鈴木竹志氏の6月29日付のブログ記事「島成郎のこと」

島成郎の母親は、高安綾子という。
こう書けば、誰しも高安国世の縁戚ではないかと思うだろう。
実際に高安綾子は、国世の長姉である。
つまり、島は、高安国世の甥である。
このことは、
松村正直の『高安国世の手紙』にも書かれている。


とある。私は島成郎という人物のことをよく知らないが、短歌界隈では松村正直『高安国世の手紙』(六花書林、2013年)が初めて高安国世とこの島成郎との関連をきちんと指摘したのではないのか。

『高安国世の手紙』にも書かれている。


といった言い方(にも、って何さ!)は、研究の場でのプライオリティーを軽視しているように聞こえる。また、当該記事には

松村は島について、
「全学連の書記長」と書いているが、
私は、ひょっとして、
松村は、島がブント(共産主義者同盟)の指導者であったことを
知らないのではないかという気がしてきた。


との記述もある。しかし、『高安国世の手紙』の参考文献(405頁)に

島成郎記念文集刊行会編『ブント書記長 島成郎を読む』情況出版 二〇〇二


があり、その一節を本文でも引用している(315頁)のだから、松村さんは「島がブント(共産主義者同盟)の指導者であったこと」を知っていた、と見るのが自然だろう。鈴木氏はさらに、

私の説は、
高安は、甥の島がブントの指導者として、
安保闘争に中心にいることを当然承知していた。
だから、「塔」に高安にしては、
珍しい政治的な内容に関わる歌も文章も載せたのではないかというものだ。


とも書くが、「高安は、甥の島が」「安保闘争の中心にいることを当然承知していた」というのは松村さんがすでに推測していたところであるし、「だから」以下の思い付きは『高安国世の手紙』の論証の堅実さとは比べようもないと思う。


(2018.6.30 記)

 ウェブ検索したところ、佐々木朔の歌の一首全体を引いているページが複数見つかった。『羽根と根』という同人誌の第六号に載っている由。その原本は未見だが、

消えさった予知能力を追いかけて埠頭のさきに鍵をひろった


という歌であるらしい。「いい所で、いい物を」とまでは私は感じなかった。

 それより「鍵」の解釈が気になった。これは何通りか出そうだ。「予知能力」は取り戻せないままだが、代わりに鍵を拾った、と私は読んだ。失ったものを取り戻すよりも新たに何かを得る方が希望がある。そうであってほしい。

 私はやはり「基本的歌権」なるものを認めないことにしよう。この歌は読みどころがあって、楽しい。


(2018.6.20 記)

 これも事前に公開されていた寺井龍哉の質問、

 後続の世代との関係をどうお感じになりますか。


に対し、穂村弘は「経験則では、基本的に若い人の方が考え方が正しい」と答えた上で、寺井本人の登場する話を披露した。

穂村 佐々木朔さんの歌で「埠頭で鍵を拾った」っていう下句、僕は大井さんや寺井さんとの雑談の場で「いい所でいい物を拾い過ぎてない?」って言ったんだよね。つまり、埠頭という特別感のある所で鍵という素敵な物を拾うのは、道路で紙屑を拾うのに比べて詩的ハードルを言語レベルで上げちゃってるから、これを回収するのは難しくないか、という意味で言ったんだけど、寺井さんが「そういう批評は今は無しなんです」って言うんですよ。(会場笑)

 なぜそういう批評が「無し」かというと、歌一首一首には「基本的歌権」があって、「基本的人権」を大事にするように歌を最大限リスペクトして批評しなければいけないからだと。つまり、「そう書かれたんだから、そう書くだけの理由がある」、それが批評の前提だ、ということだと僕は理解した。

 どっちの考え方が正しいんだろう? 寺井さんに訊いてみよう。


 会場の座席に座っていた寺井が指名されて立ち上がり、次のように答えた。

寺井 「そういう批評は無しです」っていうほど強い語気で言ったつもりはなかったんですけど……。(会場笑)作品の中には読者が見通し切れない必然性が秘められているはずで、それをある程度尊重するのが「今風」なんじゃないか、と考えているんですけど、お答えになっているでしょうか。


 この返答にはもう少し枝葉もあったはずだが、そこまで書き取れなかった。それにしても、口頭で自らの考えを説明しようというとき、話をこんなに短くまとめて切り上げられる人はまずいない。寺井の仕事について私はわずかに『Tri』掲載論文を知っているだけだったが、この発言を聞いて、とても優秀な人だと思った。

