に立っているのだ。通説が辞書の記述に反するというのに、これは一体どうしたことか。


(つづく)


(2020.1.13 記)

 10月以来、大休止中です。年明け、1月中旬くらいから再開したいです……

 2019年のできごと。

○シンポジウム「わたしたちのニューウェーブ」の質疑応答のときにちょっとだけ発言した。(司会の江戸さんに指名してもらって光栄でした。)

○内野光子さんの研究発表「斎藤史について」を聴きに行った。(「短歌サロン九条」例会です。新著『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』を踏まえた内容でした。内野さんの資料探索の執念はすごい。研究はこれくらいやらないとダメなんですね。)

○青梅市立美術館まで「松平修文遺作展」を観に行った。(今年一番記憶に残ったイベント。行ってよかった……)

○ブックレビューとかエッセイとか、小文を数本書かせてもらった。

○ここ二ヶ月、とある原稿に取り組んだ。(イチから調べて書かないといけなかったのは『殺しの短歌史』の「濁流」論以来。6頁弱の小文ですが、ちょっと時間がかかりました……。『現代短歌』次号に載ります。)

 2019年にできなかったこと。去年の大晦日に「来年したいこと」で書いたことのうち、

○「大日本歌人協会解散事件の顛末」
○「濁流」論の訂正文
○いただいた本・手紙のお礼をきちんと書く。

は今年も成就しなかった、ダメだね、ほんと。来年したいこと、はもう書くのやめようか。

 花山多佳子歌集『鳥影』、おもしろいです。多佳子さんはよいなー。


(2019.12.31 記)


 『現代短歌』10月号掲載の寺井龍哉「歌論夜話」第26回が示唆に富んでいて、とてもおもしろいと思った。

 話はまず、井上靖の自伝風小説『夏草冬濤』(1966年)の一場面を紹介するところから始まる。大正末頃、沼津の海岸で中学生たちが石川啄木の「東海の小島の磯」の歌を唄うのだ。

 ついで、寺井の話題は荷田在満『国歌八論』に跳ぶ。在満は「うたふ」ことと「詞花言葉を翫ぶ」ことを区別したという。すなわち、記紀歌謡は「ただうたふためにする」質朴なもので、古今集の時代に至って「文意兼美なる体」になった。また、その間に当たる万葉の時代は前者から後者へ次第に変化していったのだが、古歌の朗詠の習慣はその末期まで残っていたというのだ。

 寺井はこの万葉以前の朗詠の習慣と『夏草冬濤』の中学生の間に時代を超えた共通性を見ようとする。自分で新作を作るのとは別に、片や古歌を唄い、片や啄木の歌を唄うのだ。寺井いわく、

 大伴氏の縁者たちも沼津の中学生たちも、それほど違う感覚で声を出していたわけではないのではないか。自分の感覚や状況が歌になる、というよりも、歌が自分の感覚やそのときそのときの状況にあわせて用意されており、そこに自分の音色や調子を乗せて発信する。人が言葉を用いているようで、言葉もまた人を用いて姿を現わしているのである。


 おもしろい。以下は寺井の文章に触発された私見だ。

 アララギの歌人たちは、アララギの流儀が大正年間に歌壇を制覇したと自認していた。短歌史家もまた、それを追認してきた。しかし、同じ時代にいわゆる歌壇とは別のやり方で短歌に親しむ人たちがいたことを井上の小説は伝えている。歌壇人が「詞花言葉を翫ぶ」とすれば、沼津の中学生たちは「ただうたふ」ことをしたのだ。登場人物の一人の自作という設定で、次のような歌が出てくる。

なにがなし人を罵るそのことのよかれあしかれわれら若しも


 井上靖『青春放浪』(1962年)によれば、実際には登場人物のモデルになった友人の作の由。それを小説に借りたわけだが、初句からして明らかな啄木調だ。

いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見む目に甘き山は青空にあり


 こちらも同じ登場人物の自作との設定。ただ、上句が若山牧水の歌と同一だ。自作というより、むしろ古歌の朗詠に近いものと解してよいのだろう。沼津の中学生が牧水に親近感を持つのは、単に牧水が沼津在住だったからというだけではない。唄う歌の選択にも、当時の歌壇の主流派とは異なる好みが表れているのだ。

 『夏草冬濤』が作者の自伝風の作品であるとはいえ、大正時代の中学生の短歌趣味を窺い知る資料としてこれを用いてよいものかどうか、注意を要することはもちろんだ。しかし、この小説を完全な作り話と見なして切り捨てるとしたら、それも乱暴だろう。既存の大正短歌史は中央歌壇の動向を記述したものであって、必ずしも短歌に関係する諸相を俯瞰したものではない。新たな角度から短歌史を構想する余地はまだ残っていると私は思う。


(2019.9.17 記)

 町内の会合で、

 知らない家の呼び鈴、押しちゃったよ。エレベーターのボタンと間違えたの。


とか言っている人がいた。そういうことあるんだねー、やっぱり。


     §


 ツイッター向きの話題かな、ツイッターよく知らないけれど。


(2019.9.3 記)

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Author:和爾猫
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