 「基本的歌権」というのは、寺井の「そういう批評は今は無し」云々の発言を穂村が自分流に解釈して作ったタームのようだ。若い世代にそういった共通理解が広がっているとは、興味深い。

 『未来』の朽木祐がシンポジウムの後、

 基本的歌権と観念されるような事態は、作者が作品の全権を支配するという観念の復活の兆しに思える。


とツイートした、と知人に教えてもらった。しかし、私は「作者が作品の全権を支配するという観念の復活」などとは思わなかった。『テクストはまちがわない』は日本文学研究者、石原千秋の著書のタイトルだが、「基本的歌権」という考え方はむしろそういったテクスト論的立場に近いのではないかと感じた。ひとたび歌が作者の手を離れ、公表されたからには、作者本人であってもその歌自体の有する権利は侵害できないだろう、ということだ。

 ともあれ、どの歌にも「基本的歌権」が備わっているとすると、批評はどこまで許されるのか。色々と考えてみたが、歌の内容が「歌権」より上位の「人権」に関わらないかぎり、その歌はあらゆる負の評価を拒否できるのではないかと思う。

 ところで、負の評価が無効である場合、正の評価もまた無効であるはずだ。褒めるに決まっているなら、褒めることの重みはない。そもそも、まともな作者なら、そのような場で褒められても特にうれしくもないだろう。だから歌会の参加者の発言は常に分析にとどまり、評価には踏み込まないことになる。つまり、穂村がしたような批評だけが不可能になるのでなく、一切の批評が不可能になるのだと思う。

 だが、分析のための分析をすることに何か積極的な意義があるのだろうか。私にはそれが分からない。褒められることもない、けなされることもない歌会……。

 原理主義的に「基本的歌権」を振りかざすと歌会がつまらなくなると思う。一方で、寺井の考えていることも何となく分かる気がする。評価を一旦保留にして、もう少し深く読んでみよう、というのでは駄目だろうか。


(2018.6.17 記)

 他に興味を引かれたところなど、思い出した順にいくらか追記する。


     §


 加藤治郎『マイ・ロマンサー』の一首、

1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0


を、今回のシンポジウムの最中に加藤本人が

イチゼロゼロイチ


と音読した。そこで止めて、後は読み上げなかった。

 それで私は初めて気付いた。この歌はそのまま音読すると三十一音をはるかに超過する。字余りどころではない。

 ところが、「二」「恐」をそれぞれ仮名の二字相当、計四字相当として数え、「0」や「1」はそれぞれ無音の一字として数えると、ちょうど定型の三十一文字ということになる。


     §


 同じく『マイ・ロマンサー』の著名な一首、

言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン!


はどう音読すればよいか。シンポジウムでの加藤の発言によれば、加藤自身は「言葉ではない」の後に一拍置いて「ラン」、と読むそうだ。

 この歌が空白一字分も含め三十一文字で表記されていることは、歌集刊行時から指摘されていたと記憶する。しかし、「言」を仮名の二字相当として数えると、全体では字余りの三十二字相当になってしまう。


     §


 これらの歌はみなモニターに表示させて作ったのか、と荻原裕幸が加藤に尋ねた。加藤の回答はイエス。それを受けて荻原が言うには、『あるまじろん』のこれも著名な、

▼▼雨カ▼▼コレ▼▼▼何ダコレ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!

(引用者注—本来、縦書表記を前提にした歌。「▼」は当然下向きに連なって、その記号の形自体が爆弾の落下を想起させる。)


などを、荻原は当初、横書き一行分のモニターしか付いていないワープロ専用機に入力したそうだ。その一行は二十字ほどであったはずで、つまり一首の歌の全体を表示することはできない。そこで荻原は、紙に印刷して表記の効果を確かめるということを幾度も繰り返し、ようやく歌を完成させたという。

 興味深い証言だと思う。九十年代の初めのころ、加藤と荻原の歌をひとまとめに「記号短歌」などと呼ぶ向きもいたが、この両者の歌における「記号」の働き具合は実は対照的だったのではないか。

 荻原の歌の「▼」は落下物をかたどったアイコンとして機能する。手間のかかるその入力の作業の間も作者の頭脳は休みなく動き続け、元々は無意味だった記号に様々な意味を付与してやまなかったのだろう。歌の題材が重大事であるにも関わらず、「▼」はどこか手作業のぬくもりと懐かしさを感じさせるようだ。

 一方、加藤の歌の「!」には特に意味がない。「1001」や「10100」はもちろんコンピューター用の二進数を模した表現だが、こちらも作中では意味を成さない。入力の簡単さがその無意味な表現を可能にしたのだと思う。

 「1001」の歌は、意味のある私という存在(二人のふるい恐怖をかたり)が無意味なもの(1と0)に侵食されていく。しかし、意味とは何だろう? 私とは?

 シンポジウムの資料として事前に配付された大辻隆弘「ニューウェーブ、やや回顧的に」によれば、『マイ・ロマンサー』の主題は「私の深化」だった。「1001」の歌に私はその典型を見る。


     §


 大辻の「ニューウェーブ、やや回顧的に」は、私がこれまでに読んだニューウェーブ論の中で最も説得力のある文章だと思う。

 三輪晃「ニューウェーブが指向したもの」は今回のシンポジウムのための新稿で、これがウェブ上ならニューウェーブに関する「まとめサイト」といったところだが、惜しいことに「ニューウェーブ、やや回顧的に」を紹介していない。そのため、「主体」についての三輪の理解は幾分浅く感じられる。


(2018.6.15 記)

(語り残されたこと)

 配付資料に西田選の

「ニューウェーブ30年」アンソロジー


と穂村選の

「ニューウェーブ」作品


が含まれていた。西田の方は荻原・加藤・穂村と西田自身の作、計十一首、穂村の方は同じ四人の計八首である。ここに他の歌人が入っていないことからも、ニューウェーブは四人以外にあり得ないというのが彼らの元々の考えであると分かる。

 残念だったのは、座談の中でこの資料が話題にならなかったことだ。時間の都合で省略されてしまったようだ。個々の作品に関して、「ニューウェーブは、何を企てたか」というテーマはほとんど探究されないまま残された。西田のシンポジウム後のツイートがこの点に言及している。

180610-2.jpeg

180610-3.jpeg

 前半の進行に若干の緩さがあり、特に加藤と石井僚一の掛け合いなどは荻原から「居酒屋トーク」と評される程度の無駄話(加藤の責任だろう)だっただけに、あの時間がうまく使えていればと惜しまれる。

 ただ、「ニューウェーブは、何を企てたか」を考えるためには、まずニューウェーブ幻想を否定する必要があったという気もする。今回のシンポジウムで幻想が一旦否定され、本来のテーマを探究する準備がようやく整ったのかもしれない。

 ニューウェーブを運動として捉えるとき、議論は辞典の記述のように歌人たちの共通項を探る方向に進むと予想される。しかし、ニューウェーブを現象として捉えるなら、彼らがいかに違ったかを論じることもできるだろう。たとえば、『シンジケート』と『マイ・ロマンサー』はかなり違うじゃないか、とか。私見では、同じ穂村の歌集でも、『シンジケート』と『ドライ・ドライ・アイス』の間には他者の有無という重要な違いがある。こういった議論を経た後に本質的な共通項が浮かび上がってくるかどうか、私は知りたい。

 今回のシンポジウムを主催した書肆侃侃房は、記録を今夏創刊予定のムック『ねむらない樹』に掲載するとのことだ(花笠海月「2018年6月1日~3日の日記」)。西田・穂村本人による上記資料の詳細な解説も、併せて載せてほしい。書肆侃侃房の担当氏は、私のブログなど見ていないだろうけど。

 ちなみに西田の自選歌は、

地球ニハ**ナノネナノネノナノネミギナノネヒダリナノネ、ヨウコソ!

シーソーをまたいでしかも片仮名で話すお前は——ボクデスヲハリ


(『ストロベリー・カレンダー』1993年)


 穂村の自選歌は、

呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる

「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に


(『シンジケート』1990年)


 自選の理由は? ただこれだけでも、興味が尽きない。


(極私的な感想)

 西田政史の発言の一つ一つが思慮深く、知的に聞こえたことが印象深かった。『ストロベリー・カレンダー』の作者はこの人か、と私は静かな感動を覚えていた。司会役の荻原から「やり残したことは?」と問われて答えたのが西田の席上での最後の発言だったが、それはおよそ次のような言い回しだった。

 西田 ミッションということでもないし、自分をニューウェーブと思ったこともなかったし、あまり考えてなかったんですけれど、やり残したことは……ないですかね。


 こうして自分のメモを読み返すと、実際の発言の印象とか、それを取り巻く空気感とかがそこに全然保存されていないのがもどかしい。この歌人は常に自分の視点から等身大の自分の思いなり考えなりを語ろうとしている、そして語れないことは語らない、と私は感じたのだ。

 そもそも私がこのシンポジウムへの参加を申し込んだ動機は、これまでずっと露出の少なかった西田の姿をこの目で確かめたいということだった。私の好奇心はもちろん十分に満たされた。


(ひとまずヲハリ)


(2018.6.11 記)

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